青春最高・煙雨

はじめに

 

 こいつ等二作は確か今年に入ってから先月までに懸けて書いた。もともと公募向けにしか作はやらないが近頃俺の思想がもうこいつ等を拒絶し出している。要するにもうこんな馬鹿げた二作は俺の小説などと認めたくない。そもそも俺って奴は実家の親に対して口撃した過ぎて何をしていてもそういう気持とそれとを比較しながらする羽目になってる位である。もう日常生活に関しては生きてさえ居ればいい。本当に。

 で折角だし「はじめに」で此記事に於ける主旨とは全然別の世間話でもしようかと思う。世間話といっても俺の概況に過ぎない。しかも俺としても変化の無い生活には辟易するから俺の恣意によって滅茶苦茶に変転し続ける脳内から繰り出されるだけの内容であるが。扨て。

「逃げてたのか同じ毎日から」「忘れたいのかあの思い出も」

 これは有名なポップソングの歌詞でまこと此俺の現在と同じなのが俺を驚かすが中二の頃珍妙な面子で地元のカラオケ屋へ行ったに際して劈頭第一俺が入れて独唱した歌でもある。

 というのは管弦楽部の先輩(女)二人に俺と俺の同級(男)が二人という破格の組み合せであって爾来俺は親以外とそういう店に行ったためしは無い。大橋が田中君と其先輩二人とで明日行くって言うんだが俺はそれを聞いた時大橋と二人で秋の宵の町を自転車で併走していた。甚だ腹が痛くって思えば当時の俺は常に胃腸が滅入っていたがその時はひときわ自覚されて来ていてそんで俺の判断は鈍っていたかといえばこれが別に普通であった。俺は甘えで動いていて目前の展開に乗ってしまったのである。

 でこの大橋というのが本当にひどい奴で勝手に誰も歌えん様なボカロを入れて「○○(俺)が入れた」などと大嘘を騒ぎ出す様な奴であった。俺はその時もまだ腹痛だったのか知らぬが特に反論も出来ないままそれを独唱させられる羽目になり全然歌えないという様な沈痛もあった。

 まあでも劈頭第一に珍妙な歌を入れた俺も悪い。俺は変な奴みたいになっていたのだ。

 所で俺の小説はやはり見返しても沈痛が勝る。それというのもそもそも精神状態の悪い時期に書いたやつな所為かと取り敢えず思うがまずツ○ッターという危険な遊びをやっている俺でもある。こういう意味不明というよりは吐気とかイライラとかを催す出来になってしまったはこれもまた沈痛であるが時間を無駄にしてそこそこ巨大な反故を残してしまったなどとは俺でも信じたくない。

 

青春最高

 

   第一部

 

     第一章 笑声唯だ雷の如し

 

 宮澤秀という男は彼自己の心の赴く儘に生きればそれが則ち他者を遍く幸福にしてしまう才覚の持主である厳然一点の妙によって独り特別である。それは概して彼固有の愛嬌による益ではない。傍見により面持を思い遣って観察して看れば誰しも彼自己の甚だ凡庸でありふれた卑俗性を看取することが出来る。私が独り彼自己というを斯くの如く定義して今諸賢に提示したは全く私自己の先入に心得た我意だけを用いるのではない。

 近頃五十代になった中井累は彼の前途洋々を面白がって顔を合す度に洒落のめす。独り感傷中年は場も時も定まらざる頻りの出現を以て往来へ現れる。今朝若い方に当る制服姿の高一男子が先方より蒙る何の因果とも附かぬ絡みへの受け流しを工夫する筈のものを気まぐれな彼の自己に込めた決定あって一息に突っぱねてしまった。

 嘗て出会う季節を彩り未だ散り敷かれることの無い桜が足腰の要る坂の脇に並木である。舗装された斜めの地面は乾いた儘である。わが習慣の登校を上るに其門前まで来て冷然とした態が人には知られない。固より非人情の彼は閑静其物の道程を快く通る。先刻永遠に駆逐した中井累の事は既に頭に無い。どうも印象に残る寒色の褪せた被り物をして居たがあれはあの開陳欲求その年齢なるの度を越して甚だしい畢竟奇怪がるべき性癖に当方秀をして想い至らしむる。この日は又それを聞く羽目になる所で劈頭乱麻を快刀に附して気分を好くした。これまで黙過に次第の蓄念をして流石に限界で高一男子は口火を切った。さてあれを討って新たに席へ着く無人の教室の定刻は何か大層清らかで浄化を承けたかのように気持ちいい。

 暫くの間始業を待つから身を凝らした儘頭を空にする。照明を点けない此定刻には場が独りで占められる特権意識を得ては一階の窓の薄く明るくする高揚感で感じ入る。どうこれを存じても結句準備を終えた我が身をのみ構えている。彼自己の居るのへ移される視線など今時分にあっては考えられない此時である。

 実際は彼の知己新田勇により最初職員室より調達の鍵で扉が開く。新田勇がいつも別の教室の私大野蓮へ毎回何かしら報告を遣りに来る。其度聞くことにはやはり宮澤秀が例の才覚で人生謳歌を現に続けていることを認める他なくなる。独り天稟の素質に恵まれ何か平生から超然とした彼は近頃私達を意に介さない。我々三人は仲睦まじき所ある手合の筈であり小中高を貫いて同じくする縁である。知らぬ内に三人が三人とも性質を異にした。私は身なりを留意するに甚だ倦んでしまい極く蓬髪で居る。新田勇の方では大分中性的な前髪を可愛げのあるように蒼白い頬へ添えたような爾来同級の女子から好き好まれるという風采である。宮澤秀は何か全く感想の遣り様の無い簡潔な短髪である。今個性というをこれだけ別とした古い知己であるは中々喜劇的である。何もかも展開する前である所の春という季節である。世界は三人にとって巨大な虚無を意味する。

 十六の半ば少年にして半ば青年たる我々は早く社会上の甲斐ある位置へ就きたい。金力を十全にしたくて経済的自立を目論むにこれは行住坐臥稼ぐには如何にしてかと暗中の模索をし造次顛沛に至るまで現行の受験対策というものを心より持て余す。結句小中高と順繰りの進展をして其内の余暇毎の平穏を全て此模索すべき暗中にのみ没し入る所と為して来た頭がある。私は何故人の生存を義務とし得るものか疑問で居続けており当今に在学したる此高の場も進学を旨とした学校ではあるが内心此処に於て善く生きるとは如何にしてかを知らず固より其善さの尺度というものも甚だ臨機応変に下した断案から当時にのみ即した概念が適用せられよう以外を頓と見当の附かぬ社交場である。何も私が此処に於て昵懇な知己を増やしたき心持などを持つ訳ではない。独り推量の意に決してあるは唯だ今の年齢の若さなど如何にして将来の稼ぎを社会上での生活を整備し得るものかと懸念を内に蔵して引き摺るばかりであろうとの私的理解である。

 諸賢の察する所としてそれなら年齢相応の何か学業の他にすべき活動営為など取り組まずに来て当の諦観に至るは不自然であろうとの意見があろう。それは現に今語り手が話そうとする事件の事よりしては別の事件であるを幾つも我々の方で経て居る。そうして当の教場を部屋で区分した場へ我々が集まる。成程一先ず頑張って大学に進学して見ようじゃないか。併し其経過を体験しながら心身の方では皆手ん手にばらばらの態を変じて居る。これに於て当方私はと云えば全くなし崩しに都度の人の機嫌を取りながら成るべく楽して面倒そうな時期を逃げ切ろうとしか持たぬ本音である。私の親と親戚とは神より恐い。如何せん生活費があすこから出ているのだから幾ら嫌いでも先方の指示は定めて絶対である。孰れ機会を見て絶縁したい位だが此嫌う理由を知ったら諸賢は甚だ意外だろう。顔を合すに大抵展開すべき世間話というを飽くまで無地の壁を見詰め続けるの如くに一切が退屈な所為である。大人の話は何故斯くも詰らぬものであるのかこれも中々疑問になる所である。諸賢の方でも所謂家庭というものには千思万考を余儀なくせられて来たものか知らぬのでこれ位にして置く。

 年齢相応には規模の小さな挫折をのみ経て来た筈であると諸賢は懐疑的であろう。それで金力の十全に思い悩むなど恰も杞憂である所の畢竟今気に掛けても仕方の無い懸念を心情の底から哀しく問題に取り挙げて現に在る現実からも本来存ずべき実際の未来からも逃避したき願が起因しての模索したき暗中であるとの批判になろう。併し人の扶養にあって人生のあらゆる面を観想したき念が胸中で募り募って来た儘で今現在にまで至って見て我々が知る所として来た感情は甚だ多岐に及んで亡羊を認め万事塞翁が馬たる人間の行為孰れに我が労を冒そうにも甚だ心理での翻覆と精神への打撃とを蒙るべき多難が前途であるを個人自己の尊厳に於て思わしくなく私的理解に得るを不可避であるとして相違無き次第である。これで寧ろ当の懸念には全く例の社会上の方での保障をあの世界の側から承けてある所為で斯くの如く思い悩ましき鬱屈であるのだと諸賢の解する所となろう。但し此故にと云って我々当世代が感ずる心持をこれの所為であるとは肯んじ難いと当方の意見でも妥協する。私の場合で云えば私の鬱屈は何か急に迫られる我が義務とすべき職業を自ら選ぶ局面が今現在の時から孰れ展開すべき筈の所を如何なる仕様に形作ろうとして意を用いても須らく波瀾に揉まれ喘ぎ苦しむ困苦であるべき次第に尽きよう此先が甚だ恐ろしく深淵に臨む境涯な訳である。今私の全ては実家から出る金力に賄われて居る。孰れ縁の絶ゆべき実家より示唆せらるる此後の我が生存の条件は又敵である。蓋し世に生れ出でて以来の親類縁者は神よりもひどくむずかしい。

 中井累の開陳欲求を一言で覆うに青春最高との主張を毎度繰り出して来る按配である。此中年の感傷で平生より陶酔に惑溺して他方人の世を拗ねて且つ社会性を欠くべき素振までも我々を驚かした中中に態の変じた彼は将に町をして服せしむる春の陽気が舞い込んで以来恰も標榜せる善と悪とが手を取り合う営業の二者これは結句時節の結構と新参の癖者とを存じたから承けた言語に尽きない登場で彼が現れた。諸賢須らく昨今の携帯電話で得る情報により知る人の顔の定めて少なからぬ故なる千態万状で幾つ見知らぬ誰だかが生きた軌跡と会して見得たかを想起に挙ぐべし。これを現実の方で人へと勝手に取り成して我々の方へと臆面も無く出て短からぬ間の交流を強いた彼というに彼の内発的の動機ありし所以で件の如きはある。

 実際には名も名乗らぬ者で唯だ不審の態に尽きる。併し人であるから私が彼を中井累と呼んで置く。新田勇の方では関心の無い素振に附して彼を黙殺して来た。宮澤秀の方では頗る心軽く彼をあしらって其奇行に我々の宛てらるること易きよう封じ込めて来た。それで今私が結句如何にして此容喙者の件を約めて言うかと云うに先ず気に掛くべくもなき当の中年男性の質の粗い絡みを些か度重なりてやはり許容して置こうにも限界であったから宮澤秀の例の思う儘に対処した彼への真向いより宣したる言による止めが刺された訳である。扨て容喙者であったは全く我々の時間に介入したを以てである。

 時に此累自己の方で或る座を提供してきた日もあった。初め顔を合すのも二度や三度の域を出ない時分なぜか彼の勢いづいた足取が全く行先からの彼の到来を求めずにいて出くわしては踵を一斉に廻らす我々一行のあれは暖かく茜色に染まりゆく町景色を皆背にしていたから下校の途であったが何やら必死に口説き文句の世の諸相多面に渡る言及など騒ぎ独り声を上げて延々とそれも何か聞き逃すには俄然措くべからざる意を含みそうな話の着地すべき落ちの用意を其語り口の筋に見出せなくもない畢竟詐術の益とも附く働き掛けから半ば信じ半ば疑う所の彼への評価を持って置いて結句当方の誰にしても暇であったからして其誘い導いて行った外装灰色濃く石造なる公民館へと漫然儘よと硝子の自動扉を潜って館内の廊下を歩く。

 累に関して記憶する所で私はこれを最も印象に残った案件として置く。他の同級二人に問うて所見を窺えば勇は則ち覚えてないと云い秀は則ち其後で大分定刻より遅れて就いた帰路に断然平生の定刻では会うこと能わざる手合と顔を合したとのそればかり彼自己が重大とした事件だとして私に其思い出をのみ述懐に云って来る。これに於てどうも三者三様で此時間というものを認識していたは全く瞭然とした所と為る。結句長く時間を取る羽目になるは何の所以よりしても私の価値観からすれば印象に残ったとすべき案件な訳である。

 或る白い一室に卓の向いから独り彼が開陳欲求の儘なる甚だ彼独自なる講釈を垂れた。我々の知らぬ抽象論である。そもそも何処から現れたのだか判然としない宛然烏有先生として彼とは別の日常に生ける新高校一年生という社会上の位置の我々へとそれも如何にして我らが生活に応用すべき論かの説明もない抽象を云った話であったは今にして思えば先方に対して恨めしくもある程の時間の無駄である。尤も今高校の授業にしても私の理解の遠く及ばぬ領域を学するに恨めしきは似た心持である。理系科目が最近何も分らない。

 人には恥ずべきことである筈の領域を彼は簡単に口に上した。揚揚として其意気に自らの為す所を信じて疑わない言葉附きである。それは彼が嘗てしたという若き日の淡く湿り気を滲ませて心象に色付けた懐かしき恋の話をしようとの劈頭第一で宣した結句全話題を先ず提起する切り出しとした発言に顕著の事である。

 流石に彼はそれを世故に背かざることを得ない。或る一面にのみ集注して云うことを展開して行ったから抽象論一箇にのみ終始した訳である。それは此世界其物というに或る一人の他者から無際限に我が自己の生くべき境涯を押し広げて往けるとの表明である。其唯だ一人の他者は彼にとって全くそれまで思い掛けなかった何か運命の恣意に従って当の彼女と決ってしまったのだそうである。独り彼女が彼自己の世界総てを厳然それに限る一様式によってのみ生きられる所と為した其機というに果して何であったかが全く運命の恣意であったとだけ彼は断案を下したのである。

 今度の朝に我が知己の秀が払いのけてからというものあの場違いな被り物の感傷中年は誰も見ない。きっと此町を出たに違いない。我々三人は家が近くて徒歩で通えるからと云って今の高校を選んだ。実際にはそれ以外にも此処の条件で好き好んだ点は幾らかある。かの烏有先生の如きをのみ全くの出し抜けに関する所と為った人間であるとして置こう。一つ彼の事で引っ掛かる事がある。それは彼の笑声唯だ雷の如しという厳然一点の妙である。無根拠な笑いの多さが人をして苛立たしむる彼の怪しき特徴であるが彼は決して其自己の他にある現象によって我が言動に一貫すべき信念を曲げることがない。そうして発する音のよろずを定めてかまびすしくする。

 ことによると此笑声唯だ雷の如しというは彼が自ら誇る過去の恋愛とやらに何かしら因して今だに尾を引く彼の性質かも知らぬことである。独り空中を目して何か一言呟いて見るなり周囲に構わずそれを鳴り響かし出すに至っては甚だしい。

 

     第二章 忽ち吐気催して堪うべからず

 

 ネットで知り合った男と会う。晒す訳にもゆかぬ住所は伏せて置くが首都近郊の自宅へと夜の家路の静けさよりも胸が騒ぐような独り此現在を興がって時に小走りで進む程の折しも彼がかの一階の玄関前に仄暗く独り佇立する様を思い浮かべたは彼女の妄想。扨ても斯くの如く人目を忍んで急ぐのが予てより恋恋たる思いで好き好む手合のあの我が同類に早く顔を合せたいからであるは純情可憐。併し世の人は薄情なもので若い二人を恐らくこれより何かしら淫する涯際へ極むべき局面と思うだろう。其推量を止すが好い。固より此文脈は未就学児のする遊びと変らぬ集いとなる規定によって立つ。

 柳もえには或る意を決して今度の示し合せを約束した所がある。それは近頃将に互いの現前を以て平生の液晶より出でて我が他に同居人も居らぬ未だ異性を呼ばず嘗て憧れて已まなかった自由其物を体現すべき一室へと彼と会せんと欲して部屋を此日の朝から掃除して置いたに彼への気配りまでした事実が明らかである。芋の加工をした菓子の如くに形薄く質感に硬さの見受けられる鋭い三日月を背にする所と為して二人が実際初めて対面したはハンネに「逆鱗」と名乗る彼の驚くべき無節操めいた荒れた髪型が際立ちこれに呆れる柳もえのそれでも淡々とした極々余裕という体の親しみを向けた苦笑が中々客観的には気の毒な様が蛍光灯のぼんやりと其頭上より照らす風情もあってまあ丁度これからの楽しみへの懸念は無く結句ひとまずは其私的領域へと招き入れる彼女の甚だ甲斐ある心持が所謂此世界に彼とふたりきりで過ごせるようで嬉しがる趣な訳である。

 似た者同士というは話が合うからどちらの思惑に沿うて持ち上がった現に交々で意見の合致を見ない論の主題にまで発展した話か定かでない所である。断わって置くに此蓬髪が何の故からして逆鱗などという名を名乗るものかというを此もえという女はまあ今彩色純白にして大人びたカーテンを閉めた時深更に至る家具に本棚の一つばかでかいのと寝台と作業机位しか客の細める眼よりして視認に得ざる場の即ち衣類等を押入れの方で仕舞ってあるのだろうと推量があろう実際に主客窺い合う程度を措いて何よりもそもそも人の世で人と生きればそれが誰しも則ち角の立つばかりで心苦しい其日常の常軌から逸したく当然不問に附し其名で普通に呼ぶだけの諧謔にしている此空気感が第一に愉快な感情を生んで重畳に過ごせる。

 照明は隅まで届いて木目のある床に敷物は無しであった。

此男は小中高を疾うに修了して其過去へと我が感想を呈するに概して定説の決った後の頭を持ち恐らく年齢が一致していよう此正確には何年の付き合いだか分らぬ見知らぬ筈の朋友の女と結句好都合である。

 併しこれも話が合ったからそれより先の展開を彼がこの後還期に至るまで見なかったは何か色気のある事である。人の肌や体温に触れて慰撫し合っての心身で得る恍惚は如何に若く昵懇らしき手合と雖も強いてどうせ死ぬ運命にあることよりしては甚だ稚拙であるに過ぎないとの決して揺るがぬ通念がこれもまた介在していたは果して彼自己即ち大野蓮の過去にも誰か一緒に共有したことのある知己を例えば彼が留意せず記憶に存ぜずでしまったに於てでも得ていた体験は経過に見ただろうか。其件を詳らかにしない。扨て或る主題を提言に起して長く深い杯盤狼籍に至る時間である。それは彼が今生を徹して忘れないという古い馴染みの宮澤秀がかの高一の時分で甚だ傍観者からすれば興がるに価する大衝迫に激した件である。

 ここで人が他人の話をすることを評して置く。固より自分の話をして気分が好いとすればそれは丁度其自分の話をすべき局面であったからである。他人の話に於ても同様である。蓮は生来心掛けるに利他主義というを自他に益あるものと解してそれが人と交わるに定めて其場に居ない人の話など止して置かなければ何だか当人に悪いとの固い自説を持った。何故なら彼の親と親戚との方でつまり実家の人間関係の方面で斯くの如き概念に嫌気の差す状況下が屡々あったからである。これは日本文化に付き纏う概念である。彼の父方の姑に度々である其息子の嫁を裏でひどく罵るみたいな醜い風習がまるで正当に咎むべからざる日本文化の伝統を絶やさず現存して将に体現したるの堂々たるを以てそれも彼からすればよもや自分の肉親たる此連中がそんなというショッキングな感想を心情の底より引き起し幼かった時分など沈痛だったものである。偉大なる伝統という名の権威を笠に着ての暴挙であると彼は解した。やはり生来の持論で利他主義があるから彼自己のこれ程直近で恰も己の周りだけ風通し良く好きに思う所を開陳即ち其場に居らぬ人への罵言など交し合って可であるとの思想表明たるそれが現認に承くべき所と為って居たは彼が人に関して考える仕方を宜なるかな断然複雑なものにした。

 それゆえ今何の憚りの念も無く其暫く逢わぬ知己である所の秀の殆ど私的と云っていい物語など此座につくなり口に上して二人論ずる主題にまで為し得たものか実際には甚だ錯綜したこれまでの彼の内的展開が因する訳である。唯だ外的にはもえに知らるる所と為って何かまずい点などある訳でも無し単にかの友人の物語は場を盛り上げるに供せられただけである。彼のする事の基準よりすれば昔の彼であれば止した提言を起した訳である。それが何の故か此段に至っては寧ろ秀を想い起し懐かしく当の現在の心安らぐ伽をする相手へ伝えなどするは彼の良識からしても心情の底から可のことである。

 あるいはもはや直感から我が自己の倫理を通底する論理上の妥当性よりして破格に過ぎる言動が取れてそれがこれからの未来に結句依然として生きる自分をして大いに利他主義者たらしめざることを得ない筈であるとの予め存じた理解が得てあったからだろうか。真相を窮めることは措いても彼の実際にした破格は決して現今我らが人の世に於ける尋常を地で行くような人の素振を見せたのではない。

 孰れの季節であったか宮澤の昔からの同級の女子だったという北崎が官能的変動を其態度や物腰に起したことで知られた。これにより彼女が或る種神聖な信仰を一身に承けて所謂美少女の象徴としてこれを偶像視する界隈が出来たまでが従来の此人物の定めて転ぜざる所を革新した展開であった。これに至るより以前は彼女を同級に存ずる女子として其短を捨て長を取る偏愛とも評が附く恋恋たる思いを以てした事実を措いても内心善く通じ合って交流が出来たは唯だ彼に限った上其厳粛に我が現前の物と対峙し続けるような彼女の居住まいと佇まいとは宮澤が古くから知己とした新田や此大野よりしても画然別世界に生けるの如く現存の人としては認知出来なかった。

 此話を聞いてもえが思ったはまず人物が皆姓によって呼ばるる不自然な語りである。こうして何も知らぬ者に人が過去の小中高を共にした人物を呼称するに際しては何の故か姓によってであるは世間普通として定めてであるとは肯んぜない。併しこれは全く喙を容るる程の案件ではない。聞き手が第一に気にしたは此逆鱗という男が頻りに当の話の結論として強調する其知己宮澤の翻然人格が結句人に対して遠慮がちであり続ける性質へと卒業の日に至るまで別人と化してしまった悲劇的な落魄である。

 誰しも覚えず気遣いが須要のものと直感させられる程に人の世を生きる活力の甚だしく減じた様子だったという。逆鱗曰く我が知己の中に平生を騒然として経過し日毎に新たなる諧謔の技法を心身で練って其生活の満足としない者は未だ嘗て皆無であり此宮澤の如きは当に北崎が不意の万人に受ける婀娜っぽさなど身に着け出したからこれは明らかに宮澤自己をも対象とし得る此世の誰か彼女の他者を此苛烈な魅力によって其禁ぜらるべき領域へと定めて誘い入れる厳然としてある趣がそれまで宮澤に無かった或る恐怖を即ちあの尊い過去の破壊に衝き動かされて胸中に生む大衝迫を以て甚だ激した異常よりして大事になったという。

