浴衣

 また戻ってきました。前に掲げてあったのも再度の消費に堪えなくなってきた。しかしこの板に何らの文章も書いてないのは呵責がある。私には快楽に関して人より味わう能力が欠けている筈だと思う。填補の用に立つのは改めて置くことだ。それはそれとして自分が特殊な体験を存じている自覚がなければ自ら主題を設けた作文など述べる理由がない。案外と軌跡を逸らした人間になってしまった。こんなことは幼児期以来毫も予想出来なかった。ここで私の好きな慣用句を引いて置く。覆轍を踏むという表現である。私は先人のやらかした様な失敗を多く回避してきた。そうして大概は成功出来た。結果がかのような類例なき人物なのですね。しかしどうしてそこに拘ってきたか。

 元元小説なんてのを軽蔑していた。友達のいない人の読むものだ。あるいは付近に流行の兆しのない様なコンテンツは世間離れを甘んじて病むにうくべき悪因と取れた。宛然差別的でしょう。自分でも辟易するんですが。ただ家庭というのがあります。私は三人家族の一人息子です。何もとうの昔の過去なのではない。依然として斯うです。面白くないでしょう。俺だって陰鬱になってくる。寂しい家庭だ。せめてもう一人は兄妹姉弟の類を加えてほしかった。両親に言っているのではない。当然!神にたまわりたく奏し上げているのです。

 いや神を一寸侮辱できた。皆さんの神はいずこですか?神が子を拵えるという原理に色色の否定が可能である。そもそも神というのは讃えるものであって人類の根拠には当らないという見方が又呈せられよう。自分は讃歌なら嫌いでない。心に空白の起ることが頻りであるから。何も想い到らぬのです。いっそこの身の健全を頓と発する言語に表わして祝福してみたい。その延長が思弁なんだがこれではどうも死んでいる。

 小説を書こうというのである。しかしそればかりやっている訳ではない。他はみんな已めてしまえばいいのに。どうも持て余すのですね。時間が沢山だ。いつから暇な時間を拵えては退屈に苦しむ習慣が出来ただろう。答えは答えがないということ。そう言っている間にも私は中性的になれてきている。昔から一方に偏った性別の表徴は時代錯誤の如く怨じてきたのですが中中これが人に言う機会を持せぬのだな。何か見て形容しようにも語の選択に困る。本当に幼い時分より斯うです。可愛いはちと甘ったるい。かっこいいは流石に極端だ。ものをどうことわろうとも自己の判断が要った。いや当に生きてきて驚き呆れる様な事態が思弁の内に絶えず反復されていたらしい。なんで?生来の暇人なんでしょう。大方そうなることが運命であったんだから仕方ない。

 忙しい奴はまあ義務に駆られてきたね。年上の方方は全く駆られなさっておいたわしいことだ。年下は知らぬのである。どうも付き合いを深められずにしまった。意外のことである。必要がなくされていたんですよ。同級に幾らも見受けられたは第一が他人との交通を増やしていく?私には全うに知れない。別に要らないじゃないですか。でも人は去っていくもので私などは関係をなくした人間が過去に大分である。初めからそうなるように期した関係だったみたいだ。何固より期してあってこその全てでしょう。現実の畛域より出づる程に私は空想の力をたくましゅうしたのではない。では現実とは何を遇したか。因果に尽きる。これ以上探究すべきことはないのだ。私に兄妹姉弟は皆目居ない。そろそろ来世の準備を始めても好かろう。この状態は永久のものなんですが私が死ぬから来世を生きられましょう。そこで本当の終りだ。

 で一体何がしたかったんですか?私にそう問うてみても好い。拒みはしません。たぶんずっと死にたかったんだとは考えますけれど。正常な精神であるがゆえにですよ。こんな言い方は人を追い詰める時に用いる。引っ掛かる奴が案外と居そうだ。私には見当つかない。いずれ死ぬんなら既に死んでいるだけです。何でも面白くしようとすると起伏の激しい情念が甚だ目についてくる。どうせ沈むのが猶も上げようとして根気で呻吟していなくっちゃならない。何も手に入りませんよ。だって第一にこの思弁自体が死んでるのに持続してるじゃないですか。孤立は斯うして実現する。いや静けさが極まって完璧だ。お前は誰だと誰何する者もいない。俺の方でも答えの用意を尽かしている。

 一寸別の道へ分け入ってみる訳です。他責ともいう。しかしねこれは私の退化するばかりの感覚を以てしても苦痛以外には帰結しないのです。だって親類縁者へ向って自己を評せしめようというのでお世辞の出ない筈はないんですしね。どっかでただの自責に飽いたんだろうがさてこの責めの字は質問責めであって刑罰の意味を示さない。

 私小説に関心があります。特にその親類縁者というのをどう書いたかにね。問題は中中萌えないということでこの萌えるというのがしかし危険な道でしょう。私は空想の少女に萌えるんですがこれが何か宛然として娯楽である。コンテンツに色色とあらまほしき表現の少女を見てきてしかし私がこれへの見識を深めようとしたためしはない。知識量のことです。沼の構造になっている。別に少年の頃に夢中だっただけのタイトルで十分ではないか。初めから分ってはいたんですよ。彼女らは性欲的写象に他ならぬのである。私が十代前半だかの頃予備知識なしで何かの同人誌をネットで見つけた際の興奮を覚えています。あれで精通したんでしたね。一寸した思い出になっています。

 どうにかして面白くはしたい。矛盾した奴だ。何世間や社会の方でも矛盾は抱えている。その所為で矛盾した奴が出てくる。これに猶も攻撃を辞せぬ手合も存ずるのである。成る程死にたくもなる。世界は歴史に説明されるんですが私の所謂庭訓に知ってきたのはしかし歴史に値しないものばかりであった。まあ分るでしょう。中中説明のできる親って存在しない。しかし無能であるから憎みはする。産む位なら納得させろという意味です。別にこれを根拠にして五逆が一をも辞せぬのだとは言われまい。自分は至極穏当を期しております。序でに言えば男に生れたのは災難に尽きましたね。

 いや男ってのは色色言いたい所があるんだが何せ歴史の中で専ら強かったのは男とされているでしょう。嘘でもいいから覆して然るべき定説であります。私の書こうとしている小説もまた主体としての女を努めて描写しようと考えてはいるのですがね。ああ偽善が始まった。今度はこれか。私はまた繰り返す。人生はあと何年ある?

 最後に偽善を説いて終って置きます。要は考え過ぎな訳です。

 子供はね突っ込みますよ。何処へでも突っ込む。放し飼いにするには忍び得ない筈なんだが世間の風潮じゃ当分はこのままだろう。私はたぶん幼時より発達していないんじゃないですか。語彙は一寸増えたかもね。で突っ込まれたくないと思うでしょう。何せ自分がそんな放埓に突っ込むんだから。ゆえに偽善を言い立てる。言わないよりは増しだという前提です。思想の披瀝だ。責任も伴う。嘘であれば信用がなくされるという簡潔な帰結を想定できる。斯う述べるのも私の言葉ですよ。生きた人間ってのは一向正常な判断をしない。精神に正常な状態は定義があるんだが事の善悪を神によってしか審判させずに措く。現代とて人間はひどく弱い。子供と変らないんだから。いやね子供だって人間なんですよ。じゃ人間だってみんな子供のままだ。そんな子供ばっかりの世界で言える言葉なんて偽善を題目とした内容でしかあり得ないじゃないですか。