 もえの懸念したは此語り手が時に素振へ示唆を見せる其内心の驕りのささやかな暴れ方である。本当は何か壊したがっているように彼の面持への看取が出来る。宮澤の妙を伝えようとする必死の言葉附きに含意が甚だある。俺は此男の事を余す所無く了解しているとでも言いたそうな口振である。これは何かに取り憑かれている。

 曰く宮澤があの運命の日に学校の廊下で彼女のあの姿態を見た瞬間忽ち駆け出して誰の視認にも得ざる方面へと消えて行ったは即ち吐気を催してそうしたからだろうという。これは逆鱗が当時定めて其知己宮澤を観察していたから目にする所と為り得た件ではないか。

 扨てもえと逆鱗は同類である。それを実証する論拠は一つである。どちらも私的に人と居る時にかの電脳へ通ずる端末を触る事が無い。

 強いて微笑んだ儘で彼へと慈しみ合おうと試みるだけに見えた此寛大な性質にして今宵の時が尽きることへは冷淡である彼女は唯だ一言にのみ彼への反対意見を述べた。それは人の青春を面白がる感覚が理解出来ないというのである。

 此一言には返事が直ぐ返った。即ち友達であるからである。成程北崎涼というあの女子生徒は小中高を貫いて同じくしたものの其存在を善く知って深く昵懇であり続けたは確かに宮澤だけであった。併し俺は北崎のことを語らない。現に知る所である宮澤のことだけを語っているではないか。あの男は良い気になっていたのだ。俺も新田もあいつの人格の根拠を其決定的な体調不良へと喘ぎ苦しむ所と為る日まで全くごまかされていた。北崎がそれを裏付ける根拠であったのだ。こう現認してから世の如何なる天稟の素質を思わす剛毅なる超然とした猛者も必ず何かしら弱点があるものと思い定めるようになった。実際に宮澤が我々を知己として此知己共有の英知たる方法論を心得るに益したは又彼が知己である所以の一つであるというのである。此方法論こそが彼の意味の中で最も重く見るべきである所の此彼自己が自ら実生活での其自己の感性上の実践から獲得した金粉玉屑であるというのである。

 彼自己の方では唯だ其自己の所有に於て甚だ喪失であったに過ぎない経過を見たかもしれない。大野蓮はこれを踏まえた上で彼に同情などする訳ではない。第一彼の体験は大野蓮の方で得た体験ではない。併し此青春に於ける達成は結句即ち其方法論を心得た唯だ一箇に尽きる。彼自己の方では甚だ吐気に絶望を覚えたかもしれない。併し其身体上の不快は当人の悟性に於ても其後此自己が何より留意しなくてはならぬ其心理上の弱点を善く自覚して置く好い機会になった筈である。

 あの男は北崎を家族の一人として認識していたのだ。人は生れながらにして我が家庭というを持ったに際して必ず不満である。誰しもが定めて其本当の家族というを探しに此家庭より出る。併しそうして分らされる事として我が自己が其全くの恣意による私的理解から其本当の家族となるべき存在を此人と断案を下す。これが即ち人間の原罪である。

 北崎の起した唐突な官能的変動は或いは結句誰の為のものとも附かぬものであったかも知らぬ件であるがこうも傍若無人に婀娜っぽさを周囲へ振りまかれる所と為っては困る手合もある。それまでは目立たず際立って目に入ることも無かった彼女であるが当時教室を同じくしていた大野蓮の方では確かに其存在による心苦しさを存じた。覚えずふとすれ違うに馥郁たる香りを承けて少なからぬ印象を残す。強い衝撃を与える女のたおやかな体の曲折が忘るべからざる記憶として心象で持続して行く。これは宮澤の知己である所の同級の女子ではない。甚だしく女であるとしなくてはならない。既に宮澤は大いに悩まされる所と為った後である。

 思うに其悩みは全く意外な自己を心より持て余した結果ではないか。此青春というは唯だ異性の持つ異性としての魅力に訳も分らずおののかざることを得ずそれも其異性が恰も此自己の方を何かの基準で試すようにして決して予め知る所ではなく其真に新しく其独自である所の其時未知より既知へ至らんとして体現に見るをこれは今やっとむき出しになった現実かそれともこれまで見て見ぬ振りをして来た現実かと孰れであるとの断案を下すか迫られるのである。女は既に同級の女子ではない。唯だ此表情の変化に見覚えて吐気までしたは宮澤だけ。

 

     第三章 重修不埒

 

 堀木魁人は此小説の作者である。

 近頃彼を知る者の前に彼は全く現れない。一部では既に死んで久しいものと噂されている。彼に喙を容るる触発が彼はあの小中高の時分に甘んじて受けた体育の授業とも思うに得紛う程の弊害な所為である。此死亡説を聞いて存ずれば彼は寧ろ小躍りの筈である。

 併し固よりの殊域遮断である。実際先方で当方の存在を其気に召すまま仮定の説によりかまびすしく貶すれども瞬時に過ぐる其場を以て独り創作家の方はなお自分の頭の中に此無時限にして想い起されて来る連綿たる言葉附きを已まぬ災厄と心得て結句これ位の現実は我が平生にあって従わんと欲する内発的の意をやはり決して置くにのみ附す規定である。現に在る今は何事も過ぎない。独り措辞の妙を重ねて案ずる。成程此自作の文脈に辻褄を合す推敲を厳しく脳髄の集注に射る或る一点より揺るがぬをこれに語るべき物の展開して話となる我が現実として語れば則ち彼自己をここに此小説の作者として存在に立つ個人とは誰しも易く量り知られる想像ではあるが併し如何にしても其呻吟を決め込む場は彼が単身で自ら嘲る如くに人から嘲られている。此男の本質は孰れ何事を現前に過ぐるなり横目で鋭く視線に射ようとも当に心眼がなべて記憶としてしまい又機会に即して述ぶる際まではこれは唯だ時間が一切として過ぎただけであると諦めて黙殺で終えるだけである。

 幸甚の事とも取れる天稟の素質めいた思い切りの好さが魁人特有に見せる其事前から言葉附きを定めた発言の数々から明らかである。遠い昔の記憶に彼自己でも認める堀木魁人として人から遇せられた幾らかの日々が今だに残る印象一箇として過去である。流石にこれを抜きにすれば自分が此現在の自分ではなくなる筈であるは瞭然としている。其直観に知る所の次第は彼が平生のうち何もせずにいる間と来れば将に不意の想起よりこれを我が課題として言語に折り開き誰かへ言い聞かせるの如く述懐し出す所と為るに顕著である。

 扨てそれは或る日のことであったと何か切り出して寓話の意味合いのある話を伝え自己に心得る見解の披瀝である。即ち如何なる主題のものであれ其場合毎によりそれを伝えたき相手は全く別である。あの高というを措いて小中に一旦強制力の妙を挙げてこれに検討すべき件である。中々あの高にまで至らなければ自ら選ぶ境涯ではあり得ない。まず学年の別により立場上の別で按配がありそして生徒数の多さにより宛然多重人格の自己を演ずる羽目となるは何故なら誰とも公平を期すべき社交場を存ずるからである。高とも来たならそもそも学校領域を脱け出た社会上の自我を多少自任に持ってある所であるからこれが小中までとなると甚だ平生が多重人格である。

 実際には関せず直接の接点を持たぬ筈の者であれ知る所と為るからあすこを心より恐ろしい場であると私的理解に附してある魁人である。これに於て高の方はどうだと云うに何故かこちらの記憶の方が人物の誰しもを古色蒼然とした没個性の者に尽きると断案を下すが何も高に知った所は厭う世の人と差別した訳ではない。義務教育の九年を些か嵐であり過ぎる渾沌の場に過ごして辿り着いた学校の高というにまさか単なる詰らぬ無風であるとは納得が行かぬ心持で不満は一応ある感想である。扨てひとまず自分は小中高を終えた。

 これが邯鄲の夢であった。小中高の孰れに居た者とも付き合いが絶えてから爾来酔生夢死を世故の掟と独り決め込んで居る。それは酔生夢死を生の前提と心得て置けば全く利他主義に傾注し切って今後行為出来るとの論理が彼の手に成るからである。

 自分は正確には人と生きた事が無かったのだ。そうしてあの自分の家族というものを此現在に於て探す最中である。

 独り創作家の自己をのみ存在すべき自己と彼は認める。そうして自分の家族が書きたいと思って居る。私的理解では人が出会う誰とでも心に懸隔の無い交流をすればそれは人が我が家族と接するのと甚だ近似して和やかなことである。併し其予め存すべき我が家族というは頭に設定してそれをして存せしむる必要のある対象である。

 人の生まれに須らく血のつながった肉親を直観すべきではあるが併しこれは徹頭徹尾人が不自由に現実から認定すべき圧を強いられるばかりのことである。だから大野蓮という男をくどくど実家の悪態に難ずる人物として置いた。我々人間が何か最高の関係を他者と築きたければそれは先ず疑似的な家族を体現しなくてはならない。あの義務教育の場たる小中ではそれが繰り返しかの国の原則により教示せられた筈である。此教示は将に人の集団生活の最高の形態を我々に善き方法として示され飽くまで真摯に教えられたに結果して即ち誰とも公平を期して置くは我々が人を重く見るに此上無き関係である所のあの家族と共に在るに際しての有様を体現して成就する。

 魁人は考える。まず自分が異性に対して恰も殊域の人と対するように感ずる心持を顧みて何か妙であると思う。これまで生きた経過に総じて我が異性の登場人物は単に女というだけであった。それを孰れも形容によって一体どういう女であったかと限定をほどこす。

 併し性別に配慮した見方をして創作家としての蒙が自ら啓かしめ得て其奥義たる一点の理を窮むることの可となるかというに併し固より何故かあの恋愛というものに意義を推してまず彼は甚だ冷淡になる。そうして男女間の友情というにどうもこれへは懐疑的である。そもそも人は其相手が同性であれ例えば言語に絶する孤独感などより来襲を蒙る折しも不図飛びつきたくなってしまう情動も皆無な訳ではない。それで相手が異性ならば其始末に於ては寧ろ都合も好い。

 小中高の共学であったは彼に幾つもの示唆を供して与えた。此順繰りの経過の中で自分は兎に角唯だ自分であるとだけ確信が得られた。諦めとして知ったは知己となったを誰しも自分と対等であるといつも必死に牽強付会して其結論へこじ付けようとしていた全く彼自己の考え方の癖である所のその負けじ魂である。そもそも人と人とが完全に対等である局面など歴史に一度として実現したことが無いのだ。其歴史を現に在るあの世界という場で未だ嘗て其繰り広げることの已まぬうちに又体現している。併しあれは彼自己の方からすれば余りに懸隔のある誰か一人の他者の如くその存在が遠い。成程あの世界という場から我が認識を総じて得た。併し結句あの世界というは唯だの虚無を意味する。何故なら人は初め虚無である所に世界という情報を注入されて其世界での生があるからである。世界のある空間はこれからも新たに世界であり続けるからには此永久人間界より観ずる対象としてやはり固よりそして依然として虚無なだけであるとそう魁人はこの世界など虚無しか意味しないとの断案を下す。

 これで概念を全て酔生夢死の我が態よりして此当の邯鄲の夢へと踏み入りそうして述ぶべき何かそれも案件として成るべくその言葉附きに知って快楽の持続する対象を見つけに往こうとする行状である。

 但しそれは持続すべき快楽を求むるというに唯だ我が言語に尽して我が言語に知る所を須らくこれの作者として此小説に体せようとすべしとの内発的な直観に存ずる我が誠意が其儘彼の快楽な訳である。

 やはり他の人間が自分ではないという事から考えなくてはならない。自分一人では目にし得る光景に限界がある。併し何故此処迄自分以外の人間を皆自分に非ざる他人として割り切り全員其観察の対象であるとして存在を達観することが可能であるのかと思う。一つにはまず今まで所謂心が折れた経験が無いからではあるまいか。例の小中までは誰もが遊ぶことで自己を体現していた。それが高の年代からは金力の概念への意識が決定的に違う。働けるようになるのもあるだろうが俺は人生初の受験が高校受験で小中高は孰れも公立であるけれどもそもそも小中までは甚だ漫然と生きていた所でこれと云って将来得するとも損するとも取れない全然何者かであることが出来ない時間を人は強いられるのではないか。そして高からはもう実質未成年に非ざる位置になろう。併しだからと云ってやることは変らない。本当は人が他人と違うなどということは無いからだ。

 人物には必ず類型がある。義務教育までの段によって大体これ位の類型に当て嵌まるとの対象化に人を附す。それを当人らも自覚する。こうして孰れ金力を獲りに出るべき社会上の位置が様々であるを応用して其内に適材適所を可とすべく人が放ち遣られる。固よりこれに適すべきとする所の類型で人物は出るのだ。それなら俺は今一体どこに出ているのだろう。魁人は類型に収まらぬ人物である。

 彼を世界が破格と見なす。これは暴力である。併し破格であることはそれを蒙っても仕方が無い程に特別であることを意味する。刺激的暴力を蒙った頭で一つ思いついた事がある。即ち自分こそは此自己の境涯にあって独り実在の人物を小説に写すことの可能である所の創作家である。こうして彼にはあの人間性という偉大なる概念の益する所により胸中に生む畢竟他者への征服欲求という強い情動が彼自己を駆る所と為る。

 扨て考えを進める此段にまで来ればまず気付くに則ち第二章に存ずる柳もえという女が初めに虚構上の人物の最たる所である。

 此一つの部屋に大野蓮との密会をしたは魁人が予てより現実にうわの空である態の頃屡々妄想する事でありこれの如き好都合の手合同士で人が会うは将に其人の快楽の此上無い境を体現する訳である。生きる行状の内に余暇を蔵する。それは必ずしも生活に須要であるとは言えない間隙の時間を此現実に享くる時である。そんな現実の間隙毎を縫って当の現実に見受けられる所の此未来へと展開してそれに脈絡を存ぜようとしている自己がある。此自己により妄想を其人間性に由来する事業として修めて彼女の様な類が虚構上に存する。

 斯くの如き人物を実在はしないと定めて心に決め込んでしまう。これは所謂建前である。人に本音というを悉く聞き出し得ること無き体験を魁人は記憶に持つ。人は定めて幾つかの世界を其内に蔵するものである。然れば須らく自己の外にある殊域という場と此自己の居る世界とを区別すべきである。或いは全く別であるとして自ら遮断して置かなければならぬ規定かも知らぬ難所がこれである。結句我々は此現実への私的理解を概して其全くの恣意により成るべく面白く物語と化せしめて心得て置くものである。これを人は其個人の尊厳として内に蔵して居る。人生に於て其主人公を此自己であると固く認めて其規定にして置くには第一に其物語が必要であるからである。

 併し物語とはなべて過去の領域に属するものである。本来人は絶えず未来へ進行する時間の流れの中で生きるのに其厳然一所に揺るぐこと無く存し続けている物語とはいったい何であるか。これが即ち青春と呼ばれるものである。人が青春と呼ぶ所のものである。そうして考えれば柳もえの如きを其例の伽というに会して談ずる場など設けたは将に青春の時節を其処に得んと欲した二人の一大事業であった。

 世間普通では一回の会合などを大した出来事であるとはしない。それが併し人の若かりし時分というは何だか皆創作家じみていて如何なる手合であれ今生に一度の機会と心得る。そうして特別な時であるとする。我々は平生を経過する折しも其青春という概念が全く世の創作家の手に成るものであると感ずる他ない触発をも受ける。それは中井累という男が出し抜けに感傷を重く見るべきものと講釈を垂れに来るのである。此中年であるは即ち皮肉とも取れる。

 それにしても創作家の仕事は文章を述ぶるに幾ら呻吟しても埒が明かぬことである。字句の修飾を重ねて拘る所にしか我が意を達せんとする工夫の益する意味合いは出ないゆえ此推敲をする訳であるが併し其題材としている我が過去というは幾ら呻吟しても唯だ其過去を過去として厳然と不動の儘存して居るだけであるから。

 大野蓮という人物は知己の宮澤秀を取り立てて特別視している設定である。理由はそうでなければ蓮自己の持つ物語に存して然るべき意味合いが存しないで来るからである。世界の誰も此秀という人物を特別視しないでも独り蓮だけは彼を重く見て置く必要がある。

 現実で人が立つ観点を即ち物語によって縛せられる所はこれほどまでに大であるのだ。併し人心の方ではどうだか。

 

     第四章 青年辺幅を脩めず

 

 大学一年の大野蓮は無為な日々を送っている。近頃柳もえという女と連絡を取って其内に会う予定である。彼女はハンネが意の能く達せぬ抽象名詞に冠してあり恐らく諧謔だがこれを此類の界隈では常習にしている。蓮の方ではネットの知己というに益する面が少なからずあることを認めている。彼も其名前を逆鱗と称して自ら或る個性の持主であるべく遣る振舞がある。こうして現実に於ての自己とは一線を画した彼自己がある。それで今過ごす日々は無為である。

 飽くまで着飾らぬ男で生来の自認はあった。東京にある大学が嘗ては志望であったがやはり家賃や物価などの高さはこれに於て懸念であった。此場合其高さの語の対義にあるは安さである。紆余の事共を経て結句地方にある大学で落ち着いた。然るに実家より幾つもの県境を隔てて遠く距離に絶した殊域へと越して来られたからには下宿のある辺りに展開せられた町並が如何に其宿願の都会めくこと無き風景でも容易にうべなえる境涯で現在はある。

 何か生きることに規定が予めしてある。此規定は必ずしも世間普通の常識に適うようにはせられない。後者ではあり得ないとする理論を前者では明らかに適用する側面が幾らでも確認出来る。にも関わらず此規定は生者なれば則ち誰しも現認の対象とすることが可能である。際して蓮には此自己による正当な時間の経過が今の此生存を保障せしめたものと解する。そうして解したはまさに此規定に定めてある理論である。恐らく世界という広大無辺なる境には多きに言語を尽すべからざる万人の存する概念がある。此概念は解するに其内実の詳細を言葉で以て折り開いて詳らかにすることが出来ない。併し現に生きる折しも生来これと相対しないでは居られなかった。約めて云えば彼はかの世間普通からの破格という事件を此生活の一体何時に我が現前へと見出す所と為るか案ずる心持に気が気でないのが常のことである。

 其概念化した所の万人の存在は概して彼の他者を指す意味合いがある。此他者が定めて其破格に突破せらるべき常識を所有する。

個人の尊厳を独り有すことは先ず生きており此自己が現存するという事実に始まるが併し此事実こそが其尊厳を此個人たる彼自己に保障する訳ではない。尊厳を持ち独り個人として生きることは必ずしも此自己の生存すべき保障を此事実によって得られる訳ではない。そうして今に至るまで此現実に於ける記憶を重畳のものとして来た。高きにたたなわる集積の記憶は幸いである。併し命長らえて其実際の短きを取り或る結論を導き出さざることを得ない。それは即ち斯くも構造化の支配の下運営せらるる社会へ属すれども心中では必ずしもこれに集注しては居られないという結論である。

 平生の町並は暖かくも寒冷にもならぬ凝固せる態で目前にある。唯だ通学に公共交通機関を要せぬ徒歩の習慣であるから既に見慣れて久しくも健勝を具した毎日の往来が波瀾のない連続をこれに存ずる。それなら不足を以て此件の如きに難ずる所とすべき弊害がない。

嘗て電車の窓という光景に思う所があった。大一にまで至って小中高をも含めたこれまでの経過に全く其思う所のあるべき移動時間を習慣とした例が無かった。どうしても叙情的に過ごす妄想の多い心境を強いられる平生の移動時間というを習慣とする所には為らぬ儘で現在にまで至った。

徒歩というは楽しくない。独り通行して行く其往来の背景と成るから尚更詰らない。果して人物を背景とするとは一体如何なる主義の芸術であろうか。これにも或る心理上の負担分を意味すべき結論が附く。其分又此日々は無為である。即ち毎日の風景が全く人生の用に立たぬ絵画を自然の線描に写し取られてゆくの如き境涯である。決してこれに人の大衝迫を触発すべき極彩色へと色付いた完成が見られることはない。

 成程大野蓮の生活は暦の上と実際に現前すべき時間の経過とに於ては進行している。然るにそれは一幅の絵画に見受けられる風景に過ぎない。此絵画は時間が止まっていて其境の繰り広げられる空間だけを写している。白黒の線描は決して叙情的には展開せられない。其停止の中で彼は何をも格別に価値のあるものとは肯んぜない。此精神上の不動をこそ彼は我が心身に於ける成熟であるとすべき断案を絶対に彼の確信に於て下す。此結論に際しても此境涯は先ず存在自体が無用の境涯であるとの理解で決着している。

 現実とは此身体上での現象である。大野蓮の父方の祖母を彼自己の方では甚だ嫌悪するようになって来ておりそれは此祖母が早く嫁を探して来いとの示唆を此頃の帰省の度に見苦しくするからである。

 進学以後にした帰省は夏と冬とで二度の例がある。又一方母の方からも須らく孫の顔を見せによこすこと速やかなるべしとの催促を瞭然に我が現前へと認めることが出来る。此大野の家は母方の親戚の方でもそうであるが常に女性が斯くの如き話題の口火を切る。男性は甚だ其口火を切ることが少ない。そもそも此祖母と此母とは全く人工的な対照を形作っているがそれは二人が近きに過ぎても遠からぬことを宛然擬してある一つの性質を強調するからである。即ち此二者の孰れも其夫が夫婦生活で有すべき発言権を一切ねこそぎに奪い自分の有す割合へと変ぜしめて化しながら生きているのである。

 蓮自己の実家は真ん前に其蓮自己の父の実家が居を構えている。初め此父の実家があったを広く自在なる庭の領域に一軒家が建てられてそれがまさに蓮自己の実家となった訳である。此父の実家に住まう父方の祖父母を彼は奇怪がる。結句生来の隣人にして我が祖父母であるという錯綜した概念を提示すべき他者で此現前はあるからである。

 何の故に此二世帯で同じ其屋敷へ同居せずにしまったか不可解である。明らかに此二世帯には折衝上の弊害を存ずべき面がある。蓮自己の実家は此子供が生誕して以来常に存在する一軒家である。此子供は生れながらにして自分の家庭を懐疑的に考えた訳ではない。人の生存すべき理由を何らかの経緯で懐疑的に考え出したに覚えず其自己に問うを試みて明らかな始まりであった段階はあった。

 併し彼を懐疑的にする要素を十全に持った家庭が此二世帯の相克である。未就学児の時分からそれがあった。しかも彼は公立小学と公立中学とに入って所謂庭訓と呼ぶ所の我が二世帯に知る常識が一片をだに通用せぬ境涯へと決して無為ではなく時間を経過して行く其経過の後の理解でまさに破格は解することが出来た。それは家庭というに自分の家族には非ざる何か強制的な規定の下で其構成員たる人物のある環境を自分が先天的に与えらるる所と為ることへの必勝の抵抗で其破格はあるという理解である。

 何故なら其二世帯と公立小中とを生きて知った所の経験に附すに此三種類と為した我が三例の家庭がみな人工的に形作ってあるからである。因みに小中は人物の異同が中に於て二小より一中へ綜合せられた位であるし実際を云うに保育園よりしてこれを貫く通う所を同じくした者も少なからぬに真に離別を多くしたは高へ行くにで。

 例えば一の例に於ける常識を又別の例での場へ通用せしめんと行為してみれば則ちこれは破格である。場毎で違う例があり孰れも此子供には他面の顔を演ずるよう強いる。次第に子供は自分の顔が分らなくなる。大人の連中が繰り広げている駆け引きのある側面へは喙を容るる訳に行かない。大人のすることは全く大人の身体上に於ける現象である。生理的な意味合いを含めずに此現象があることはあり得ない。幾ら破格をしても子供ではこれに及ぶ理解がない。

 斯くして大野蓮の生誕以来満十九年程を当の実家に於て経過して終始現実であったは唯だ彼自己を扶養として生活費によって飼育する非人情の度を越した大人で板挟みにされた境涯だけであった。これを決して揺るぐことのない現実として大学入学後に客観視することが出来た。此過去を今現在になってやっと我が現実にあった我が子供としての身体上の現象として認められた。何の故にこれを飼育と心得たかは唯だ彼がそう思ったからである。それを畢竟彼の覚えず虚構上の自己であり続けるよう自縛して来た経過の所為であるとしても好い。

 自ら自己へ義務を課して自らそれを果すに彼が生来一度として此他者の所有からの其破格による突破を実行することなく此十九年の経過を閲して其義務を全うし続けた所為であるとしても好い。

 年始の休みが終って暁の底から冷える時節である。

 次の週末に柳もえとの予定がある位である。併し実際に顔を合すまで二人は互いの性別をだに確認せずにいた。先方は虚無の夜道を覚えず夢想家になった一瞬の時間の間隙に心象へとぱっと浮かんで来て独り其印象に歩く深更の時の孤独を忘れて今何の故に斯くも通って行く目的地を失した徘徊などしているかそれが懐疑的に懸念と成る程視認に官能的変動の触発を受くべき姿態である。大野蓮には何の目的地の所以もない徘徊をして進む夜道に時々懸念を心情の底より生んで頻りに虚無はある。必ずしも何か予定に埋めて日々を無為でなくする義務などは無いのだ。

 ネットの知己とは甚だ奇怪がるに足る関係で知らぬ間に言語を以て交流する。此関係に意味は無い。何故なら強制力が無いからである。世間普通に子が親の飼育の下であり親が全く其家庭という世界に於ける常識を暴君として所有して子がこれに屈することを以て其子の官能的変動も何もこれにより益する所とのみ客観視で下す断案の候補へ出るとまで決るそれだけある程の強制力は其処には無いからである。

 飼育の弊害には前提がある。それは強いて人の自己に飼主を設定すべき考えが或る程度常識化して世間普通の事であるという前提である。

 厳然として性別の区別があったは家庭に於てであった。柳もえとはそれを留意すべくもない条件下で知己となった。あの学校という場は遍く家庭の延長上であるか人が疑似的に家庭を再現すべき練習が義務であるかの孰れを取ろうと云うよりも両方を真と取るべき場であった。あれは男女間に特別の恥じらいを強いる境を我々の涯際として極めなくてはならぬ運命というを正当化せんとして将に必死の態を以て様々の他者と共に現前して来た。

 学校には恋愛があるという概念が伴う。それは恋愛が全く他者のものであるからである。学校とは自分が何の為に勉強しているかを実際に勉強しているに際しては理解出来ないという強制力の下に絶対に生徒をして自ら縛せしむる所と為して独り現存せる自己の心の赴く儘に其対象の他者へと意識の集注を牽かしめられなくてはならぬ寧ろ其自己の内発的と錯覚せしむる官能的変動に驚倒することを強いるからである。此驚倒をこそ人は一言に大衝迫であるとすべきである。

 小中を出て高へまで来れば強制力の意味合いは甚だしく減ずる。もはや生活は金力を如何にして得るかの懸念にも似た検討が悩む内に蔵せられて来るからである。大へ至って大野蓮は日々の無為なる日常へ至ったを喜んだ。今の所バイトをせずに済んでいる。初め県外に下宿を借りて進学するとの相談をした際は親の方でそれならバイトをするようにとの言があった気はするが今では知ったことに数えられない。子の方が幾らでも自己弁護を遣るに卓越して来た按配であるから一向働かなくても実家の振り込みで生活出来る。あちらの方でも説得に骨を折る位なら寧ろ其面倒が大分勝るらしいのだ。

 子の方では自己正当化に余念が無い。だから強い自信を持ち此親位なら話を通すに敵ではない。そもそも話らしい話は此親子の間にあったことがない。家庭という場は常に内輪の乗りによって調子づいたおちゃらけたものである。それによってより残酷な事実を無いことにして置かなければ此古くかびくさい理論を騙し騙し用いて一体あとどれだけ持続したものか懸念に欠くべからざる所の甚だしい此家庭である。

 強制力とはひどく恐ろしい。言葉が意味を為さぬ所の空間とは将に人が其処にあることを強いる境とせんとする空間である。其涯際に極むべきは又新たに子を成すことである。此強制力絶大なる家庭の場は唯だ慣習に従って結句現存の人間など人形も同然である。

 近頃大野蓮は見てくれに気を払わぬ理由を考えついた。それは実家の人間と相対するにもだらしがないからである。親も親戚も予てより物と相対するように接するからである。

 人の外見は甚だ破格の意味を持つ。

 

     第五章 琴柱に膠す

 

 子供が大野蓮のような悪い青年にならないように注意しようというのなら唯だ唯だ常日頃から姿勢を善くすることを此際多少乱暴にでもしっかりしつけてその身に叩き付けて厳しく仕込んで置く位は要ることである。あの上手い具合に安楽のある生活を得た彼はこれをどうしても善くすることが出来ない。間隔を空けて偶に会う位の柳もえの優しい語に云ったも余程変なたぐいの比喩表現でしきゃ示せなかったらしい其印象である。

 しかし駄目な方の例として今のその世代に当る者のいわばそれより年齢が下に当る者をして気掛かりの対象に非ずとは決せざらしむる人物をもう一人挙げる。この女に宮澤秀は中学卒業以来ただネットだけで話が出来たからお互い適宜の頃合で要件のことをぽつぽつと送り合っていた。雑多な配達商品の情報共有がそれである。

 あと大野蓮の方では彼女に関して我が実家との付き合いが満十九年に渡っても先方を憎む心持が近頃遅れて来た反抗期のごとくに燃ゆるものをほんのその三年間の学校生活にのみ一緒であったはこれが断然かけがえのない思い出のようであるから彼女のことを有難いと云う。新田勇に問えば則ち黙ってさえいればしとやかだと云う。

 つまり水戸心菜は甚だ稀な個性で心の裏表をいずれも無視すべからざるものとしていた。まず勇の品評したは分りやすく的を得ている。曰く斯くも言動に定めし形式の無い人間は他人に対する配慮の全く欠けていることをそこに意味する。扨て作者は第四章にて人の家庭というに子供は飼育せらるるものと極論ないしは甚だしく誇張したを云った。別にそんな罵言としてあの小心者の思う所を私の方で開陳して遣った訳ではない。明瞭に彼の思う所の意味するを通らそうとして簡単に隠喩しただけである。彼大野蓮はまさに其自己の方で深く時節の幾つも巡るに長じて来た遺恨事への反動による所は確かな彼自己での好みのあることである。それはやはり最高の嫁を見つける気が我が未来に懸けて有るという志を厳然と持つことである。しかし結婚をすると実家の方でかならず騒ぎになるから絶対にしないで置く。同じ住まいに居ようとも望まない。ただ見知った過去に可能性だけ存ずれば既に十分だと云うのである。なるほどこうして心得たはまず小心者である。彼には未だ実家の縁を切るめどが立っていないのだ。嘗て同級であった心菜に一悶着あったのだ。

 その個性は簡単に云えば正と不正とのいずれも日に同じ回数行為にやらかす災厄めいた性質より看取に看られる。固より人には正をも不正をも行為にしでかす運命ですべて行状があるが彼女のごときは楽しんでやっている。これを自己の都合など惜しまずに熱狂の涯際の極まるようにして独り一転幻滅は斯くも勢い任せの仕方には付きものでよくある耐久しなくてはならぬ心情の底へまで自分で分っていて落ちる。時間の中にいて前後の脈絡もつかぬ茫然の境まで迷い込んで暫くは沈黙したかと思えばすぐ興奮を覚えたらしく何か人の世のどことも誰も知らぬ片隅や端から感情を拾って持って来る。それを直近にとりあえず笑顔で見せる。これを堀木魁人の形容に彼女が付与せられて得た感情とは知らないだろう。そんな退屈な真実には一向気付こうとしないをひとつ平凡に非ずと評して置く。既に小中高のうち中というまでの過去として彼女はあったから蓮に猛烈に意識せらるるも此蓮の過去への美化欲求甚だしき所すなわち私こと作者が斯くして述ぶるものと等しく心に浮かべて居よう。結句蓮の方で成熟は感性上一向無しである。平凡の現実に心底安んぜないらしい。実家の現前にある現実によく了解がしてある。彼はなかなかの気分屋であって生きることの質が気分で変る位のものなのだ。

 読者の方ではいったいその十三から十五の年齢での時分を如何にしたかが斯くなる件に於て云った人物らへは関心を持つことだろう。それは定めて語りうる所の限られる話である。何故ならちょうど云ったこれ蓮の気分屋で彼はあることよりして蓮が定めて語りうる所を限る男であるからで作者魁人にはこの蓮にものごとの実態をうかがわんがために機嫌を取る面倒など起す気は出ないからで結句限定は開陳にある。

 扨て人の云うことに遍く一致して開陳欲求は厳然としてみな有るから人をして然らしむる訳である。魁人は流石に読者への要求ならば自ら語を連ねて述ぶべき工夫をして置く。併し作者自己の方でも此の世の他者なるものへの私的理解がある。これ即ち人なればまったく開陳をするに内容の限定のあるべきことである。人が人に語らせようとする所は図らずも相手の恥部に直結すべき枝葉末節の所であることも人の気遣いのうちに察せられ得よう。この枝葉末節は相手にとっての一触即発にして自ら更なる敷衍を口走りかねない枝葉末節でありうることである。これを語らしめれば則ちその恥部の件を語らしめたと同じである所をも人は他者へと私的に理解出来る。

 何せ自分の方でも過去に恥部を持つ所があれば気持ち悪いだろう。他人の恥部であれ聞きたくない所となろう。斯くの如き秘密の内に蔵せらるるを人が体現するはただ人が秘密を持つことを面白がることよりして然らしむることである。魁人の方では蓮との付き合いに於て何だかこの男へも我が現実に見知った人物と同じように接すべき規定があるように思う。扨て此規定というは魁人の直感に唯だなんとなくの心の抵抗を存じて此規定を心得ただけな訳ではない。彼は直感をしない。いちいち考える。そうして思弁的な男を平生よりしてよそおっている。これだけ云えばまあ読者にも自分の知り合いか何かで性質の合致すべき人が居たりしない訳でもあるまいと思う。

 だいたい思春期のことなんて誰も語りたがらない。何故ならそれを思春期として認識し得たら当人の方ではそれを過去として認識するからである。しかもいま未来には全く要らぬ無用なる過去と見なすからである。なるほどそれは金力に無縁であるからであろう。扨て人は自分が愚かであった時期としてそれを捉えて扱うものであろうか。まあ当時の知己との未だ嘗て絶交へ至らない関係があればそうも辛辣に愚かであったなどとは言うこともなかろう。併し蓮のような安楽の生活を善しとする青年の独り下宿に住まう日常ではああいった面倒だった時期をくさすことにも心の抵抗が無い。たとえ人がそれはかけがえのない思い出なので自分のことだからといって好きに罵言に附してはいけないと忠告をすべきものにこれを看たとてあのネットという場を開発した人類がいったい何を偽善者ぶっているのであろうか。みんな好きに傍若無人をやっている。ネットなんて現実じゃ無えと主張したがる論客は多い。何を馬鹿馬鹿しいことを主張している。現実に対して現実じゃ無えと主張する御前の方が余程尋常に無く現実を見ないで居るということをここに宣して置く。扨て思春期も現実である。唯だこれが基本的に過去としてしきゃ人から認識されないので恰も虚構みたくして扱われてあるものに人は捉えがちである。だいたい青春という概念が如何にあの物語を売る市場にあって濫用せられていることであろうか。じゃ今思春期とは人間がその若かりし頃をその時期と指す語であるとして置こう。現実に人の自己のこととすべき思春期とは確かな一線を画した虚構に呼び名として附すべきを青春という語であるとして置こう。

 或る人間の運命はまずその思春期を経るまでは定まらざるものとしてある。だから社会は社会に貢献すべき人間をあの学校という場にぎゅうぎゅう詰めにしてその思春期である時期を掌握して置く訳である。青春は虚構であって現実にはわれわれは唯だあの学校という場に閉じ込められていただけに過ぎない。そこでいったいわれわれの何が既定されたか。それは他人と生活することである。その他人がみな別別に家庭を持つことを知ることである。そうして学校という場に自分のある生活を経れば人は自分以外の人を嫉妬する性質を多かれ少なかれ内に蔵する所と為る。われわれはあの社会なる空間を競争することの原理によって運営せらるるものと見なす。小中高なんぞと長長しくあの学校という場で体験に没頭して来た経験があれば将に金量を競争することが人の社会の原則であると認めるようになる。この同じことを認める者らによって一つの運命を共にする界隈が発生する。人の界隈は共に通念を持つことによって発生するものである。併しこの場合の金量は金持であるということには必ずしも当て嵌まらない。われわれの思春期は定めて承認欲求を満たそうとして経過して行った。われわれは面白くなければ人から相手にされない。高まで来れば勝手が違うが少なくとも中までは教室で一番デカい声で話せるのは面白さが一番ある奴である。而してわれわれは面白くなければならない。思春期にこの重大な教示を現前に看取したからである。

 斯くして其界隈では金量を面白さの量と見なす。魁人もこれに参加している。だから平生から考えることを面白くしようと努力している。そして其努力に努めてみな競い合う此界隈を人はどう呼び名を附けて良いか分らない。こういう界隈が世界に存在する事自体は何せあの小中高を修了する閲歴が世間普通に人口に膾炙した閲歴の類で周知な訳はあるから脈絡のつく現象としてネットが知らしめた話にまでなって且つそういう通俗的論理を以て万人の理解に決着している。魁人にこれが万人から知らるる所と為ったを客観視して評した発言がある。併し此男の癖で其発言は唯だネットに匿名の体を以てそれも恰も過ぎ去る道端へ叫んで投げるの如き言葉附きである。

「実家と金と小中高とを諷諫しない小説家に現代での市場は適う余地が無い。此三大範疇に対象の入る規定があるとしてそれは誰しも此概念を抜きにしては自己の存在を説明し得ないという事実に其所以がある。言語に長けて且つ社会に刺激のある言語の創作家たるには万人が如何にして自己を所有し得るかを推察する能力が不可欠である。あるいは其能力を無尽蔵に持つ程でなければ此稼業の務まることはない」扨て彼の論難は一体何処の誰を目して諷諫しただろう。

 万人とは人が一人で独自に行為をするに際して自らの其行為を独り裁断せんがための脳髄の設備に設けた陪審席に集結すべき無数の人格の事である。社会に於ける立場を考慮しないで此万人は存在する。社会は大衆の相手をする機構である。ここに集う万人は大衆の存在よりもなお此行為に出る個人当方よりしては災厄じみた類の心理的重圧を強いる。万人は対象の精神を相手にしない。対象の方で精神を駆使してこれに打ち勝とうとする自家製の言葉附きを繰り出して来るからまさに此言葉附きを相手にしようとする。

 われわれは甚だしく不条理にせらるる所の局面へ展開した過去の小中という場を知っている。あの場にあっては生徒みな自己の家庭に存ずる倫理的基準を以てそのおこなう行為に於ける是非曲直の断案を下す。魁人は自分が小四の時分に学級崩壊した教室を目の当りにした体験からして斯くも神経質な文体で書くのだろう。

 規矩準縄は庭訓に学ぶ。モンスターペアレントだって其子の親である。教員は生徒の方での都合なぞ心得ず教員自己の方の形式に則る説教をし出す。併し小四の時分でも魁人の方ではこれを真面目に聞いた通りで教示として承けようという学習意欲があった。固より他の生徒は我が家庭の方で教わった倫理的基準が真実だから全然他人であって当方個人に要る人物でもない先方教員の説教など馬耳東風に聞き流して受け入れずにしまう。独り魁人だけは現前の事象への受け止め方が何だか万人に知らるる世間普通の仕方とは違ったようだ。

 幼少期から魁人は見境なく真剣になって学校へ通ってしまう困った習性があった。だから社会という空間が全然学校の教科書通りではないことに俄然憤慨した。彼にある閲歴で最も社会への参加の度合があったはまず高一の時分で飲食店のバイトをした体験である。

 これに小中でのと同じ態度を以て臨んだ訳である。かの個人事業主の店長は彼を使えないと判断した。クビにはしなかった。彼の方でも自責すべき融通の利かなさを自覚した。彼には飲食店での臨機応変と小中での臨機応変とが画然異なるということが分るまでだいぶ時間が掛かった。そしてそれが分ったはバイトを辞めてからな訳だ。

 

   第二部

 

     第一章 恒産無ければ恒心無し

 

 死に目に鷲がこう叫ぶ甲高さを人の胸に突き刺す万感を秘めた鳴りに夜の更けた窓前よりも先は忽ちそこへ懐中電灯を宛てたかのように光の広がるを思い遣られた。屋敷の廊下に暗褐色の木の床板が歩く足場にして且つ往く人の踏む毎にそういった盛んな騒然となったは蕭蕭として早乙女櫟を冷やかした。独り過ぎ去る通路を今手の届かぬ夜の輪郭へ心では感ずるに気掛かりな枠を取って内と外とを区切ったものであると断案を下す。硝子を一面に張った斯くも光景のすがすがしさが頭に軽い明快の気象を呼び覚ますをことごとく白く手触りの好い毛布のごとくして何か懐かしく想い起すものもある。

 すべて清閑に達観出来る。此寝静まる夜を誰もここに開く口の無いことで決着している。世界がみな彼女の手の中にあるようである。櫟の閲歴には様々に屈託があって斯くも無支配の光景に立つも心情の底よりして出で来るは唯だ怨んで已まぬ対象の男をその彼固有のものと推量出来る。推し量って見るは全く非人情の事である。あの男が非人情な事である。男に限らず人の人生は全く非人情である事である。月の光の決して傾かないこれ今揉み手をしていて覚えず微笑の表情になったは寂しく孤独な境涯である筈のものを此少女自己を取り巻く現在は場が唯だ清閑で達観出来る。畳の間には梁が渡されていた。屋敷は多方面へと部屋を展開している。正面の門前にはかまびすしく樋の口の音のどぼどぼと出で来る垂水で朝の気怠さを覚醒したも記憶にあるがあれを経過したは別に未来のことであったとて一向に留意しない。これほど人の世を隔絶した感情に超然としてぽつねんと澄まして居たは何もかも人情に非ずと言いたくなった。

 ふと心得たは必ずここに寝床のある筈のものを何処にあったか分りそうも無いから懸念である。丁度それを恐ろしく思って忽ち薄氷を踏んでいるようにそれに感ぜしめられたから歩くを止した。定めて現実に生きるうちは解することがある。現在の自己の年齢である。併し何一つ前後の脈絡がつかぬ境涯でこの場はあった。記憶に見覚えのあるここの門前の樋の口の音よりしてひとつ案じ出した。雨がいつだかに已んだことだけは確かである。

 これが放心状態である。例えば夢の中の世界などに近い。ネットも現実のものであれば寝ているに際しての夢の中の世界も現実のものである。併し意識が他者から離れているから全く人間関係の内に居て自己に所有すべき属性を悉く持たぬことと同じである。

 その脳髄にはまず言葉でこれを解せんが為の試みの始まる段である。光景はただの物質界である。現前のものに身体が干渉し得ない。今歩いて行って経過をすべきであったはまさに此通路であった。まず歩を進めずに佇立へ留めてしまったに破格が経過せられた。これで独り精神界への干渉をほしいままに出来る。須らく想い起すことは整然とした措辞によって自己の手に還らしむべきことである。

 見知った界隈の仲に堀木魁人という男が居た。彼へは何ら愛惜の情などを感じ得ない。あと何世紀ほど思春期を共にして見ればやっとそれを感じ得る所と為るものかとの思いすらある。なお魁人に交流を存じたはだいぶ当方の思春期を終えて久しき時期よりして且つ先方にしてもそれを疾うの昔とした後での邂逅であったらしい。

 彼の意味に歴歴たるは全く無用の面白さを此現実の中で看取することもあるという真実である。人の現実に享楽的変動というものを定義出来る。毎日が楽しくて仕方無くなる心理状態を観に呈するにそれが享楽的変動である。好い時期は必ず記憶にある。併し悪い時期をも経過に見れば内省の必要性を認める心持が触発せられて出る。此内省に或る結果を得たは魁人が自ら語って聞かせた件である。

「自己というものにも絶対に普遍性が無い。他者というものにも絶対に普遍性が無い。併し国家や社会などを存ずるを措けば人にとって自己も他者も等質である。等質であるから互いに普遍性を存ずる。これが公立小学と公立中学との一貫した状況である。俺は小四の時分に学級崩壊したを見た。あれは君ほんとうに面倒な案件だったよ。授業が成立していない。十歳児のすることを君説明出来るかい?俺は説明を欲していた位だ。他の生徒は誰もが騒いでる。みんな友達なんだ。なるほど十歳児なんて同級の友達と快く睦まじき仲である他にどんな価値を存ずることだろう。学級崩壊はしかし教員と親とを戦戦兢兢とさせるのだがいったい俺の方ではただ漫然とそれを見ているだけに過ぎなかった。自己弁護に甚だしく簡明な言い様を以て出来るね。周りの風潮が悪かったんだよ。俺の方では何もすべが無かったは当り前なんだよ。ただ俺は大人の側にも子供の側にもつくことの不可能な事態だと当時から判断していた。扨て斯くの如き事態を独り看過してしまった。俺には何も学べない事態だった訳だ。いっぽう同級の生徒らはいったい何を学べただろうな。教員はちゃんと説教を遣ったよ。何せ乱痴気騒ぎだから誰が主犯かも分らず錯乱した彼は全く無罪の者を全員の前で吊るし上げて説教したこともあったがね。それをされたのは俺だよ。教員は中年男性で融通が甚だ利かなかった。生徒から舐められてた訳だ。大叫喚の教室じゃ確かに誰が主犯だか分るまい。併し俺がいちばん騒ぐ奴じゃなかったなんてどう見ても瞭然としていたにそれを遣ったは何か人間の闇と人の呼ぶようなまあ甲斐の無い真実を看取出来てしまう。これを俺はいったい如何なる判断をして受け止めるが善いだろう?だいたい人間てのは子供の頃に大人の説教を承けて世の道理に明るくなって行くものなのか?体罰の概念も人の知る所である以上ああいった教育なるものを実施しているは説教の価値を或る程度認めている筈だ。扨て斯くもうるさく言って来る手合のあるうちは人は幸福であるか。いや不幸であるに違いない。まず論理が通っていないだろう。雪冤の説教を以て教示せられながら俺が何を考えていたかは今一寸想い起すには難度が高いな。内容の複雑なことを考えていたからだろう。どさくさで俺が対象になったんだよ。見せしめで俺以外が当ることも勿論あった。あの教員はなかなか残酷な仕方で攻撃したな。いやあれは全く攻撃でしきゃ無かったよ。そもそも教室の有り様が残酷だったから彼の方でも残酷な仕方でして善いと判断したのかな。それ位しきゃあれに思い当る見方は出来ない。斯くして酔生夢死の境を俺は学んだ。要するに其場の流れで万事経過して行く。義務教育が官僚制だった所為だと思うね。君これはありふれたことだ。世間普通の事でもあるが。そうして世の中の馬鹿馬鹿しいことは実にすべてが官僚制の弊害によるものなんだよ。俺はまあまあ勉強が出来たね。高校もとりあえず進学校だった。だが高一の時分で始めたバイトは衝撃だった。中学までに学んだ内容が何一つ役に立たないんだ。飲食店が俺に向いてなかった所為かな。俺が余りに融通の利かない奴だった所為かな。どっちでも同じことだ。何故なら悪いのは義務教育を受けても金力を得る為の能力が何ら得られなかった全くの不条理であるに尽きるからである。扨てこれはバイトに失敗した腹いせか自己弁護で言ってるのかな。あの失敗は人生の中でも最たる涯際を極めたは内省に知った。半年で嫌になって辞めたからね。自分で始めたを自分で嫌になって辞めた。それも唯だ嫌になったから辞めたんだよ。何だか全部馬鹿馬鹿しくなる話だ。俺は小中高の知己ともう絶交の体である。その方にしても別に会いたくもないから会わないに過ぎない。あの友達っていう類の関係性も人と共に作るにただ嫌だったり嫌じゃなかったりして付き合いが出来るだけに過ぎない。だが俺には関係する人へと属人的であることの価値も認めなければならない。何故なら感謝無しで生きる人生を肯定する人間に俺は数える位しきゃ会ったことが無いからだ。そのうちの一人がいちおう君であるという訳だ。今居る界隈は居心地が好い。まず世間普通では何にでも感謝有りにすることを強要する風潮がある。実家と金と小中高とを心得れば全く難解な訳はない。この三つは定めて旧式で現存する。だから革新を要する。それはただちに有り様を変えなくてはならぬ訳ではなくて倫理的基準の認識を革新することが必要な訳だ。それにはまず主義思想をもう新たに拵えて整備して置く他は無い。だから俺は小説を書く創作家な訳だ」

 よくもまあ流暢に舌の回ることである。余程此主張が好きな所為と見える。櫟はただ界隈に同じく属する一員としては彼を認めてまた半ば彼を近付けるにはやかましいが遠ざけて置くに越したことは無いとの私的に理解をする断案を下した。

 どうも彼に対して好きになれない特徴を幾つも見覚えてある。一言を以てこれを覆えば則ち挙動不審である。無駄な動きが甚だ多い。口癖のようにあれが面倒だこれが面倒だと文句をつけるわりに彼自己の方で面倒を終始起そうとしているような奇怪な素振である。例えば柄の悪い夜道などで何処ぞの不良に目をつけられてもおかしくは無いやけに四方八方へと移しがちで落ち着かずに視線はある。

 格別魁人には怨んで已まぬ思いなど無い櫟である。怨みというのであればやはりあの男を怨むに限る。生野一平である。

 あの男の記憶に妙なはっきりとした感覚がある。脈絡のつく物語としてこれを所有に覚えて面白くすら感ずる。魁人ならばこれを青春だ青春だと云って激しく興がる勢いで取り挙げて騒ぎたがることだろう。併し櫟には魁人のように好きなものを全て言語化して喜ぶ習性など無い。当の界隈でも魁人以外は斯くなる言語化の弊害を善しとしない。魁人は何の故にか作文へ取り組んで時々頭痛に至る程呻吟するを寧ろ面白がる所まである。本音は現実よりも虚構を好む余りに自殺でも図って不満の無いにありそうなものだ。

 年齢の三十代に当る一平はなかなか広い庭も備えた屋敷に定住して居り其門前には樋の口の音が垂水である。垣を巡らして路上と隔てただいぶ自然の趣のあるにありありとにわたずみの日に照り映えたは雨上がりの朝である。敷地内には形の好い木が色色である。

 櫟の立つ廊下に他の人の姿は見えない。彼女の居るのへ移される視線も存ぜない。此境涯を彼女が独り快く経過するとしたらそれは何の故にであろうか。いや全く試みに考えて見る労も取らない。ただ初めに一人で居たかったを感情として持ったからであろう。

 あるいは彼女に印象の残った魁人の言葉附きが斯くも一人で居たくなる心持を触発しただろうか。見知ってからが浅い時間のみであるが彼の言語化に云った意味で何か示唆のある所は多大であった。

 一平が記憶喪失を名乗っている。彼は界隈に居たことが無いがあの面白さの尊重に理解がある。何も覚えていないと宣して置くに面白さを感ずる。青春最高との主張を重く見て主義として標榜して来る手合とはまた別である。なるほど小中高は面倒であったが人にとって早く忘れて置くべき過去として第一のものであった。金はただの手段としてわれわれの生きるに存在する程度のものではない。人によって金とは何かの定義が違う。此定義に従えば人の生き方まで全く千態万状の事である。三十代の一平はいったい小中高を出てから何をしていたかも小中高で何をしていたかも忘れたと自ら云う。

 今屋敷の何処かで独り床に就いていそうな一平を思うによくもまあ実家を留意せずに生活出来てるものだと心打たれて櫟は感じ入った。正直金量を人の面白さの量であるとの断案を予て下す。櫟にしてみれば面白ければ面白いほど人は実家との縁を切れる余裕が綽々として来る。金量即ち金力を十全にして生活費の自立を可能とするからである。

 一平が明らかに自由な一人暮らしを此巨大な屋敷にて楽しんで居ることは判然としている。櫟は未だ思春期であったに将来を思い遣らざるを得ない時期があった。嘗て男との二人暮らしへの憧れを持って斯くの如き風情ある一軒の屋敷を想像に描き出したのである。

 当時は自分が少女であったをそれほど甲斐のない訳でもないことに心得てそういう妄想があった。それで手当たり次第に男を誘惑する癖があった。対象として最も手頃だったはまさに一平であってこれも簡単になびいたのだが何の場にあって知り合いになる経緯であったかは何の故にか記憶に存ぜないで居る。

 

     第二章 迂直の計

 

 魁人は初め大野蓮という人物を語り手に設定してこれに実家への攻撃をさせる心積りで居た。魁人の方でも実家嫌いが祟った所為もあって宛然作者自己の実家をモデルとした蓮の実家は断然である。

 小説の執筆がなかなか呻吟を措いては働かずに当の時節をだに存ぜないで一種鬱症の態になった。彼自己の直観から本作品を強いて完結せしむることは甚だ我が生涯に益すること確実との一存であった。

 然らば彼の行為を咎むるにもよすがとなるあてどは無い。

 趣味でネットに自己の創作せしものを投稿して独り満悦の体である者は数多知られる。中には何の故にこれを作せしものか皆目見当のつかぬ作もある。当該ジャンルの類に好みに非ざるを思う所があれば誰しも黙過に附すかひとまず罵言でもコメントして置くかの適当な反応はある。魁人は大抵創作をネットに上げる。そうして匿名であるから彼の存在は誰の現前にも知られずに閲覧者の思念の中をどこへ頼りのあるとも無くさまよい続ける。

 幸いなことに世を拗ねた厭世家の性分のある者が多数見当る。魁人の電脳上の身を寄せる場としたはまさに此界隈である。

 気晴らしに見るに丁度の間隔を以てすれば日常との相違ある人格を演ずるとか又其演ずる者を観察するとか楽しみはある。然るに自分の方でも相手の方でもずっとこればかり遣って場に安住して居ようにもやはり液晶を見ない時間が要る。昔の小中高を通してこれの運用をして来て魁人の気付いたはだいぶ色色であって彼自己の癖からか斯くもネットへの没頭の頻繁である態度を自ら批判して上げる文章に書くことさえある。

 態度自体は概して青年のそれであるとの断案を下す。世間普通に青年の態度は謎めいて知られる。上の世代は自分が青年だったを位は配慮出来る。併し現行の青年の方では配慮が何にも出来ない。今初めて青年であるから斯くも青年じみて居ることが出来る。

 青年とは定義の無い世界に生きる者の謂である。

 定義の無い世界で生きて居れば他の定義の有る世界に生きる者との折衝に事欠かない。そうはいえども電脳界を措いた物質界に生きる人人の折衝と物質界を措いた電脳界に生きる人人の折衝とで対比を試みて看ればまさに青年の世界を措くか青年以外の世界を措くかの按配である。斯くして魁人青年の二重構造になった形での分裂を思い遣ることが出来る。

 斯く言う分裂は全く定義が無いのと全く定義が有るのとを往来に翻覆をして恰も二重人格にでもなったかの態をこうして分裂と云う。それが今電脳界での定義の無さと物質界での定義の無さとで再再にこれを重ねる。電脳界は何よりも先ず物質界ではない。これは観念が我我に現前して来て斯くも物質界に非ざる態を我我に示して居る。青年の脳髄には我が世界を虚無として一旦考えざるを得ない段にぶちあたることがある。いや過去の歴史にあってもこういった感応をしたはまさに青年特有のものであるいはあったかも知れない。併し二十一世紀人としてのそして本邦に生育せらるる青年にあっての此実感は確かであった。魁人はいったい何時からこれを自分の実感として持つものか判然とせずに居る。問題は今だにこれが自己の脳髄に屈託として思い悩む所であることである。

 ここで笑える冗談みたいな話になるが結句実家の件があって電脳界よりも物質界の方が圧倒的に優位にあることを思い知って魁人は将に抱腹絶倒の態を自ら遣った。幼少期から絶えず定期的に親戚の会合に出る羽目になっている。此強制力は自分が生きる中でも最たる力である。卓を囲む中年が概して主であってそれより上に当るはだいたい祖父母位の世代で連中はある。彼の実家は父方の実家の前に建っているからこれ父方の実家に広い居間があって其処へ毎回親戚たちは集まる。魁人が周りに構わずゲラゲラ笑い出した段では誰しも此男を青年だと思った。当り前だが斯くして本人の胸の内など何を蔵したものか判然としない。本当に突拍子の無い笑いだった。併しこれも彼の青年たる所以を示す好例のほんの一つに過ぎない。

 父方の実家では姑が甚だ夜郎自大である。これに限らず彼の親類縁者にあってはだいたい女性に権威のあることである。母方の方でもそうである。魁人の言語運用に於ける拘りは例えばこれに由来の言葉附きが顕著である。ひとつ「女」と語を用いるにいったいどんな女かを偏執的に留意して形容しようとする。将に実家にある腐臭のする文化を何一つ継承したくないが為である。

 実家と父方の実家とでも文化にだいぶ差異がある。併し共通して存する文化が例の会合の折には甚だしく露呈する。魁人の看取に看て来たは全くこれが楽しくないということであった。異性は寧ろ好きだが親戚の会合で女ばかり口を開いて男は寡黙というよりも朴念仁を決め込んでいる様が何だか気持ち悪い。集まってする話の内容も概ね聞くに堪えるものではない。品性に相当数の堕落がある。恐らく自分の方でも年を経れば斯くの如く堕落して社交の場に参加しなくてはならぬ運命にあるのだと思って彼は身顫いがする。あんまり閉鎖的であり過ぎる文化なのが駄目な訳だ。扨て父方の実家での会合は母や父を介して参加して来たが人数は毎回なかなかのものである。

 父と母とで自分があって実家では三人の世帯になるのだがこれも心より面白くなく感ずるし何より一時期まではこれの機嫌を取るに相当数努力しても来たから唯だ騙された心持はする。

 少年十字軍は悪い大人に騙されて奴隷として売られるなど惨憺たる境涯であった。何も子供が馬鹿を見ることは過去に先例の無しである訳は無い。それでも魁人が家庭に蒙った哀しき弊害は彼の方で自ら自己にのみ耐久し得た受難であるとの断案を下す。

 これも一層閉鎖的な空間での出来事である。余りに狭い視野を以てしきゃ座の開かるる所と為らぬ話である。当人らは全く当座に於てしきゃ適う筈もない言葉附きを以てした。それゆえ満十九年にも渡る此場での三人の有り様をここに詳らかにはしない。

 魁人は唯だ家庭に見知ったと遜色のない性癖を心の機能として覚えた。彼はネット弁慶になった。物質界ではあらゆる阿諛追従を実践して人に迎合せんとする徒である。電脳界では甚だしく人への敵意と僻みとに満ちてこれを攻撃し続ける大量破壊兵器である。如何せん彼の方でも語彙力に自信があってその自己の文体を以て「重修不埒」と名付けたこともある程である。

 ネットでまさに敵たる他人の悪口を書きまくって何が楽しいのか疑問である人もおる所であろう。この所以はまあ先にもう云った。

 併しネットに文章を書くのであれば多少普遍性のある内容でなければ人の反応を得ることは出来ない。時勢や風潮というよりは顔色を窺いながら人にアプローチして行く能力ないしは技術がないと此処では誰からも相手にされない。そうして殆ど黙殺を以て世から不遇に附せられているに特別の才覚あって一部からはやたらと支持のある存在など見当ればまあ多少劇的の趣もあろう。が一先ずは魁人の人気に関して沈黙して置く。

 物質界だの電脳界だの次元は様様であるが身体一箇を駆動して生者たり得るから魁人には界隈に属してこれの内輪に決する所の規定を以て人生の規定としている。世界に定義は無いが人生に規定して置く位はする。同じ規定の下に人生を遣る知己が界隈で存在はある。

 近頃生野一平の屋敷を訪ねて彼と卓を隔てて対坐した。

「早乙女さんが会いたがっていたようですね。会ってあげないんですか」

「いやそんな筈はない。そちらが間違えて感じ取ったんだ。彼女は私を憎んでいる。私の責任に於て私が然るべきことをしなかったからね」

「へえ!」魁人は彼の顔を見た。「しかし自殺はしないんですね」

「ほらあちらの庭先は綺麗でしょう。池が澄んでいる。これをほしいままにして独居して居ればたとえ天国行きでも死ぬ気はしない」

「じゃ過去よりも現在にあることを重く見る訳ですね。俺には全く分らないな!いやすみません何だか実家というか堀木家の伝統らしいんですが親近の者へも陰口がおびただしい家だったんですよ!それゆえ俺はあとでネットなぞに吐くのも相手に悪いから反対意見は今のうちにはっきりと言いますがね。生野さん!人間てのは過去を抜き取ったら全く何者でも無くなってしまうものなんですよ!」

 二人は定めて落ち着き払って話す。卓に先刻美しい振袖の女性が何か飲物と和菓子とを出しに来た。それにしても此客間は大した広さの畳敷である。庭先が見える縁側には硝子戸がなべて開け放ってある。

「そんなら私は人間ではない。非人情な奴だ。そちらは何故だかえらく人間ぶっている。さぞ上手い小説を書くことでしょう」

 此度の対談は先ず魁人の方で企画した。

 一平は案外人に容喙して楽しむ性癖の持主であった。魁人の界隈にある例の規定を存じて苦言を呈したから此自称小説家の怒りを買った。それで果たし状めいた長い文章が一平のうちに送り付けられる所と為った。

 固より二人には現実での接点が無い。併しそれは実際に現実で存ずる事態の何処にも二人が関係を持つ場面が無いだけのことである。先刻に見目麗しきを見たは魁人にとって僥倖であった。彼に幾分面喰いの謗りを免るることの得ざる好尚があったからである。然るに彼女が何の故に此処で仕事をこなしたかというに単に日雇いか何かで勤めたのかも知れない。されば彼女の現実はまた別にある。

 別にある現実に生きる彼女はたぶん全く別人であろう。別人に先刻の勤務時間での事は頭が関係無しとして以外存ぜない。対談はただ介在の人をも居らずして進行した訳である。

 一平の言に自己を非人情としたはまさに彼自己の生活が金によってのみ運営せられて居るからである。魁人が客人として来ようとするに魁人は条件の提示をした。それは金を出すなというのである。魁人の方ではさっきの振袖の女性が何者かは分らない。もしも接待に金の動く訳があれば魁人は自ら憤慨の態となる所以があった。併し其方面への彼の推量の及ぶよりも前に「非人情」という興味深い語が出たから彼はそちらへと俄然喰らいついた。

「人間論なら比肩する者は無いと自負しております!なるほど先方は当方と違って金量と人の面白さの量とを等質になど見ない。だから屋敷に住んでしかも鷹揚に構えていられる境涯である訳だ。それだけ当方の方では屋敷なんて手に入る未来は無さそうですよ!」

 魁人は相手の金力を存じて且つそれによる金だけで賄われた生活のことを存じた。魁人は金だけで賄われる生活など信じない。その生活の存在を否定する。

 何故なら魁人は家庭で両親の機嫌を取ることで満十九年の生活を生き長らえて来たからである。機嫌を取ったは将に両親を笑顔にしたに拠ってである。人の笑顔は人の面白さに因って結果する。併し彼は家庭に依存しない。個人自己として感情労働に勤めただけである。

 彼が両親の言動でずっと昔から気に入らなかったは沢山ある。一つに家出てけというのがある。これは大概酒に酔って夜に云ったのであるがまずへべれけであると会話が通じなくなる。併しやはりこれの子として機嫌は取らなくてはならぬから会話を試みる。それで当方と先方とで何やら話題に関して意見の合わぬを認め合う。然れば意見を肯んずるを受諾せざるに於ては家出てけというを罵声と共に蒙るのである。家庭ではこれ即ち両親が法でありルールである。

 これの相手をするは毎度沈痛であった。やはりこれでもまた母の方が定めてこれを吠えて叫ぶ。父に目を遣れば唯だの薄ら笑いであの男はある。此顔にいつも魁人は何も思考しない人間の相を見て甚だしく無為であると思う。子にとって親の機嫌を取ることは将に接待をせんとして務めて労働にいそしむと同義であるに父の張り合いの無さは先方が恰も奥の手を隠しているようであっておぞましい。

 打算にのみ生きるを無為であると思う。何故ならそういったしたたかさを善しとして子供に勧めるような人間は全く現前にあった覚えが無いからである。自己を社会にあっての子供として自ら認める。されば考える仕方は唯だ子供であるに終始して子供のすべき仕方に沿うてすべきであるに決っている。そうして両親の機嫌を取って家庭での権利を得て来た。

 人は自己の位置に安んぜなくてはならない。子供という属性の者は頭の中まで子供の属性の者であるに努めて然らしむる他ない。迂直の計でこれを用いる。

 

     第三章 陋巷に安んぜず

 

 戸を引いて直ぐ路上にしたたる露の光るを認めた。

 玄関から出つつあるに脇に口を地へ向けて樋があったは垂水で音を立ててきわどく晴天との対比を決するを定めて込めた。未だ朝である様に思わざるは誰しも無しであろう。魁人は漫然とそこを通り過ぎた。

 朝露の如しと人生の形容に附せばこれは魁人の経過すべき光景にして彼が我が生涯をこれに看取して行ったも同義と取れる。

 何か歌詞をつぶやいて満悦の態になり出した。町の路地を往くに前から来る人は見えないから独りこれを歩をその方へ遣る。彼固有に無駄な体の動きを多からしめたは唯だ歌詞の此歌に因らずば無きに結果してもそうあり得た。恰好は大儀そうな厚着で大人しい。

 垣の結ってあるも隔つる仕切の無いもすべて家屋である。住宅街に彼は散策へ出たと同義で今はある。或る平屋の木造家屋に格子の出窓があって近い目線から顔をあらわした誰だかがある。横目に少しばかり視線を移したきりで魁人は黙って過ぎるに決めた。しかし先方は何やら「ここは淑女の夢の中」とどなって来た。

 これは唯だあちらの声音にのみ気付くを持てる。持つはあのどなったは一体どなたかと云うに我が中井累のモデルなるを思いついた。あれは例えるに中学生の好む類の教師であろう。教員ではない。当方の都合も考えずに警句を飛ばす。他の大人とはなんとなく違うと見せる。なるほど中学生位であればああいったを信用しそうなものである。実際にはだいぶ年齢の上になってきてあれの云ったに幼い特権意識を思い遣る所と為る。あるいはあれの警句に一時期有用の益するを肯んじた過去があってそれをいずれ翻然として覆す自己に直覚があるだけな訳か。

 警句に忠告の意味をも内に蔵するものである。なるほど説教よりはましである。あれはしかし小中高ときて小に説教を多くこうむり中に警句を多く投ぜられてが将に順繰りで当方へ体せようとせんと迫って来る定石であったりはしないだろうか。然らばこれを高へ至るに何の次なるを誣いて来るものであるか。扨て魁人に綽綽として余裕のある素振を此行進下にも看て取れる。雨上がりの路上は太陽が照りつけて彼の心持を鷹揚にすることに余念が無い。

 高へも至れば則ち虚無で世界はある。魁人の脳髄には或る世界が近頃進行中で虚構上にある。陋巷に安んずるを以て高に通う大野蓮を主人公として且つ語り手とする小説にいずれする積りでそれはある。蓮は誰か実在の他人を試みに言語化して語る業をここで負ってもらう。魁人に固より定説があって人は他人に就て語るを最も面白しと断案を下す。自分を語るには人間はだいたい強度に堪えない。

 とりあえず中井累のモデルが現前にも先刻見たから甚だ帰ってから書き易かった。自宅は借家で生野一平の屋敷からは町の境界を幾つも越えて電車に乗って行った先という程の距離はある。しかし本人は全くかりそめの我が家として認定して居りこれはまず現在限りなく懸隔のある距離にある我が実家の方を全くかりそめの実家として認定して居るにも準拠してのことである。あの実家を遠ざけて置くによってだいたい我が家での執筆が可能の心持と出来る。あれもかりそめなら今住むこれもかりそめになってしまうはいちおう自然のことである。何其内に人などみな死ぬ。先に実家の連中が死んでくれれば尚のことよいが逆縁もあり得ないとはならぬことである。漫然儘よとお気に召すままのこれは何結句死ぬまでの辛抱である。恐らく死ぬまでは頭の中というを厳然一所に妙なるかな我が身よりして切り離そうにも不可能のことである。実家は死ぬ程憎いが未だ嘗て死にそうにないあの親と親戚とを死ぬものとして踏まえて置くこと位は出来る。そうして忘我の境にあって我が家にて執筆をする。

 そのうちに柳もえという女が現れる。オフ会で会う同年代の女がまさか最適解ということになろうとは最初思い掛けなかった。だいたい俺はまず実家と金と小中高とを問題にして他は断然措こうとの方法論であった。さればとて強制力のないネットから関係の生れて来る女ないしは女友達に自己の方でも憧憬があったとは驚かされた。そもそも俺に結構の自ら騙す狡猾があったから斯くなる気付きの仕方で当事実はあったのかとそう断案を下す。

 われわれの理想とはまず現実に引っ張られて現実から理想を見出す所と為るに頭の中に想定せられて来るものである。その殆どは全く荒唐無稽に想定せられは絶対にしない。実は断然現実の方に由来となる出来事を存じてからそれをもう一度再現したいと思うゆえに理想としてそれが頭の中に厳存して来る。結句われわれは絶えず経過して行く時間のうち未来へ至って再再にこれが現れて来るとしてそれは如何にしてかを想定するに即ち理想をここで認定する訳である。

 学校の教科書は暗記がまず基本であって社会にいずれ参加させるのだから最初にこれ道理を教えてわきまえさせて置くは明らかに正しい。実際初めからわれわれの社会にあって当社会の下に運営してある学校であるのだからやがて社会への参加をすべき生徒が将に社会での共通認識を覚えて獲得せんとしようを其道理とするはまたこれも明らかに正しい。さればとて学級崩壊が果して許されるかと云うにこれはわれわれ生徒よりしてみればまったく連帯責任でも何でもない。実に魁人の問題意識はこれにある。だいたい金力の為の指導をいっさい出来なかったも小中にあってはなべて不義理も甚だしいことであった。社会にわれわれを駆り立てるのであれば先に金力の件から教示すべきであった。それを集団生活から教えようとするから学級崩壊なぞにおちいる。あの小四の時分の教員はただもう生徒全員から舐められていた。だが対等にすら扱われなかったは単に集団生活を教えようという段で彼が失敗した訳だ。まっとうすべき教科書に載ることどもなどあの荒れた教室には何の意味も有さなかった。確かにこれは魁人をして内省に試みしむる事態であった。

 なればとて本人は大して理想に関心が無い。あるいは有っても弊害でそれはある。どうも理想と現実とをどう捉えて置けば善いかが判然としないからである。

 そもそも人に言わずに措いてある私的理解は数多い。定説として人は他人の話をする方が自分のそれをするよりも断然面白いとの理解を私的に持つ。しかしこれをそもそも開陳すべき機会は無い。

 いよいよ借家に住む理由は明らかであって斯くなる定説なぞをもう内にあふれんばかり蔵してあるは何か明らかにならざる所と為って来た。何の故に私的理解をこうも定説として大量生産して来ただろう。それを案出した過去があるから大量生産した訳だ。しかし独り考えを講ずるにすべて無駄な時間だったかの様相を呈する。

 いたって本人飄然として居る。虚構上には何でも存在出来る。且つ自己の過去を存在せざるものとして放擲出来る。罰は無い。これを自由として彼は置く。罰はまず小に於ける説教である。中まで来れば説教は誰も聞かなくなって来て身にこたえるということが無くなる。代りに思春期によって原罪じみた苦痛は伴う。そして高というにあれは一体何だったか一番分らない。いやしかし本人いたって分らない分らないというに馬鹿笑いが鳴り止まなくなってきてこれ現実の件には淡淡として冷静で感情はある。

 第一章ということで「笑声唯だ雷の如し」と題した。前に深夜のラーメン屋へ喰いに出て酔っ払った労働者連中を目にしたことがある。座敷に団体で集まっていて笑い方は何やら破格の具合に気持ち悪かった。中年男性かあれはたぶんもっと上の世代だ。

 気持ち悪くない笑い方をすべきメリットが無い段にあったからだろう。そういえば昔公立中学だかの時分で同級の女から笑い方が気持ち悪いと云われたことがある。当時は何だか差し障りのある緊急の問題に自分でも思われた。たぶんその女のことが好きだったからだろう。

 大野蓮は作者によって自己投影がなされた。これ作者と同一人物であるに近い。作者の方でも意見を色色と表明するにそうして置くが一番都合の良い仕方であった。

 しかしそもそも自己愛から自己を投影して語り手にしたと思われては甚だしく誤解である。だいたいこれに定説を自ら決めてあるがまず自己愛というは全く定義の出来ないものである。いちいち定義がしてあればあれも自己愛これも自己愛で世の事象すべて説明がついてしまいそうなものだ。人の通念に何をどこまで規定してこれ自己愛と断ずるか定めてないからそうはならないで済んでいる。全部が一つの理由即ち自己愛に因るものと断じてしまえば則ち終極の真理は世界に虚無を意味するものとの理解を附すが善いでこれは私的では無しにである。

 なるほど笑い方が気持ち悪いと云って来たはあるいは別に自分の好きな人間からされたのでも無かっただろう。しかし斯くの如く何かを否定する言葉を人から遣られる度に自分が一つの世界との折り合いのつかない所のあるを心得て行く。そうして破格に近付く所以となる。どうせ虚無から生れた世界である。虚無とは他者である。他者をさえも人は自らの理解で規定出来る。それは相手を好きであるかと嫌いであるかとの孰れを取るかで私的理解はある。あの女との一時期の仲は全く二人きりで居る時間に善さが集約してある。あれが幸いだった。あれでもう一生の幸福は足りたと思い込んでしまった。何の故にその時間を得たかを詳らかにしない。

 扨て創作家の仕事は彼にとって快楽であるか。彼はまず小中高の長を捨てて短を取る。現金に人の面白さが勝るとの否定を以て人の面白さの量こそが金量であるとの規定で認識はある。実家と来るにもはやあれは退屈に過ぎて論外だ。じゃ独り自室で措辞に頭を捻って居るがいちばん好い。どうせ言葉に本音の幾ら出たものか。書は言を尽さずとは善く云ったものだ。だいたいこれを読んだ者が信じるか信じないかの問題で当創作家の仕事はある。書くに頭の中で相手にするは唯だ理想の読者である。ここに独りする快楽がある。

 実家だけでなく地元も攻撃対象に入る筈な訳だ。笑い方が気持ち悪いなぞと公立中学で云われて当方から先方に関わるなど御免になるが当り前だ。まさに陋巷に安んぜざるをこれとすべきである。

 現実で過去に人から云われたは違わぬ語を覚えて置くことが出来る。しかし前後の脈絡だけ甚だ曖昧模糊として来る。人の記憶に十全な有り方は無い。それならあからさまに人を誣いて来る言説の存在もうなずける。何故なら勝手な解釈をするからだ。語を其儘に覚えて置くことは出来る。然らば解釈だけかたよる向きがある。

 実はあの女の顔も覚えて居る。しかし人の顔というは会うに久しくしてみれば全く別人であったりするから頼りにならぬ記憶と思える。だいたいあの女にまた会う筈はない。小中高の知己はなべて縁が切れる。では顔と遣って来た語とをこうしていつまでも存ずるを以て如何に定説へとこじつければ妥当であろうか。

 公立高校に説教も警句もない。もう稼げる年齢であったし社会の方で或る方面の保護を止すようになっただけだ。

 大学一年の大野蓮にいったい何が残存しているだろう。彼は何も言葉の遣り取りを望まぬ筈である。しかし例の作者の自己投影であるからやはり創作家でありそうなものだ。何か電脳界に荷担する所がありそうなものだ。漫然儘よと日日の習慣としてあれに参加していないとは作者の方でも彼に肯ぜない所である。

 而してひとまずオフ会はしただろうとの断案を下す。要するに金があって初見の地にも赴くことが出来る。ネットを用いればまあ則ち趣味や考えの合う者など当然簡単に発見出来る。

 魁人の方で妙だと思うのはそれでも笑い方が気持ち悪いとか直接云って来るような同級の女が自然に現前へと発生して来た偶然性の方が値千金の価値があると思うことである。なるほどネットに参照して都合のよい出会いを求めてもひとつの銷遣策でその参照はある。さればとて強制力の無い出会いにどれほどの魅力があるだろうか。

 正直に云えばあの台詞に多少攻撃力のあるを認定して置くべきだった。ああいった発言の多さから彼女にはだいぶ冷淡に接して遠ざける素振にしがちであったが考えてみればまさに青春最高である。自分は残念ながら自尊心が強すぎてあれに攻撃力のあったを当時は看過していた。だからあれを云われたに際して黙ってしまって会話がそこで已んだ。

 

     第四章 時は金なり

 

 魁人の与太話に新田勇のモデルは人間が必要とするものを全て持つ人間だとの言葉があった。さすがに櫟は彼から顔を背ける程身体上の嫌悪を覚えた。彼の意味は斯くも嫉妬の対象たり得る同性を見知った過去があるとの暗く惨めな発表だったからである。

 其座を開いたは屋敷にある客間で卓を並べて宴会の体にした。界隈の面子がみな揃っている。その他は給仕だけでなく派手な恰好の芸者まで呼んである。念の為言って置くがこれには魁人の書く登場人物が参加した訳は無い。然らば彼は異能を有す者となってしまう。

 櫟たちが居たは稍や端に寄ってここで一番盛況の方よりは離れて位置はある。会場は観察して看ればなかなか華やかにしてある。騒ぐ者には男女が入り乱れて大抵若く見える。しかし時折断然老け込んだ類の容姿もそこらに一点毎を強調するのごとく視認出来る。

 いない人は唯だ主の一平で彼は早乙女櫟が参加だと聞くと殆ど逃げるようにして来るのを止したらしい。所謂洗脳を蒙る恐れがあったに心を用いたよりは彼女が現れる場に会するを自ら制したらしい。

 斯くなる世界は早乙女櫟が頭の中で宛然現実の趣に認識しているので今誰しもこれが過去の現実をとある面の益する所にのみ誇張して理想の世界に近く現前せしむる由来よりして彼女の想像に恰も本当の事のようにすべて体現してあるを此時の経過するに彼女当人でさえもが終始これに一貫して寸毫も知覚し得ない。

 庭先に時節の好い春風をみな見覚えて室内にまで吹き抜けて来たは感ずるに人と共有すべき安楽をここに知る所である。独りおっとりとした誰だかが唯だ身を凝らしてその方にすべて向けている。そのうちにそれに気付く者がある。それを指摘する。示されてその誰だかは甚だ眠気があるような反応をする。

 そもそも此屋敷に想像で形を与えたに櫟が何を面白がるよりも超越して一平への重苦しい愛着があったらしい。あの男は彼女の想定が遥か先の未来にまで及ぶのでもはや十代の青年ではない。実際の一平にはまず幼さがいつも看取出来た。男は三十代位でなければ定めて成熟を以て大人として心得ないように彼女は考えた。それで今愛着のある分は彼の住まう所に自分も居るという境涯を創り出した。

 しかし櫟には一平の顔が全く見当のつかぬ形で記憶にある。ひどく愛着の対象を朧気に想い起す。これを好ましく思える男であるか判然としない。座の様子を以て彼女に残す印象はたけなわである場をいったい人生のどの時期にどんな感想を持ったか判然としないに言い様の無い孤独をこれで呼び覚ます。

 櫟には余りに異性をして陶然と酔わしむる所があった。

これの所為で色色の事の運びを彼女の好い様に進めようにもどうも彼女の思うに人の一般よりも異なる程には彼女自己の人との交流の自由を持つこと能わざるに至る所と心よりそう感じて諦めに怨みのある心情の底を無しとはし得なかった。

 実際に其証拠を見つけ出したには全くそう達せざるにしまったが唯だ学校に通えば体を以てこれに参加せざることを得ずそうして電脳界にある何事にも物質界より面白さにかけて劣る要素無しとの定説に自己の方で決った。

 魁人の如きは彼女の心にも其姿態にも食い入るように夢中になりがちな類の異性の典型である。しかし今現前に甘い肉から辛い肉までほしいままにもぐもぐ頬張る男の卓を一つ隔てて喜色ある様からは看取に感じられるものが無い。これに少し眺めてみる視線を移しても空虚な腹具合を率直に善しとしたくて満喫しようとする無害な彼である。春が来て寒さも失せたからシャツの薄いのを着ている。

 彼の発表に意外性もあって破格な意味合いもあってそぞろに意識の遠のく触感がした。見知った仲にあっては顔を合す度に頭をのけぞらせて笑うことを絶対にする手合でいちおうの交流はあった。俄然新しく情報に触発されて新田勇のモデルという人物を推し量って見る。

 その一切は謎めく。斯くして魁人は謎を自らに秘めて置くことに成功した。今宴会に参加して且つ界隈の者であるは嘗て櫟の見知った多少の印象の残る人物をそれぞれ其表象よりしてここに生ける人のごとく実体化している。魁人は嘗て見知ったよりも余程理知的に戯れの素振をして来る。言葉に軽妙洒脱を心得て明快な態度で思う所を示す。他の人人にも其素振に変じた様がなかなか沢山ある。

 ここで人に行為の規定はあるか。独り櫟には謎めく座を其儘謎めく座として見る気を起す所とは為らなかった。ただ達観出来る。

 時間の過ぎ去るにこれを長長しいとは感じなかった。未だ彼女に自己の年齢を想い起す所とは為らない。やがて解散した。

 魁人の知り合いに常識のある人間があったは謎めく。彼の文章を読んだことが無い。固より彼への興味がなかなか湧かない。

 櫟は彼を留意しない。例えば彼が頭の中ではあらゆる自己の欲する所に自ら意味付けをしようといつも試みていることになど一向思い当らない。またこれは彼女に限らずそうである。彼は頭の中のことを不断に更新したがっている。其人前での素振に挙動不審になる所のあるは彼がそれで脳髄の勢いづくゆえに興奮するからである。

 人の意に留らずとも彼の素振からは彼を知ることが可能である。ただ彼は界隈に属することで彼の其内面を自己のほしいままに操作することを可能とした。知らるることの可能と内面の操作の自己での可能とを同じには出来ない。前者はあるいはあり得ないということで終るかも知れない。しかし後者は彼が生きている限り実際にそうせられ続けなければならないからである。

 よって宴会の後で帰りの電車に揺られながら将に操作せんとしてこれは或る試みである。すなわち櫟と友達になることは可能かと推量して寧ろ彼女よりも古い知り合いに友達だったを存在に見知ったかと顧みるまでに来た。まず櫟には関係が出来る所以は無い。これも強制力の無さによる。しかし人を目前にして会話などすればやはり昔に強制力を存じたを小中高として結句想い起す。

 界隈に人の面白さよりも以上の意味は無い。そして実家だけが自己をして縛せしむる強制力がある勢力で現在はある。

 あの実家は謎に満ちている。家計簿を見たことも無い。父母を越して祖父母に叔父や叔母などと来ればさらに不可知で其存在はある。母方の親戚にはこれも長らく強制力のある付き合いだが何だか誰もが何者だか分らない。界隈に真の自己を見出すのが一番好い。

 実家への攻撃は完全に特有の芸風として定着した。問題は反応が無いということである。界隈では人の言葉に応じなければならぬ義務が無い。だから彼への其仕打に限らずみな互いに反応が無い。

 一方櫟の方では屋敷にある寝室で蒲団を敷いて未だ日は暮れないのにすっかり横臥の態であった。

 彼女の朧気な頭の中では三十代の一平がただ漫然と此屋敷での日常生活を送っている様を上映していた。彼の年上であることは彼に望むただ一つの要求だった。彼の内面が甚だしく肉欲に支配されていたことが其所以である。

 初め彼との交流に言葉と素振とだけが交された。未だ十代の時分であった。彼も其罪深く放縦な年代を持て余していたをこれは二人して途方に暮れるようにして静かに隣り合っていた。それは我が居る屋敷の一番広い部屋である所の客間に縁側があって其処で春宵を目前に横たわる様へと押し黙って坐する一刻に値千金のときを無心になって存する内面の二つある時間である。

 空間が無い。空間が無い。

 あるいは彼とは学校に通う時分の交流であったかも知れない。しかし彼に対しての要求をそれなら増すことになってしまう。櫟は彼に制服で居て欲しくなかった。

 寝室に独り身を横たえては恰も自身も風景になったかのように粛然としている。界隈の者どもが集まって杯盤狼籍にしたのでは唯だ爆音の事事しい喧騒であった。しかしいちおうの礼儀作法よりしてあの座に寝転がるような類は居なかった。魁人による実家への攻撃の中に父方の実家の会合の悪習慣では酒に酔ってみな精神の弛緩に至ると寝転がる所と為るそうである。それが何とも見苦しい。独り魁人の方では場の観測に余念が無い。要するに家系の伝統文化が我が身体に直接噛んでくる現実を面白くないと思うだけだ。

 一平に現れて欲しくは無い。寝ながらそう思う。あの男は感情其物である。それが現れては彼の存在は示唆だけにとどまらなくなる。世界に櫟自己の定義を与えてしまう。それは彼女の女性としての面である。あの男の持つ内面に彼女は甚だしく厳然として揺るぎがたく其姿態を佇立させている。彼の心をどうしようもなく掻き乱して彼をして自暴自棄の態にまで堕落せしめたは唯だ彼女の姿態だけによる触発だった。

 独り彼だけが彼女の男である。そう思い込んだは彼が未だ青年の境涯を出ずに居た所為である。

 その縁側にたたずむ二人は何もしない。本当に神聖な相手であるから干渉の一切を差し挟みたくない。併し精神の弛緩は無い。其内面二つを共通して定義し得るに情念の均斉を取れて二つともある。

 実際には彼の暴力じみた内面が彼女により看取せられたも幾度となくあった。現実にそれが明らかな眼前に現象して来たはいったい何回のことであったか定かでない。会っていないときにも彼を心に思うときが甚だしく繰り返されたからいったい何回のことであったか定かでない。理性の方でもこれを統御することは出来ない。男は勝手であって不埒な感情を心に重ねて差し出して来た。

 これが或る時間の中で経過して強く印象に残る。

 遂に男とは一緒の隣り合わせで月を見る夜へと至らなかった。

「堀木さんに言わせれば私はだいぶ非人情だって話だ」

 蒲団の中で櫟は彼がそう話しかけてくるのを心に思い浮かべた。

「あの人は何でも言葉にしてしまうんですね。自分の実家の話ばかりして面白がっている。しかも其行為のうちにある苦痛が彼には段段と快楽になるらしいんだ。何の才覚というのでもない。遊びたいだけですよ。しかし友達がいないでしょう。だからネットに釘付けな訳です。ネットに文章上げる位なら全然ひとりぼっちでも出来ますからね」

 櫟の思考にはいつも此男が介入する。嘗て真剣に理解しようとした対象であるから未だに心の中に定着して離れないようにずっと言葉を投げ掛けて来る。今でも身を褥中に横たえて独り眠れないでいるときなど其容喙が何の故にか体を其処に捩る内に心安く信ぜられる思いになる。本来櫟には他人が喙を内面の方へと容るる事を面白しとしない性質があった。だからこれには特別の理由がある。男への理解を真剣に努めて取り組んだ過去がそれである。

 庭先には春の日も暮れて静かである。隣に居る男を櫟は確認せずにうつむいている。それでも気配はある。あの声は確かに耳に聞える。しかし此場を心に想定するは唯だ寝入る境にあってこれが或る理想を意味して頭の中に現前の輪郭を結ぶだけである。

「しかし非人情は様様である。世間普通ではいったいどんな尺度なものか人は何故だか明らかにしない。そんなら自分で気付けば善いのが分る。倫理的基準に常に孤独を伴う」

 ここにまで至って櫟の推量に限界が来た。これから男が言うことを自明の内容であると直観に知ったからである。固より人には自ら推量すべきこととそうでないこととがある。そもそも独り蒲団に居て寝入るに際しては誰しも物事への推量を必要としない。

「そんならなんで私を誘惑したんですか。あなたが私と一緒に死んでくれないのなら残酷だと思った。あの頃はまだ少年少女だったでしょう。大人は子供に対して何にでもなれると言います。そんなら私たちは死んでもいい。幸せになれと大人から云われたなら私はあなたに愛されない位なら独りで死ぬ。実際には生者の儘でもあなたは私に叶わない欲求を無償でくれたから私はそれで決してそうは生きられない生き方を知った。あなたを怨みます。私を無力な男にしたあなたは私が死ぬまで怨まなければならない。大人であればそうは言わない。過去など未来によって塗り替えられるのが少年少女の特権だと考えるから。しかし生きることは不断に現在が過去になって行くことです。そんなら忘れろと言う方がすべてに対して残酷なだけだ」

 こうして言葉を一方的に投げ掛けられることを櫟は界隈の誰の言葉に云った諧謔よりも面白がった。そうして男の救いようのない弱さと櫟自己への見苦しい執着とに独り憐憫の情と軽蔑とを覚えた。

 

     第五章 大丈夫

 

「言語なんて何処も適当だね」

 恬然として勇はそう云った。私は反駁した。

「其適当が晦渋に仕組むんで失敗する。俺の実家なんて非道いもんだよ。親の機嫌を取るってのは君これほど現実で面倒な事は無いよ。語を和らぐようにして面倒などと控えめに言うのも止そう。人生にとっての弊害だね。嫌いな相手に媚びへつらうのと同義な遣り方だから先ず俺の良心が傷付く。君考えても見給え。生れてから絶えずあの家庭にあることで人生が設定してある。世間普通の常識に参照を済ましてある俺はこれの意向に自己を沿わす。しかし親の悪態を目前で難ずる事までも近頃其機嫌を取る事の範疇になって来た。俺の意味が分るか」

 勇は何か違う問題を気にしているらしい。習慣の帰路には町が茜色になる夕陽の空である。今年の春はなんとなく過ぎ去ろうにも遅延して感じられる。質の濃い時間を生きて斯くも長いのだろうか。

 今日は秀を伴わない。単に行き合わなくて別別になった。

「意味なら大体分ってる」我が友は淡淡として調子を合わす。

「俺は実家や親戚の連中とは違う。陰湿な類の男では絶対にない。豪放磊落を決め込んで遣る。ゆえに何でも言うぞ。うちの連中の男は喋らないに於て甚だしく示唆がある。それは肝腎な時にだけ口を開くからだ。しかもそこでの表明が毎度何らかの嫌味をしきゃ言わぬと来た。こりゃ悪いね。要は立場を自己の此親族内に於ける属性に其儘合致させてあるまでは彼らの意味が正当化される。それでいて内心已まざる不平が感じて蔵する所であるを其表明の短い瞬間に発せられる折しも顕微の妙を体現する。学校なる場にて授業態度の善くない者のあるを見たことはあるかい?それが我が家庭では全く男の仕事な訳だ。君官僚制の弊害を知っているだろう。現代人には知らないとは言わせない。ましてや学校の勉強が何の役に立つのか分らないと思ったことの一度でもある者には多大な感を以て知る所と為さずには置くべからざるを宣して置く。俺の家庭を実質的に二世帯の併存せる家庭として認定して居る。そうして我が実家と父方の祖父母の方とで二者已むべからざる折衝を大昔から遣っている。今実家の一人息子たる此俺の往く末には二者のそれぞれで斯くあれかしとの主張に相違があるようだ。姑とくれば我が母たるあの息子の嫁への雑言を未だに我慢出来ないで居る。素敵だ!」

 素敵だは反語である。姑のこれの仕方には前前から私の方で思う所があった。たぶん姑でも自分が此処へ嫁に来たに際しては旦那の家の者からだいぶ嫌がらせがあっただろう。復讐の無限連鎖が将にこうして末代まで持続せんとする訳だ。

 陰湿の好例は単に本人の居ない場でそいつの悪口を言うという仕打に集約されるだろう。もうこれ以外は挙げたくない。だいたい私の方でも我が母を嫌っては居るから母の擁護なぞをする訳ではない。姑の愚劣はだいたい此老婆が大して諧謔の素養のある人物でも無いに斯くの如く人の謗りを受けても仕方の無い振舞を子つまり私に分る様にする程の好き放題を遣っている点である。

 言いたいこと言ってる訳だ。

「まあ色色あるよね」勇は別れ際にそう云った。

 道の分岐によって独り他の方面へと歩いて行く。それにしても歩行とはあらゆる運動の基本ではあるまいか。就職でもバイトでも面接があると聞くが今まで何をしていたか聞かれて「歩いてました」でも正直全然通用すると思う。

 とまあ斯くなる言葉を交したも全然高一の時分であった。いや私が一方的に話したのであってあちらは大体聞くだけだったか。私の独り言に近い開陳でも結句此現実への干渉を遣るからには私に面白味がある。此面白味も又私には変に面白い。

 生来社交への態度に傍若無人な所がある。それで絶交の体になった奴もいちおう少なくない。どうも自分が悪いんではないかとの思いに悩ましくなることも無くは無かったが毎回そもそも男との付き合いにそんな憂いがあってもなんか嫌だ。

 秀も勇もそのうちに私から離れて行くだろう。所謂青春なぞというもこれで二度と還らなくなるに違いない。青春は金にならない。何故なら遊びだからだ。世界には遊びでないものと遊びであるものとの二つしきゃない。金金金金。全部金だ。

 だいたい世の中金だけじゃないと言う者を見ると可笑しくて仕様も無い。そういう物言いにどういう魂胆があるか考えるだけで時間が潰せる。それでそいつの其商売を粉砕してやっても好い。まず粉砕し得ない仕事をする奴に世の中金だけじゃないと主張する者は居ない。社会から放置された寂しい連中の仕事を粉砕することは簡単に出来る。例えば私のする仕事もそういう全然耐久のし得ないものだ。

 困ったことに勉強をしようという気持が一向に湧いて来ない。いちおう大学受験をする予定になっているがまず何も手につかない。まさか義務教育の後も人生があったとは。小中の手合を殆ど消滅して高へ来たから恰も零から始まるこれにはただもう面倒な時期の最中の沈痛だ。

 平生から私の機嫌は悪い。最近大学は県外に下宿が借りられそうなのが判然として来たので私の悟性の方でもこれ以上親の機嫌を取る必要の無いのを断定して来た。じゃ今まで取って来た機嫌は何だったのかと今更ながら体がかっかっとほてって来た。

 そのうちに私は反抗期の遅れて来たを認めるだろう。そもそも一時期まで偏った自意識を発揮して私にしばしば感ぜらるる我が家庭への怒りというを自己の心持でありながら懐疑的に対する所があった。だから反抗期という何だか余りにもありふれていて卑俗ですらある思春期の内の其時期を自らの事として自覚するには私の場合結構時間が掛かって内面の方で複雑に展開して行ってそこへ認めんとするに結実するを潔くは出来なかった。

 実家の近くにコインランドリーだかクリーニングの店だか知らないが妙な字体で「なかよし」と店名の示してあるを知っている。あの辺の道は私がショタだった時分に自転車でよく走った。まさに親二人とは頑張って上手くやってきたから「なかよし」だった訳だ。それにしてもなんで看板でなくて建物全体に色を塗ってその言葉を書いているんだろう!素敵だ!

 私の尊い努力によって家庭に神のようなよい子を提供した。だが私のして来たことは私の体を売ったのだ。それを親の方で理解することが出来ない。あるいは理解はしていても認めるということが出来ない。だいたい自分の子が自力でよい子の偶像を提供して来たに対して親の方では親の力によってよい子になっていたと思い込むからである。諸賢にはこういう事態の沈痛をよく汲んで頂けようかと思う。私の心持は私が独り秘めたるものだ。しかし同時に本来更なる金量をここに生んだものとの理解がなくてはならない。

 その理解をするのは独り私だけではない。諸賢もだ。

 もう親はこの際もういい。いずれ絶縁する「終った関係」である。そんな連中に共感とか寄り添うこととかは求めない。もう私は一生分の労働をした。これ以上人間の相手をするのは御免だ。

 繰り返して言うが家庭での子という属性を善く全うして私に生活費があり得た。これは紛れも無く私が体を売って稼いだ訳である。然るに親の方では寧ろ子の心身を親から出たものとしきゃ考えない。そもそも「なかよし」も親の力によって益したとの認識な訳だ。

 そして親戚との会合。これはこれで沈痛だが今詳らかにしない。

 私の実感は私の実感で完結している。私の感じ方に対して善し悪しのある筈もない。これ即ち現実を見るということである。私の現実には家庭が生来現前して此処にもう自分の労働があって其労働は何ら私に生き甲斐をもたらさずにしまった。或る時期まで私は私のすることの意味を理解せずにそれをする所と為っていた。だから辞めるという選択肢もあり得なかった。初めから私には遣らなくてはならぬことの規定をせられてあった訳である。

 そして今開陳するが私の高校はバイト禁止である。市内の進学校はなべてバイト禁止である。そもそも親の機嫌を取って親と話をするうちに須らく大学へ進学すべしということになった。そうして私は今進学校に居る。

 校則は守らなくてはならない。それはまあ認める。そして自己の受験生という位置に安んぜなくてはならぬを朧気な意識で甘受する。

 なるほどしかし私は大丈夫なのを理解している。何故なら単にこういう気分の浮き沈みは気分の浮き沈みであって私自己の方ではやがて今の此現在を過去とし高く遠く飛んでこれを未来とし行き着く所は解決であるからである。つまりいずれ私は死ぬのである。すごいことだ!しかも我我はみんな死ぬらしいぞ!全部茶番だ!

 同志を募集する。

 私は大丈夫である余りに破滅することがない。単に今生きているしこれからも生き続けるだろう。私に特有の才覚を看取したと思ったらそれを指摘して欲しい。そもそも現実の方で家庭とか学校とかとの折衝に当って居れば真の自己を折り開いて開陳可能な機会はなかなか無い。併し既にもう真の自己をこちら備えてある。暴力行為は無しとして我が内蔵面にある武器の攻撃力は有る。正直昔母に殴られたこと位はあるがいちおう世間普通では家庭内での暴力行為を非存在とほぼ見なすしだいたい親の機嫌を取る中でこれの看過をして如何にも孝行息子という自覚すらある。序でに言うがああいう世代の人間の沸点は訳が分らない。

 私が義務教育で学んだ技は数多い。高一の時分では最終学歴中卒だがこれを満腔の誇りによって顕示したく思う。云わば小中は高よりも青春の要素の濃い時期であった。まずあれは生徒の親同士が当の此地元の小中出身であるなど膠着した空気感が予て醸成せられてある。公立中学に至っては社会の縮図だ。私は中学生の頃常に周囲から馬鹿にせられているような気がしていた。

 別に中卒でも良かった。家の方で暗黙の了解があって私はそれの流れによりまあ高校位は行くよねという話になり結局進学した。私の内発的な動機は零だった。まあこれは大事ではない。

 現に在る高一という位置のみ私にはあるからである。

 そして小中の最大の青春ポイントは勝手に攻撃や容喙などをして来る手合があることである。高でしかも進学校とくればそんな破格な手合は無い。しかし小中ではこれと対決することを回避出来ない。

 私は先天的決闘者であった。決ってああいった場所では喧嘩を売られるのである。恐らく顔の所為だろう。此運命に従うことを私は肯んじて来た。実は私はかなり好戦的な性格で知られた。喧嘩に必要なのは体の力ではない。認識である。あれは立てなくなった奴が負けというよりは負けたと思った奴が負けなのであってそういうことで行くと私は負けたという認識には一度としてならなかった。

 高校受験の段でまず競争ということを肯んずる境のようで人はある。多くはここで初めて受験を経験するからである。然るにそんなのは初めて競争をするのではない。実は保育園の頃から私自己に先天的決闘者としての自ら認める所があった。そして教室に於ける同級との喧嘩は可愛げのあるものではない。尊厳の奪い合いである。

 何故ならそれはだいたい女子もその場に居合せるからである。殴り合いになっているに際しては闘いに参加する者みなプライドを捨てなければならない。これで拳という一番分り易い言葉を交して親愛の情を獲得出来る。男子と女子との違いは概してこれである。男子は闘うことで同性間の友情を鍛える。教室に女子が居ることなど留意してはいけない。俺達にそんな留意が居るのか?友よ!

 明らかに女子から白眼視されていることは分る。我我は恥を顧みずに拳で確かめ合う。暴力から対等に他者と存する此場を知ってそれを攻撃力であるとする断案を下す。

 私達は義務教育から学力と攻撃力とを学んだ。これ学力は皆さん御存知官僚制の弊害で実際には完全にそれに準拠する教育の実践自体が形式化に附されながら目的化しているに過ぎず何ら人が金を獲得する能力に直結しない。それより私達の情感に訴えて強く印象に残り脳の学習効果を発揮して私達が体得したは他者へと拳による一番分り易い言葉を投げ掛け交し合う事で今現実に生きるを実感出来る。そうしてそれがやがて金力に替ることを直観する。

 何故なら世界で一番価値のあるものは金力であるからである。それに替る人間の労働が体を以て争うという最も代償の甚だしいに第一で益せずんばあるまい?

 

煙雨

 

   第一章 人並外れて耳が良いんじゃ無えかあいつ

 

 うららかに照った春の日は街路をおしなべて淑気で満たした。

 位置の相違をこれ見よがしに紅く光らした外壁よりしていずれも高慢に占めた場はただ頻りに往ってそれで来る行人のこうべを本当の色彩に割り振ってあってみんながみんな誰だかわからない。

 結局どいつがどいつでも一人として留意しないのだが社会の方では顔と名前とが合致出来てると思い込んでいてそれでも運営に支障は無い。

道のきわにみどりなす美しくて美しくて未就学児が見たら精通してしまいそうな柳が長過ぎる髪を振り乱している。

 それを欄干に倚ってニヤニヤ笑いながら見てる中年男性がダサい上着と下着とを丁度先刻拵え上げたのかとまで看て取れる新鮮な柄めいて奇抜らしく手作りみたき繊維の具合で着ていてこれはさっき彼の小中の同級がそう馬鹿にして行って彼をうるさく黙らせた。

彼は高に至ってもこういう癖が直せなくて連中の嘲笑を買うに今日まで禁じ得なかった。彼自己では意に決してあるとおり別に今死んでも昨日死んでても同じだとの方針から何でも斯くなる調子で妥協していた。彼の知己は馬鹿にして来る小中高の同級しきゃいないのだが最近親戚もそれに加えて荷担をし攻撃をし其上遣り方が日本風の陰湿加減に田舎者のおせっかいぐせを調合した敗北の香り立つ迂言法のもてなしだった。ああいう手合は何十年も前に今居る世界へと招喚を承けた段階からああやって構って来ることが神によって設定してあった。

 川の匂いは甚だ頭の中だけのものだった。誰もがこれを心に期待してここを通ったが一人として花粉症を免るること能わず鼻を詰らせていた。街路が下品にも春一色で染まっている割には川が全く純粋性を強調し切る清らかな十八歳位の娘と見紛う程快く快く男の好きなものをすべて心得た女の寄せる頬みたいに表面で健康味を呈したので場合によっては満足して親友五十人位を突然絶交しても好くなる触発に価した。

 すべて魅力の無い舗装済みの地面が女子中学生と女子高校生との惜しみなく披露して行く制服のスカートの中だけ覗いていた。社会はそれを無視した。社会は荷担というよりはそういう悪事を助長して且つそういう行為をする共同体の中の構成員となって人生で一番楽しく視線をそこここへ移して哲学的な思索に耽った。

 独り機嫌の悪い女が歩いて来て硝子張りの店頭の前を過ぎ去った。

明らかに育ちと天稟の素質で人をたぶらかす垂れ目とが歴歴と誰でもたらしこむ位分った。顔は所謂貴人の相として社会が認める形をしていた。恰好は母の誇り高き指導によって幼少期から一度として着替えたことの無さそうでまさか全裸など絶対に自然に晒したことなどあろう筈も無い御人形の様な簡浄の印象を残す上下ひとつなぎで首から上以外覆い切ったにとどまらず其上足腰の揺れ方に性別問わず官能を地震みたいに揺さぶる淫らさがあった。

 何の脈絡も無く路上で独りギターを弾いていた男がいきなり彼女に突っ掛かって来た。彼女は彼を好きになった。愛情を一身に受けてそのまま頼りがいがありそうに押し込んで道の脇に遣る撫肩のその名前も知らぬのに彼は激しく焦ってる素振で説明し出した。

「こりゃ時間掛かりますよ!いやしかし寧ろ俺が時間掛けるんだろうなあ!」

 車道を隔てて向いにある歩道に自転車を停めた二人の男子高校生がこれに注目した。片方が指を指して当ててもう片方に真顔で「まゆ」と小さく叫んだ。先方の好きな異性の名前を云って冷やかした訳だ。斯くして二人の絶交への時間は早まった。

 むやみに性欲をそそる女は加藤優と云った。ギターの男は前田マンボウと云った。毎週これ初めて会った火曜日の昼過ぎに同じ所で同じ遣り取りをした。

学校の制服を存じたは何やら始業式などによりそんな時間でも連中が居たらしい。

てかそれだけでなく下校さえ経れば若い者らで遊びにつどって何の徳義上の益も無い寧ろ人が増えてそりゃ女の子は場合によったら別だがかまびすしく馬鹿の親戚の相手でもしてるような退屈にして気が滅入る街路となったは単に日常的風景だった訳だ。

 太陽と月が三千回入れ替わった。優もマンボウも容姿に一向違いが見られない。学校制度はみんな詰らなくなって国の方でも決定が出たから無くなった。何か特殊な性癖があって好き好む男のために女が制服を着てくれるためしはあった。学校が無いとそもそも男がいきがれる環境も無いから男が着てたような制服は全く見られなくなった。代りに女の制服は満場一致で本邦の男も女も官能的衣類として扱って享楽としてたしなんだ。

 やはり優は機嫌が悪かった。こればかりは孔子が日本人だと思っている人間でも雰囲気で看て取ることが出来た。マンボウにとってギターと歌で人を笑顔にすることをもう無理だと思うのは彼女の其表情の破滅願望を思わせる沈痛の趣だった。他の例えば実の親がカルトに入れ込んで社会から隔絶した山奥にある寺院に封印される予定の幼子とか三十六浪している六十代のポニーテールの男とかは簡単に笑顔にすることが出来た。前者は爆弾を作って自分の保育園の自分をいじめてくる同年の家を壊して居住者を殺して自分もそれに巻き込まれて死んで後者はただ寒い冬の川に独り身投げして死んだ。マンボウの処方は何もかも幸福にした。

 優の方では何か一風変った類の異性に趣味が合いがちで昔から例えば中では胸も尻も往往にしてそこらの男子生徒に教室で押し付けて平気な顔をしていたし高では簡単に処女を失うにまさかの自分の事を好きだった中の同級の男の前でそいつの友達のどちらかと言えば頭が悪くて愛嬌位はある微妙な立ち位置だったこれもまた同級の男とこれでもかというほど愛くるしい声をあげて寝取られを演じて見せた。寝取られといってもその見せつけられた男は彼女を自分に気があると中の三年間思い込んでいたからである。三人は小は違くて中で一緒になって高で別れたがこれ試みにやって見るにそもそも携帯で連絡が簡単につながったから親がいない奴の家で梅雨の日の放課後に切ない湿気に酔いながら初めてのそれに喘ぎ悶えた訳だった。あと序でに言って置くと心身共にという境地へ至っていた。

 優は大学生だと言っていたがマンボウは何か信じられないと思っていた。会話の内容が赤ん坊と話しているみたいだからだった。漸くそれ触れずにいた悪い機嫌の件を冬のひどく寒い時分に開陳してくれた。花井累という先輩の男の言い寄り方が甚だ癪だったらしかった。しかしその男はマンボウの同級で中一の頃同じ教室に居りギターの全てを教わったとマンボウは言う。喜喜として彼が語る余りに優にはあの男の美点を次から次へと想い起すことが出来た。

 俄然マンボウを振り切って累の家へ出掛けた。知っていそうな奴に電話したら簡単に居場所が分った。ネットで調べて直ぐ電車での行き方が把握可能だった。金はマンボウが何も言わないでも出してくれた。独り其借家の戸を押した。彼が現れた。

 彼女は笑った。彼の物質界では甚だ気象の落ち着いたを体現してまるで電脳界に於けると異にした態度なのを面白いと言った。

 彼は何でも言いたいことを言った。彼女の放埓をののしった。

 一方街路でマンボウが鈍重な足取に人生への気合の無さを表現していると彼に興味深げな視線を移したは欄干に倚る中年男性であった。あの女は居ないのかと思ったらしい。マンボウは彼を当然無視した。

 中年男性は坂上勇気と云った。見た目は変だが毎日同じ服を着ている。恐らく内面に魅力が有って印象に残るのだろう。

 爆発があって一帯が完全に消滅した。様様な人間が考えることも社会に参加することも出来なくなった。単にもう存在しなくなったというだけで人の留意する所ではなかった。

 優が帰って来ようとすると駅名すら抹消の体であった。一瞬あの小中高とか大とかの生活を過ごし実家まであった市内の光景を想い起した。人についてはあんまりこれからの人生に関係して来ないから其必要も無く頭脳に上すまでも無く寧ろ忘却の彼方であった。

 これでもう居るべき家とか考えるべき概念とかは断然現実から虚構へと変化したと同じことであって折角だし累の住む下宿に彼をして自分から懇願せしむることを強いて且つ実際に其要求から同居の体となった。彼のしどけない性欲の衝迫というよりは全くこれ官能に自然と訴え掛けて来る女の肉感が彼をしてこれ彼女の罪悪と自ら甘やかしむることを強いた。

 そりゃ毎日これ大学の文学部へ行って有難い講義と図書館の恩恵とをほしいままに人生哲学を構築すること努力に無間断の所枢要で全部の生活はある。併しまず自己を裁いて来る者も無いに自己の性欲に益するを以て善く生きんとするへ用いるは唯だ快楽が確かであって得ること必定であって既に自明の理に人が快楽を求めずしては単に虚無主義へおちいって社会に積極的に参加して行く気もどんどん失って世を拗ねて人間嫌いにまで落ち込んで結句堕落に至る。

 それが第一に累の方でも実家が消滅の体だとは知らずにいた。まだ春の到来をも見ずにきさらぎの頃仕送りが無かったから何だ絶縁の知らせかと断案を下す。そもそも実家が好きなら固より地元にある大学へ進学したに決ってる。気分がせいせいした。

 あとは金だけだ。近頃腐れ縁のこれいつだかの同級で自称詩人の男が居て何の故にか家無し定職無しで死なずに済んでる。こいつ俺には借りがあるし同性間の友情といえば真っ先に挙がる知己な訳でひとまずこちら自宅の一室へ呼び出しをした。遣ったは単に電脳界への通達へ宣して毎度の癖で小気味好く滑稽があって言語をこれ二人にしきゃ伝わらぬを用いたは慣れ切った按配での様子はあった。

「こういうのほんと好きだよねえ」優が彼の滑稽をくさした。

「俺からこれ抜いたら俺じゃなくなる」累は俄然適当に返答した。

 よくあるように男友達を迎えて家に若い女が居て三人は化学反応を起した。自称詩人は山田一平と云って坂上勇気並には顔に老け込んだ感情の刻印をしてあった。前から語ってたが何らかの音楽を夢一杯の青春時代にし続けて結局断念をし紆余曲折の末に今があるとのことだった。何も理路整然とそう優へと物語を試みた訳ではない。累が場に居たのもあって斯くの如き示唆は避けられないイベントだった。あとそういう訳で例のギターの男とは画然違う勝手であった。

 だいたい閲歴の示唆などというは頭が雑駁にそれ人と言葉交す経験を積み重ねて受動的教育で知った遣り様であった。まあ世界に受動的でない教育があるかとの問題もあるが初めて会う人の前ではまず色色と論理的には適わぬ言い様にものを存ずるを場や制度などの規定よりして結句に立たしむる。公立中学並には何も規定の益しないを懸念出来る。妙な奴ばかりであれ真剣に対処しようという気が誰にもなければ誰もこれを善きにか悪きにか発展せしむる所と為さない。

 しかし一応此世界で二十年かそこらサバイブして来ただけあって一平に寸毫も言い淀む言葉附きは無かった。だいたい無根拠に生き抜いて何が楽しいのか人には分らぬ恐れがあるが彼自身の方でも心得てあると表明をした。曰く現代に根拠を求めてはいけないのだそうだ。そしてそれが全く世間普通の事であるらしい。

 優には何から何まで万人の気に入る豊満な体附きがあったが一平はあんまり気付かなかった。あるいは前から彼をよく知る累の思惑通り事件の要素を人生に持ち込みたくないらしかった。

 また体附きと言ってしまうとこれも言及せずには居られないが顔とか首の細さとかも宛然理想の儘に魅力が有った。まあ人間なんていったいどんな形をしていようが内面が変らない限り何の変る所も無いのだが人は現実に物質界を以てして形容が無いと一切への認識をにぶらせる不得手だってあるしこれは一応の事である。

 次第に緩慢な態度で累がだらけて来たを他二人が察知した。彼の体力の無さはたぶん自宅だし将来就きたい仕事も無いしで小中高に居たよりも余程物事に頓挫しやすくなって沈痛化して居よう。

 しかし寒い中遠方より来るに友情の最高のものをこれ歓待に非ずして既に面白さが勝る。何面白ければ如何なる事態であれ幸いのことである。寝ようとしている累には大して弊害も無く寧ろよく睡眠の心地へ世界が変ることを喜喜としてこれ享くるに泣いて笑え。結句泣くも笑うも面白さが勝る。次第に独り優が何やら鼻を鳴らすとか口を開くとかで嬌声に凝り出したがやはり一平の方で無視に附す。

 一平は帰った。話によればまず爆発は幸いだったか憎しみの対象なのか判然とさせて置くが好い。命長らえれば様様な体験あり。しかし自分でどう思ったかが大事だ。然らずんば頭が空っぽになって沈痛化して酔生夢死になる。これ痛く優は感応した。だが累の方では「ああ爆発ね!」と言って爆発したのだけ覚えて置いた。

 固より爆発は一平の知る所ではなかった。単に優の方でこれの重大たる所以をおもに金の方面で直感して居たから彼に如何ならんと問うて見た訳である。そもそも政治が分らぬから日本も分らない。電脳界はなべてインチキだと累曰く大学の教授が結構言うからあれはまず人間の運営にも該当せざる所とこれ三人で為した。じゃ結句とりあえず爆発はまずいから話題にして置くか。ちなみに優の予想では爆発とは神の存在を証明したのではないかとの見解だった。

 一平によれば神の存在証明は出来ないらしい。理由は単に神の定義が人によって違うからだという。

 寧ろどっかの誰かが爆発を心に思い浮かべて実現待望した所為だとのことである。彼の持説にはまず累の動揺が将にこれ伴って累への疑いまで生みなんとした。確かに累には実家が爆発すれば好いとの心持が予てあったとのことである。併しもしやあの地元一帯が爆発するとは全く思い掛けなかった。

 累は開陳した。だが終始元気ではなかった。話すことが彼へと関心を向けて来ると寝台から毅然として起き上がって来て自己弁護をした。

 そもそも決定的に累の思念の所為だという証拠など無かったが三人はまず暇潰しに会合している程度の認識だったし適当だった。簡単な安易な話の運びで累には開陳の必要を多く強いた訳である。

 曰く昔から勢い余ってしまう所があった。だがそれは大体周りがそうさせて来ただけである。事事しく取り立てて問題になるような案件でもない。世界史でもよくある自衛というやつなのだ。

 ただ肝腎の世界史でほとんど男が戦争も政治もやらかした例ばかりのこれ意外さはある。思えば男女平等は明らかに推進されるべきだが世界史にこれが嘗て推進されなかった例があるは何とも奇妙に受け取られる。歴史はだいたい政治と戦争とをこれ話題にする。さればとて余りに男の歴史を多く述べて何か作為すら感じる。独り俺のように男だけが大変な自衛を演じて来た筈はない。女が自衛するに如何にしてなのか興味があるという。

 夜な夜な小さな寝台に二人して眠りに落ちなんとして結構な寝つきの悪さからだいぶ愚劣で平凡のことをこもごも言う。それに頻りな回数出たは将に累が男女の別を事事しく自家の論を潤色も思わす語にせんとする。つまり意味が余りに身体に近過ぎる。考えて意味が分らないなら考える気も起らぬがなまじ丁度これ自ら関すべき所なれば簡単だ。考えれば考える程今までの過去が男女の別を如何にしたら好いかで辿る生き様であった。しかも真面目にこれ問題へ取り組めば何か益するものでもない。歴史だ。世界史が悪いんだ。まず粗探しをすれば幾らでも世の中が異常なのは確かな訳だ。

 やがて春になり近所の町並では霞すら立つに観測が行った。或る晴れた朝に殆ど眠らなかった体を重く引きずって累も優も言葉少なであったが歩いて出て悪くなかった。互いが妥当な位必要と認め合う現在の関係が感ずるに価する幸福で弛緩した感触はあった。

 生活は概して優の言葉の独特なので稼げた。電脳界での需要にそぐう所としてこれ独特の言葉は関心が集まった。あと累の方でも同じ試みは遣ったが彼は勝手が違った。確かに一部の人間には圧倒的な才能だと認められたが一向これ多数派の人気は勝ち得ない所為でもうからずに居るのである。

 部屋の日常的風景は殺伐としている。累は初め一応女と同棲して自己の革新をも予期した。最近予て保守に傾きがちであったがやはり人生の転機とは我が意思によらず向うから門を小突いて鳴らしに来るものだ。扨て波瀾しても好い。しかしほどなくして慣れた。

 常に密着していなくてはならぬ狭さであったらまた違ったかも知れない。いつも一定の距離に身を離してそれで風呂を使っても裸体が露わにならぬ工夫をする。特に争いはない。自分の事を自分でして置く。これでは嘗て閲歴に共有した関係は俄然意味をなさず無用のものとなってある。いつも寝起きの顔などは恥じらって見ずに背けてそこにある同意だけで充分の所が沢山ある。

 累が一平と往来して頻りに会う。先方を客とするもあり先方の客として出向くもありときてこれが熱狂の態に彼らをして禁じ得なくする様である。家に居て優が嫌がるのはまさにこれである。

 どうやら我を失う程盛り上がるのが値千金であるらしい。彼らの通念だ。案ずるより産むが易しを人生に応用すれば楽しんで仲間と居るに尽きる。時にへべれけに酔って帰って来たに際して彼が彼女へと好い気持になって彼らしくない台詞をゆった。

「優に身を垂れてひざまづかなきゃ生きてもしょうがないな!」

 彼はたとえ酔っていなくても彼女をこの名で指した。

 実はまず一平と顔を合すことも電脳界に何か交すこともこのごろ年単位で無しになっていた。それをこの女に久しく見ないでいたが一緒に住むまでになってあいつとも交流がまた出来た。だから甚だしく負い目まであるというのである。尤もそれを言葉で詳しく伝えられはしなかった。彼に自制が働いた所為であった。

 不動産屋への報告を要するか否かがあんまり分らなかった。まず調べれば直ぐの問題ではあったが彼女の存在に独り秘めて置くことの難しさは皆無であった。食べるものと寝床とさえあれば簡単に人を生かしてしまえるのが彼には考えに駆らされる問題であった。

 固よりわざとらしくない媚のある女だった。斯くもしとやかにふるまわれては反発は定めて無理である。それで話す内容なども強いて限る羽目になる。前から誰も他に居ない時ですら何か人に話したい内容を思い浮かべてほくそ笑む癖があったから彼女の現前に際しては予ての予想との違和があった訳だ。

 生活に共同幻想がある。それが所謂普通なら考える事を考えなくする。夫婦に近い心境だと評することも出来る。然るに一平しきゃ感想にそうはならずにしまった。たまに男の方が今自分の服を借用して着ている女を見て自分の代替があるように見える。それに於ては彼女が彼自己に足らぬものを補っているのだと直感に感ずる。これが黙って視線をこちらへ移して来ると今須らく拒絶すべき念など向けられたかとその一瞬に感ずる所を別とする。而して決して何も意味しない言葉をそこへ投げ掛けて見る。相手は簡単に応じる。これで現実の綜合をして楽観視にして且つ達観である所の認識に至る。

 一平が嘗て小中高のいずれかでそこらの屋外を駆け回るとか電脳界に繋いだ端末で遊ぶとかして時間を潰し合ったにいつだったか楽しく語った話に異性の事がある。

 小中高の情報量は多くて直接現在に想起のきっかけが無ければ忘れて常には意に留めまいとの判断が出来る。成長して行けば意外だが全く小中高というを経過などしなかったかとこれ疑わしくなる。おもに同級と繰り広げて現象した体験は概して使い物にならぬも同然である。しばしば会う一平の事なら未だ忘れ去られはしない。

 あの男の口調にある特徴を想い起す。そうして独り驚くのだがあいつの依然として熟せざる幼少期じみた有り様は確かに今でも当時と遜色ない口調よりして認定出来る。あれの中身に進化は無い。

 累は断然呑気になる事にした。

 近所にある高校生の通う校舎の辺で徘徊して見る。前から関心があった。だが春休みで生徒など部活位しきゃ居なかった。

 結局断念をして踵を廻らしたが彼の頭の中にはあらゆる事態の想定がしてあった。何か思春期の心持には神秘的な所がある。そして興奮によって自分もその連中のする事に混ざることが出来る。何より連中は考えを常に持つ。小中高なんて概して時間が余って仕方が無い行状である。人に位置としての小中高がある。属性とも言える。これは大体無駄に色色考えを遣らせる時間が余る。そうして考えを好きで無い者は多数派になれる。多数派で考えなど持つ者を見たことが無い。小中高など自ら破格へと進み出てしまってなんぼのことで生徒らはある。これ成人より前というは劇的でなくてはならない。

 圧倒されるのは笑いである。一平は嘗て面白キャラとして知られた。そうして自分のキャラを敷衍して行くように今生をあの態度に徹してしまってよいとの断案を下した。単に思い込みや開き直りなどの結果な筈は無い。現にそれで生活が出来てる。当方よりして見ればあれは将に自己実現をせんとして実際にした訳である。

 優はあれに習って上手く行ったがなかなか累の方で例の電脳界での仕事の攻撃力は出ない。他人に印象を残すというを攻撃力の益する所とすべきである。累には元来人への攻撃力というに如何にして定義すれば可であるかも分らない。一平には嘗て魂のぶつかり合いを教室で演じた過去がある。まず小中までとなれば男子が殴り合うことはありふれていた。だから笑いによってそれを止めることが偉大な事業として彼にあった。

 累の方ではあれを攻撃力と同質のものと見る。圧倒の意味があれに認められる為である。

 同棲は最初帰る所の無い優が頼りにして来た。なぜか簡単に稼げた彼女はやがて累の生活費までもこれ保障した。さればとて関係は波風立たぬものであった。まず累が予て堂堂としてこれ依然として態度を変えざる故かも知れない。

 由来彼には涙を知らず考えに性質に鉄製らしくする所があった。魁偉にして体位の乱れが無い。昔から闘う能力に秀でてそう噂された。彼の方では已むを得ず其自己を以て任じた。将に小中までをこれしきゃないというキャラで徹して通した。断然難しい男になって行って今に至る。一平と同じ場にあって初めて垢抜ける。

 優が居る家へ帰って彼女の許す玄関に入る時そんな累の頭の中には先ほど道に認めた深く濃い色の菫の花へとしゃがみこんで観察して見る目を集注したに際しての情動をこの心より発して散漫に熱く燃えたぎらせた感覚がだいぶの割合を占めた。

 敢えて床に淡白な態度をしてまっすぐ立っている服のぬくぬくと未だ肌着だけにして簡素の衣類で部屋着なら決め込む様にまでは断ぜない保温の趣が勝る姿をその目前へと認めた。

 そぞろに惹き起こされて来るよこしまな感情から先ず彼は彼女の膝の下に規定も無くこうべを辷り込ませた。何も言わずに大きな両手をその広く他にない鼠蹊部へと端を掠める様にして伸ばした。年下の女は稍や呆れたかのように黙殺して振り払わない。予てより自ら禁じていた遣り方をした彼は相手のひどく硬質にして赤い頼りがいのある肉体の部位を心に親しんで感じて何の故にか泣きそうになった。

 明くる日の暁闇が新しく朝焼けの風景をこれ町並に刻み込みなんとする。それがやがては隠してしまう古い事象を経過した。また朝が遍く世界の色を染め上げて鮮烈な青に戻す翻然とした回避を想い起しながら彼は彼女の将来を思った。

 由来昔から生理の重い女であった。体の痛みには話すことによっても介入し得ない。気安く傍に居ることによっても緩和し得ない。二人を永遠に懸隔のある心模様で膠せしむる弊害の最も強暴な遣り方に神は残酷にも躊躇の素振を差し挟まずに実行した。

 神に神聖ならず人の断金の友たり得ない要素を見受けられて唯だ彼女への愚かに悔いる罪悪感が彼にはある。女が悩ましげに見えることは彼をいつも苦しい快楽に導く。これ彼女に於ては誰も他に人間を留意しないほど忘我に心境至って酒無しで酔わされることがある。そうなれば罪悪感も宇宙の塵のごとく方方へ遣られて死なんとする生命の相をそこへ示して行くばかりである。

 固より生ける人のしたたかさには多様性があった。かんばせを多く見送る小中までは或る世界を生きて結句世界の全種類に無為を試みんが為の人生があるとの断案を下す。累はまず高校受験へ出るまでは唯だ前から定めてあった遣り方である所の義務教育であった。単に小中は断然高から別の世界になる程度の想定であった。

 彼の意味は学校制度の矛盾である。

 ひとつ彼で世間普通の事に背かざるを得ないは感謝の無さである。社会の方で遣り方の用意を供してくれても当方にはまずそれを求めた過去は無い。経緯を踏んでいない。さればとて世間普通の事としては彼のように制度自体を憎む心の有り様など愚かに過ぎる。

 しかし彼は殴ることが出来た。最初よりして子供を大勢教室に詰めれば殴る者のあることは明らかである。正当防衛をここに思い遣る所と為る。彼の地元には悪習慣があった。予て両親の世代から殴り合いは単に通過儀礼であった。何の故にかは定かである必要も無く独り現実であっただけに否定すべくも無い実際の事として地元は学校の教員と生徒の親とが関係し合って一箇の教条主義をそこへ実践していた。

 つまり子供の世話に一向発達の見られない形式を用いる。早い話がただのゴリ押しでこれを育てる。高なら受験を以て若干制度による人事異動があったが小中までは初めにもうごった煮の妥協である。

 小四位から必ずどっかの教室では学級崩壊の憂き目を見る。処方の仕様も無い。社会の底辺は何の美化語を以てしても厳然として社会の底辺である。要するに一定数である所の当の教室に居る生徒連中は確率の妙による不幸を蒙る。定めてそれだけの数の者は断然世界の全種類に無為を試みんが為の人生があるとの断案を下す。

 あの小中という場は後の卒業してからを無責任に放って置く。渾沌の其世界を強要して属せしめて来たに官僚制の妙がある。成る程これ現代の人事世相の要約である。人間は初めから男女の孰れに身を体するものか定めて運命の恣意である。所が社会の方では全く自由意志の存立を前提として運営せらるる体である。これ前提がまず狂っているから官僚制の妙も我我の蒙る所と為る。

 考え方が科学の方法に寄り過ぎた。我我に不治の病は無い。女の生理の重いのは断固として不治の病には数えない。それは殴り合いというコップの中の嵐を演じなくてはならぬ男が将に女のそれを定めて否みなんとするからである。遊びに刺激を欲する幼い男である所のそれ男子は必ず小中に同級の暴力を見る。見ずとも現実にいじめの無くならざる事は全く世間普通の事である。我我の子供の世界に鑑みる視線を移すが好い。大人の世界の実相を反映して居るから。

 人生とは過去を顧みるべからざる連綿と進み続ける時間の流れである。そうして現在に不要な過去から忘れ去られて行く。それが証拠に人は過去の思春期を決して罪悪感無しには語り得ない。就職の面接で履歴の説明に美化語を用いない者は居ないだろう。だから社会は全く自然に反している。

疾うに金の稼ぎ方は多様性に富むことを隠蔽し切れない時代にまで年月を閲した。諦めて抜本的に全部変えた方が良い。あの部活というのも小中高を通して無用のものとこれ国の方で決ったから近近無くなるそうだ。何の故にやら定めて国の出す政令は体現に遅延がある。そもそも一人として実態を存ぜない不文律の伏在した家庭みたいに官僚制の田舎小中学校はある。授業中に担任が話して居ようが私語により騒いでいた方が友達付き合いに益する場合は多多ある。どうせ九年の辛抱である。努力して授業態度を善くしようと努めないでも一応何処かの行き場所はある。義務教育は単に切り抜けるべき倦怠のままある課程である。しかも十六の年には過去など存在しないも同然の様に生きられる。ひとつ人間にどれだけ内発的に動ける要素があるか考えて見ようじゃないか。ただ学校なる場へ行く義務はひどく教員を馬鹿にする権利をまで生徒に与えるようだ。然らざれば学級崩壊など起きない。成る程人間の制度はあるいは人間が自ら立てて律する法であるかも知れない。しかし人間の自然は定めてこれに牙を剝く。現前の物質界は将に今電脳界に安住する人間によって自然の刑に処せられているではないか。

 自然とは我我に死ぬことのあり得る物質界である。だから自然を尊重しない新世代の子供の男は殴るのである。忘れたとは言わせない。親が彼を殴ることもある。扨て子供に喧嘩の一つや二つ冗漫な程慣例だろう。花井累の嘗て体験した学級崩壊の教室に喧嘩のあったは一つや二つで済む事象では無い。暴力は体を使用して遣るから我我は頭の中に戦争状態の世界を直観出来る。たとえ手が出ても小学生の喧嘩に直感的以外の理由は無い。中学生にもなると確定で異性への意識が絡んで来るから殴るにも次第に精神的打撃の件数を増やすに偏る。しかし飽くまで次第にそれは偏って行く。我々の成長は画然として時期一点に其変化を見る筈も無い。個人の方で私的に決め込んだ断定は何の心身に即してのそれであれ誰の共に知る所と為るのでも無い。人は他人とそれを共有出来ない。

 だから学校制度など止して置くに越したことは無い。強いて続行しようと言うのなら初めに前提から見直した方が良い。我我に幸福になろうとする意思があるのなら最初から金をどうすれば手に入れられるかだけしか人に必要とされる教育は無いのだと見切りをつけなければならない。

 本邦は金の定義が屈折している。だから金についての教育を決して滑らかにはしない。

 それ位呑んで肯んずる高校生に会った。何の時も横道に逸れて縦に真っ直ぐとは行かない累は将に道草を喰いなんとして独りコンビニへと入店した。バイトに知った顔があったのである。

 カフェオレの冷えたのと菓子パンとを承けてレジに立つ颯爽と若やいでる男は確か中一で同じ教室に居た前田である。先方にこちらを見覚えた感じは皆無であった。それで当方も自家の印象を残すまいと努めた。しかし物珍しさのある体験とまでは断ぜずにしまった。あの店員は明らかに高校生の女子である所の同僚と語を取り遣って居たがこれ将にあの男らしくて錯覚した我意を存ぜられたから。

 じゃあいつはなるべく見上げといたらわたくし無職にして見れば勘案の暇もあらずして正しくこれ規矩準縄に縛するを体せようかとの断案を下した。何か大衝迫に感じ入って悄然として自動扉を出た。前田には圧倒の意味は皆無であった。過去より想い起して尋常一般の印象をのみ前田は残した。さればとて顔の表情にああいった類と云えば前田に違いないとの逃れ難い認識があった。

 だから逆の室内へ来て見れば花井累の自縄自縛から遣り易い破格を女へと膝を突いて前後に又と無い不義理へは彼の普段の禁止をそう厳しく差し止めることも能わざる背徳的行為であった。

 時の流れを存じた。或る日累は堅い木に釘を打って組んだ看板を掲げて花曇りの閑散とした土手周りに独り下り立った。ばかでかいそれには一体にばかでかく白い面に黒い字を述べ上げて便利屋との語があった。彼は何の因果か皮肉にも此諦念より駆動して営業し始めたとも取れる仕事の最初の相手に前田を数えなければならなかった。

 前田は町並に茜差して来る夕暮時に累の目前へと靴音を響かして登場の体であった。彼方の岸にもこちらの民家群が近い日常的風景にも同様の空から黄昏へ経過しながら已まぬ時の流れを存じた。前田は学校の制服であった。簡単に累の言葉附きを信じてくれた。まず留意すべきは互いの年齢だけである。前田にも累にも社会での位置を考慮する意味は無かった。だから或る点では分け隔てなくする対話が彼らの素振に顕著であった。

 初日から我が客人を得たは感動的であった。彼の新機軸には半ば山田一平からの助言をも与した。曰くオーラがあるから単に適当な場所で屋外で姿だけ晒して居ても存在感が出せる。それを利用して見ろという。殆ど興奮の必要も無しに自力で出来た。ひねもす凝然としてひとつ其所にパイプ椅子を備えて腰掛けて手作りのそれだけ自身と共に世界へ宣伝して見て一日の終りに至る前田の達成であった。

 料金は三時間で百円しか無かった。しかし近所に百円で晩飯を頂ける破格の定食屋がある。これに寄ってその夜は満腹の歓びに独り笑いながら家へ帰った。

 つまり努めて職務を全うしただけの見返りを貰える実績まで彼の得る所と為した。些か守株の謗りを免るること能わざるかも知らぬ発想であるが明日もこれやろうとの断定を決めてあった。あと守秘義務として前田の御悩み相談に他言は絶対禁物であった。

 久しく見せない秘密のほのめかしを累が遣ったので彼に近頃半ば飼主めいた態度を取る優は彼への束縛を彼をして想い起さしむる小首を傾けての忍び笑いに示唆して飽くまで彼の倫理観を挑発した。

 前田の告白に応えたは磊落に論理的にして上げた。少年とも青年とも頓と区別のつかぬ者の告白で直ぐに真相を言ってはいけないのだそうだが前田は累にとっては二十歳の同級であるので対話も心安いものであったし実に有用の事をこれに認めて説明して置く。曰く同じ部活の坂上という同級の男が厚かましくも親友として接して来るというのである。先方は大して世故に長けてもいない。当軽音部に幅を利かせる楽器の実力を有すのでもない。どうも陰湿そうな顔の表情をいつもこちらへ向けて来る。馴れ馴れしくこれ和んで場の柔らかくなることを期した圧倒とまでも思い遣られてしまう言葉附きが将にずうずうしく連発せんとして来る。それで恐ろしい。

 幾らか経ってから気になることがあった。累の頭脳に平らぐ問題とはならずにそれが粘着した。嘗て徘徊して見たは前田の其学校であろうか。此思いには新たにこれ便利屋ギュスターヴの面目躍如たる次回の冒険が始まるきっかけとしての意味がある。

 因みに彼は雅号として其名を用いた。そして時には我が客人への小気味好い諧謔として不埒な愛人にルイーズという女が居るとの虚言をうそぶいた。密かに俺はネタを探す兼業小説家だとの自己認識を持って居たのである。

 由来昔から成るべく内内にふざけて置くことは楽しいことであった。例えば直近で云えば最近も付き合いのある一平は大学進学と同時に上京して実家を出ても暫くはあらゆる異性との出会いに繋累的思想を伴う羽目になっていたらしい。固より最高の嫁を探す気はあったが未だ嘗て実家の扶養という身を脱せざる所為で恋愛事件の端緒を掴み得ようともどうせ互いの親に顔合すイベントがあるしなとの懸念が彼の悟性により把捉せられた。彼の持説に斯くなる上から意外と彼の悲観的思想を看て取れて面白い。結局退学しておもに夜の街をふらふらしているうちに地元が爆発した。爾来彼の考え方にはやっとのことでこれ懸念よりして吹っ切れた迫力がある。

自治体ってだけでも始りと終りがあるね」こうも言ってのけた。

 扨て浮んでは沈む人心の諸相を其一つずつ取り上げて孰れも独立してあり得る人生だと言うは易し現実には何回喜怒哀楽を思い知っても終りも始りもない無限のこれ繰り返しである。しかし自分と関係のある人間の死によってまず我我の生きることの前提からして全てくつがえすことが出来る。本当に刺激のある生き方がしたいとか言うなら手始めにそういうことから遣った方が良い。変に迂言法があるように別の方法を提示するなんぞは何とも気分のせいせいしない嘘つきである。

 あるいは有難いものとは何かを人によって認定するものが違うのかも知れない。とりあえず累も一平も実家は一軒家だが彼らの同級に何やら住む未成年がみな不良で成長したら地域のドンを張る組織に入ることになっているという曰く付きの団地に住む奴が居たりした。組織に入った奴がみなドンなのか其組織の中にドンが居るのか分らないがあれに住む連中には謎の一体感があって独自の派閥を形成していた。だいたいママ友みたいな界隈があってこれの方で噂することには○○団地の者との交友関係に際しては我が子に須らく注意喚起をすべき旨了解されたしとのことである。田舎の差別主義も良い所である。単に同じ小中ないしは高という経歴のある者らが学校時代の甘い思い出と化した地域に土着の雰囲気の中で同郷者らと共有出来るそれ結託意識を忘れられなくて僻みも何も正当化してある。これ地域に根付く最も下らない共同体の有り様を例示している。今はイ○スタなど各種アプリによって恥ずかしげも無く様様の地域でのそういった態度が明らかにされている。さしずめ電脳界に表象される人間の堕落をこれムラ社会ふうのぬるま湯的思想に顕著の所と為した哀しき地域現象であろうか。こういうのが嫌で地元を脱出する者の存在があるというワケ。

 そりゃ人とのコミュニケーションが万人にとって第一だって信じてるから界隈で空気を読み全員と一体化することによって連中は快楽を得られるんだろう。空気を読むとは和して同ずるということである。これぞ酔生夢死!

 借家の戸に行き着くまでは階段がある。これを上るには覚悟が要る。但し下りるには空っぽの人間でなければならない。其部屋以外には誰も住んで居ない。彼の所在を知るのは簡単だ。赤椿町の便利屋に休業の概念は無い。働くのは月火水木金土日である。水辺を俯瞰する小高い一本道に独り場の圧倒をする男が寂しくぽつんと座を冷やしている。すんなりと通る者を許可しない。そうして誰しもこれに気付いたら最後である。頭が熱くなってぐるぐる目が回る。死なない事故は無い。別れない他人は居ない。そんならああやって自家の信念に酔っ払う者が可哀想だ。考えあぐねて断案を下し生野緋色は駆けて来て其姿を花井累の飼主に気付かれた。見つかった。

 本然の緋色に尾行は似合わない。予て懐疑的である。それが駄目だった。毎日定刻に帰って行く影は彼女の知る電子の海に傾く夕陽の光をもたらした。初めて彼を見つけたその足で半ば肩で息をするようにして身をその先へたゆたわせながら憑いて行った。呼吸を落ち着かせる頃には彼の戸の所有者の手で押して開放の体になるなり照明一箇の遍く照らす室内であった。加藤優は唯だの寝る時に着るもこもことした恰好だった。累と優からはかんばしい匂いのただようのが分った。

 初めて来て緋色はさっき見た誰かの庭の春蘭を思い出していた。過去に無く潜めた息で深い遠慮を吐いた。累には何者の訪問なのか分らなかった。近頃やってる事を優に告げた筈は無い。よもや寝言を聞き取った所為で俺が客人を求めていることを存じてそれで今いきなり必要のそれを連れて来たなどという筈もあるまい。いやあるいは単に俺が開陳して置いてそれを忘れてしまったかとまで思った。

 優の言うことには彼女に帰る家は無いという。目算で中高生以上位かとの累の推測はあった。だが飼主がわたしの隠し子だと断言したから信じて置いた。そして断言の序でにわたしは先輩を愛玩動物だと思ったことは無いときっぱり否定された。これまでそう理解して置くことで罪悪感を忘れることが出来ていたが本人に否定されては立つ瀬があり得なくなった。昔誰かに「やめとけ!」と適当に返された件を想い起した。それは顔も覚えていないような嫌いな奴が死んだので友達の誰だかと一緒に面白可笑しくて笑い転げちゃっていたに際してそいつに注意喚起を承けたのであった。だが既に過去の事であるし単に注意喚起を遣って来たそいつも笑いながら言って来たので現在に其心象風景を心得て見れば場に写された笑いによって俄然上機嫌になった。楽しんで良いんだということが人生に対して突きつけることが出来た。だから定時を過ぎたことなど留意しないで緋色の相手をして上げた。

 常に先輩と呼ばれている。累の雅号に意味は無かった。何の先輩なのかはそれを成るべく苛烈な意味にして置く。しかし敷衍に欲が出てこれを脚色して行く毎に其意味は増した。前田や緋色の如きは一日に一人其先輩の居る所へ何か手に入れたくて自ら関わりに来る。これが必ず違う者である。同じ顔は見ない。独り緋色だけが借家のこれもはや手狭になるものを同居の体となった。部屋には仲良く女二人が語らう様あり実に他の大事な事を忘れさせるに丁度好い。

 電脳界では爆発の話が神の仕業だというので決着してる。神というものは常に人知の及ばぬものであるからまあ妥当の説だろう。これに反論は要らなかった。累以下三人は成る程そうかと納得し合った。だが緋色には楽しく共感を得て嬉しくなった余りに昔の嫌だったことを思い出さずには居られなかった。

 春の風は風の中でも最ものどかな安楽をここら一帯に運び入れて人を快く無批判な頭に変り果てるよう仕組んでしまう。こんな風があっては真面目一徹の者にとってしんからたまらない。早く蒸し暑い季節になって欲しいものだ。しかしそれにはダルい梅雨も経る。どうも遅延して後回しになる宿題のように人間自己の方で感じ入ってしまう。そのうちに町は赤椿町高校軽音部に組んである素晴らしく演奏の上手いバンドを存じて行った。何でもこれ此辺の出身で人の知らぬうちに流行り出したから怪しい存在だがただもう好さの普遍性に富んで聴き入ってしまわない者は無い。

 とある深更の時にのたりのたりと累が帰って来た。幸いにも此時も階を間違えることは無かった。だが彼の意味に飽きつつあった所為で優は鍵をふざけて開けなかった。緋色は笑って観察しながら内心なんて育ちの悪い人なんだと思った。累がメールする。優の方で色色の挑発を遣る。しびれを切らして野宿するなどと言い出す。勿論虚栄心の表れに過ぎない。やっぱり入れてくれと言う。本当に此女の許可は無いかもしれないとの思い込みに心身を圧迫される位までになってやっと鍵は開いている所と為った。何か意味の無いことをぼやきながら二人が居て狭い四角の空間へと再度参加出来た。

 神が怒り狂っていた。余りに我を忘れる程のそれに駆られて自他共に爆発せんとする勢いであった。其事をとりあえず累の方で無視して置くことにした。累には神含め神聖なものが存在しない。しかし存在を否定するから否定すべき対象を心得て置く。優が楽しくなるのは将に累のこれを自ら実行しようとする様子を見る時である。

 由来累には欠陥があった。誰かが他人に対してするように人を怨むことが出来ない。自分の感情をオリジナルのものだと信じ切っている。こういう男の心理偽装が代えがたく優の好みであった。逆に累の方では神を相手にしなくてはならない。地元の爆発もこれ自分にオリジナルのことである。それにしても地元なんて存在しただろうか。日本は前からあったらしいし今もあるということで了解があるが我が地元について実在を認めなくてはならぬ理由が最近無くなって来た。これ実在の不可能性に於て優も同意見であった。

 累の作家性には他人を飽くまで堕落させる意味がある。当人には単に社会の毒が敵である。便利屋は片手間で続けているに過ぎない。どうも彼は先天的に男であった。それも徹頭徹尾女ではないという意味の男であった。社会の毒はいつもこれを否定した。まず優も緋色も彼には春の花であった。社会はあらゆる個人が頭の中で存在を認める対象である。つまり神よりも強い。人よりも強い。これ孰れが強いかを当方の自己決定権によって決めさせてくるという点よりして既に選択を絶対に迫る其性質上社会は最強の存在である。

 神も人も同様に社会の毒の洗礼を浴びる。これに動じてはいけない。寧ろ喜喜として殺されに其直前まで躍り出るが好い。地元の爆発は大した精神的アドバンテージにもならない。嫌いな奴が死んでこれ「よかったね」と皮肉らしく言って来る手合の居なくもなさそうなのがいちおう懸念で其唯一はある。

 優もどうやらこれ似たような考えのようだ。近近尋ねて見たいと思う。人道主義者に罵言を遣られるのが彼女も楽しみな筈である。二人して強くなり過ぎた。何せ小中高では綽綽として余裕を持って敵を除いて行くのが正しいと学んだ。一回頑張って学んだことというに肯定して置く他は無い。逆にこれ刺激のある人生の為にいつも新鮮な発見を大切にしろ!みたいな言説があったら一体それを言う奴は今まで大切に取って置くべきこととか人生の中で無かったのだろうか?何かそう言う奴は単にそう言ってないと気が狂う性質なだけでそう言ってんじゃなかろうかと思われる。

 人生ィ最高ォー!

 そう思いながら家を出た。曙の空が町並を全て覆った。

 常に無く早起きの優に朝から尋ねられた。珍しい事である。大学はもう辞めたのと聞いて来た。覚えず笑えてしまったが今は春休みだと簡単に答えた。それを想い起すと今日も良い出会いがありそうな気がする。

 看板を掲げていつも通りの体裁を構えていると此綺麗な朝焼けの見える向う岸の風景を眺める彼の目前に右からとも左からともなく親友みたいな顔をして一平が現れた。

 初めに累は三時間で百円なと告げた。一平は別にうしろめたさも無く先払いで済ました。累は彼の彼らしく平然とした様を疎ましからず思った。話題は金だった。

 二人してやたらと小中高を攻撃する。あんなのは訳の分らぬ偽善者の人道主義者が社会にとって扱いに困る思春期の子供を屏禁に処して置く公然の犯罪に過ぎない。第一金にならぬ遊びではないか。あれの修了をするまでは単に遊びの原則を以てわちゃわちゃした現実味の無い集団生活を強制せられる。しかし途中まで真面目に通えばそれが最後だ。あれは大学受験を主眼としたカリキュラムだからあれをいきなり辞めちまうとそれまでの時間を大損で終らすことになる。だから公立中学には馬鹿らしくなって学校の勉強なんざ一切を断固拒否で断案を下しちまうとまあそんな奴も居る。あいつらは決断が早くて尊敬出来る。ただ学校の教員の事を理解しようとすれば最悪だ。みな善かれと思って教えて来るからあの授業というのをどうにも無下には出来なくなる。成る程教員は内心で辛辣に馬鹿にして置くが好い。そういえば他人へのひそかな蔑視というのは悪い人間のする事だ。何も子供がそうするのに限った話ではない。

 当然自称詩人と便利屋とは社会での自分自身の属性を良く心得てあるから自己にある体験に即した感情をのみ此攻撃に述べて置く。そのうちにここを通る者の意表を突く所と為るに違いない。彼らの特徴は嘗て居た我が故郷に伝統のほしいままに何でもかんでもデカくする習性上の宿痾から発する爆音の声である。扨て人間とは何によって学ぶだろうか。小中高で机上の空論に苛立つのは至極正当性のある普通の事である。人が人と関わるには様様な遣り方があるが全くもう口でベラベラ話すことにかけては人間の悪行の一切をこれに集約するものと言えるだろう。対面で人と話すことに毒を以て毒を制するの意を用いること甚大なるはなべて普遍性のあることである。

 だから人にとって物質界での人との折衝は甚だしく暴力の意味に占められる。累も一平もこと殴り合いの虚しさとなれば必ず同意見であった。嘗て男子のそれを起因として千千に入り乱れる恐るべき教室に席を暖めたことがある。二人とも精神的胆力によってこれへの打倒の体であったは合致している。然るに取る手段が実際には全く対照的であった所為か互いの顔を見覚えるまでには久しくこれ遅延に及ばざることを得なかった。

 一日が始まる。しかしこれをどう思うかは誰であるかによる。累の内心での戦略に一平とのここでの対話がある。どうも此男とは話す内容にいつも満足の行く冗談が言える。此朝早くから言う口調を飛ばし出して快く出来る。我が日常にあって望外に好機となった。

 由来累には周りを気にする癖があった。彼だけの癖とも断言出来ない。我我を顧みて皆無のものとは断言出来ない。

 町並をして悉く清聴せしむるの如き二人である。嘗て見知らぬ者として赤椿町に登場して来た。実に堂堂として均斉の取れた態度をいつもしている。姿勢も気合があって抜群のカリスマだ。

 たぶん小中高で余りに勝ち抜いてしまったのだろう。明確な順位の無い競争を彼らは認識出来る。要するにいちいち人の記憶に印象を残す。これを能力として認定している。累のテンションは上がって来た。こりゃだいぶ宣伝になってんだろうなあ!当り前だ!声のデカさは神の声!

 勿論脇に抱えた看板を手放すことは絶対に無い。とりあえずこれで本然の自己をアピールして置く。これを周到という。

 そして小中高をおとしめて俺らは最高だとの結論に至った。あれは金にならぬことであった。そういう金にならぬことを蒙った後でも俺らは金がある。個人としての自立まで出来る。尋常一般では考えられないことだ。成る程社会の毒はあれ世の流行というのを勝手に企画して裏で世の流行を操作する支配者めいたのがある。だから社会の毒に抗する民衆を神聖化して行ける。おい!

 つまり社会の本質は騙すことだ。民衆への説得力を増すには騙すことだ。社会の毒として世の広告は何が世間普通の事なのか設定している。小中高で洗脳された俺らにゃ馬鹿げてる。小中高じゃそんなもん通用しねえーぞー!こいつら馬鹿だなあ!もう!いっそのこと飯を食うということで給料が出ればいいのに!そうなれば誰もが喜んでそれに就業するだろう!こいつらにゃ無理か!だって馬鹿であることに給料が発生するんじゃないとこいつらにゃ全然満足出来ないんだもんなあ!

 これが彼らの本音である。こういう連中に罪悪感の概念は無い。

 どうしても斯くの如く抜け道を進んで選ぶようにして生きて来た奴らってのが実在する。結局絶対的な正しさなんてのは無いのだ。まず彼らはニュースを見ない。家にテレビが無いしネットはインチキだからだ。迎合すべき手合も無い。生きてく手筈は最低限で良い。

 そのうちに累は早くも疾うに夕方なのを現前の境涯に見出した。楽しい時間は一瞬の如くに過ぎ去る。これをどうも可笑しく思う。

 最近は快楽ばかりの暮らしであって都度の現実に覚束ない所がある。優の隠し子とかいう緋色は一体広いとは言えない我が寝台の上で収まり切る筈もないが何だか場を離れてそれを思うとどうも如何なる位置関係であったか判然としない。其時にならなければ分らぬことである。てか全く同じ覚束なさを昨日の此時間帯にも思って見て居た気がする。これが日常か。或る循環を日常と化して俺には何が手に入るんだか示されはしない。たぶん神でさえ知るまい。しかも神ってのは単に経年を以て忘れ去られて行くだけの存在だ。

 段段と此日の思い出を想い起して行く。記憶程面白い物は無い。人間から記憶を抹消したら人間じゃなくなる。だから一日に充実を感じたのなら振り返って置くことだ。そうして得られるすべてに真実味が宿る。わざわざ頭で反復しちまえば手間が掛かる分幾ら信じ難いことでもこれ信じる他ない。官能で見知ってどれも疑い得ない。それだけ覚えて置かなければならぬことであるからである。

 待ち時間も長い。しかし座は暖まらない。それは彼が解すべき世界を常に滑翔して居るからである。春は体温を奪う。其分人をして夜が明けるのにも鈍感にさせる。夢の中に生きる者の如く自分の所在と全ての閲歴とを差し措いて何か見知らぬ世界に浮遊の態となる。

 朝方は一平とのくだりで以下の様なのがあった。

「俺の東京に行ったのは何もオリジナルじゃない。或る先輩で東京にある大学へ行ったのがなかなか俺の青春を体現する男の一人だった。君恵庭定彦って知ってるか」

「知らん。それにしても大学なんて一体選ぶ意味があるのかい?君は自分でも直覚出来るだろうがだいたい辞める為に進学したと見える。遊ぶ為だろう」

「俺にしては上出来だ。それより君前から気に入ってる歌があるね」

 一平に応じて累は待ってましたとばかりに恰好良く暗誦した。

「春の苑くれない匂う桃の花下照る道に出で立つ乙女」

 

    第二章 こいつ何一つ不自由せずに育って来たな

 

 木村魁人の念頭には常に畏縮すべきものが置いてあった。我が白椿町の地名上の境域外まで少し出た辺りに見当る楼閣群は其最たるものである。幼少期これに独りほっぽり出されて泣きながら出口を探して歩いた記憶がある。今でも寝る時の夢に映じて昼の建物の角毎にぱちぱちと火花が散るような物凄まじい高いそれ石造の四面に領してある迷宮をひどくかしこまって想い起さなくてはならない。

 十代の終りに或る記念すべき達成があって頓狂に躍り出た先は町の辻辻に存ずる繁華な場の全てである。既に大学一年の秋であった。寝所はここの実家にある。古い友達も大勢近くに居る。

 達成と言っても向うが勝手に死んだだけのことだ。保育園から小中高まで全部を貫いて一緒だったあいつが簡単に自殺して世界からおさらばした。あれほど煮ても焼いても食えなかったのがまさかこんなあっけない最期を遂げるとは肯んぜなくはないが一寸信じられない奇跡である。

 概して水と油であった。先方の事をどうも好きになれない。傍観者の位置を確固として揺るぐことなく保ちそれでいて何もかも馬鹿にするだけの嫌味はある。矯めつ眇めつ人の噂なども注意深く留意して推察して見てもこれ当方の人間を常に無意味化せんとする将に相性の悪い男であった。

 敵対者は恵庭定彦と云った。此二人に限らず彼らの世代では部活への熱意が特に中高の充実度を決めてしまった。魁人にとって定彦への驚愕をし且つ軽蔑をしたは彼が明らかに好きなことしかしないという厳然一点の事実であった。

 魁人には甚だ逆らい難い母親が居る。家庭では発言権が父親よりも大いにある。人生を此女からの粘着に固定されていると断じても過ぎた感じはしなかった。彼女は幅を利かしている。実家とは何もこれ他に兄と弟と兄の姉が居るだけではない。あの女の際立つ原理は全く近所の者らとの合体と取れる深く長い交通である。

 これも実家という概念にねばねばとくっ付いて来る。家庭ではあいつがママ友というか予て十代の時分から同級の知己であったような者らの子と俺とを比較対照して来る。部活の方でも自分の子が或る程度脚光を浴びるのでなくては我慢ならない。ここに狭い世界が出来る。そして広い世界はいつでも定彦のものなのだ。

 まず彼とは母親同士が関係を持ったに過ぎない。どうも学校時代の友達という関係は怪しむに足るものであって四十代になっても無くなる気配が無かった。だから十代を漸く終えようとしている魁人には定めてこれまでの生涯の回顧にこれ定彦との比較対照を長く多く蒙る所と為りながら生きて来た感じがある。

 まあ保育園から小まで位は属する組が同じだとかで絡みはあった。中でほぼ話さなくなったしもう会わんだろと思ったが高が何故か一緒だった。何の巡り合せというのでもあるまい。俺らは単に運が悪かっただけだ。由来二人には互いを暗に恨む所があった。魁人は断案を下す。あいつに協調性は無い。そんな奴が周りからあからさまにいじめられることは定めてあいつに非が有ることだ。

 常に魁人は多数派であった。有り体に言えば陽キャであった。対して定彦は何か将来への明確なビジョンを内に蔵していて学校の連中などお気に召さずに放置していた。これは重要なことである。我我は中中他人を放置など出来ない。多少気にして気遣いがある。それをしない彼はあらゆる人の反感を買った訳である。

 此際二人の属性は小と高に於て結構属する組を一緒にしていたとまあそれ位で所以が適う。とにかく違う部活に居たが魁人は高でも続けて定彦は何か個人的に飽きたとか無意味さを悟ったとか言って簡単に帰宅部に翻然ダウンしちまったとまあそれ位の事だ。

 要は定彦には人間関係への頓着が無い。どうせ小中高済まして大にまで行きゃあ完全に一新出来る。そんな彼がなんで中ではあんな名門の吹奏楽部に入ったんだか訳が分らない。おかげで中の頃は魁人の家庭に定彦と比べる論議がかまびすしい余りに魁人の方でもう腹痛を持病とし運動部のかなめとしてのポジションをプレッシャーとし恐らく生涯これ恨み続けるだろう。まあ多分あいつも俺と比べられて俺を恨むこと俺程ではないにしても相当数である筈だ。彼の方でそう下す断案には一種当方から先方への妥協も彼の自ら認める所である。尤も町を出て自殺までしたあいつには確かめ様が既に無いのだが。

 人づてに聞いてどうも信憑性があったから町中走り回って見たもののこれが何の印象も残さない。例の畏怖の念ある楼閣群があった方まで足を伸ばして見ても陳腐なものである。誰も何の評価もしない徘徊ではないか。案外夜も更けて来て認識だとつい先刻の楓の紅葉を並木とした確か平生あんまり渡らない橋を渡って直ぐに見える公園の景色など微妙に近くの軒灯に映し出される程度である。

 そのうちに鎮静して独り癪に触って来る。襟を正して歩く。さっきまで姿勢が悪かった。

 誰でも看て取れる定彦奇人へのオマージュだった訳だ。

 扨て山田一平の先輩は破格であった。此際何の故に知り合う所と為っていたかはあんまり意味が無い。先輩という言葉に魔力のあることは敢えて説明したくないとして置く。年齢が近く無条件に尊敬しても良い存在はなかなかどうにも甘い所がある。

 魁人と定彦で決定的に違ったは前者に或る考えがあって後者にはそれが皆無であったに尽きる。人間関係を根本と見る考えである。

 定彦は我が母親の性質を継承しなかった。勝手に飄然として小中高を突破してしまった。普通人間関係を根本と見る考えをみな持ちがちなものだ。彼はまず気に入った奴しか友達にしない。そこに於て所謂スクールカーストで上に立ちたいという考えが全く無い。だいたいそれを馬鹿にするサブカルチャーの薫陶を受けていたしポップスにも詳しかった。対して多数派になびかせようとして風采から頭の中まで一体に家庭という人間関係を根本としたライフスタイルの規定の下としていたに魁人はただもう卑俗性の極致でしかなかった。だからなんとなく暗黙の了解でみな口には出さぬが定彦のスター性がこれをひしぐことの面白味なしとはし難いのである。

 奇人あっての凡人か凡人あっての奇人かは判然としない。しかし死せる定彦生ける魁人を走らしたに生ける魁人死せる定彦を走らそうにも走らす筈は無い。まあ色色あるよね。本人が気儘に出来てれば良いんじゃない?なんでも。

 いちおう家庭とは何かを言っとく。要は昼なら外で食いそうだとしても朝と夜はたぶん飯は家なんだと思うに一切の会話を禁じ得ないこと必定である。これに文脈性が生ずる。関係性が生ずる。而して無二の家庭となる。実に成長して行く子供がここに獲得する語彙はなかなかの数にも上るのである。

 家庭というにただ多いものがある。意味である。子供は思春期を体験するしまあ心の拠り所がここだったりここじゃなかったりするが生涯を通して多感な時期のこれ家庭に同じ釜の飯があったは印象を残す。一寸全然そんな場はありませんでしたとは断言し難い記憶になる。或る家庭に属してそこで見覚えたは将に其人の原初の共同体の風景とならんとする。そして年齢によっては実に人生の大半をこれ家庭に属しながら過した者も居る程なのである。

 扨て君の見解はいかがなるものか。何も思わないでは居られない筈である。我我に二度と子供として体験し直すことの出来ない其過去だけが問題だ。

 ところで白椿町とは坂上勇気の創作に幾度と無く其名を反復せられて写されるこれ彼の通う高校のある町を模倣して彼が勝手に人へ述べて語り伝えている所謂虚言をうそぶく経として題し且つ彼による物語をこれ緯として作し遂には誰もが続きを知りたくなる人気コンテンツの地位を得て来た。

 さればとて坂上は顔が広い男かというにとりあえず坂上から過剰に意識されている前田からの評がある。彼曰く坂上は大したことはない。常にどっかからネタを剽窃して自家独自のものみたく言うがなんとまあ若く幼い遣り様であろうか。それより俺の身の上話を聞きたい奴は誰か居ないのかとまあこんな調子である。

 成る程しかしそれでも大衆の興味を惹起して牽きつけることは彼に出来たかも知らぬことではないか。前田は彼の住む家の辺にどんな都合が按配しているか解さない。中学時代までに関しては全く関知せざる所であったのだ。坂上にしてみれば高いテンションと勢いある自己顕示欲を以て当の我が話す場の空気を覆い切らんと欲したに際しては度度のそれに彼の内に累積せられて蔵する所と為って来る自意識過剰が彼をしてインフルエンサー並なるを以て自任すべく傾向づけたかも知らぬことではないか。

 近頃前田にはわだかまりのとけてきた感じがある。以上に言ってある彼の同級坂上の行状を屈託としていた過去をどうでもよくする出来事に出くわしたからである。それは町の便利屋の御蔭ではない。実はあの男の処方には甚だ瞬間的な所があった。だから前田は或る確信を独り心得る所と為った。

「人生の中で己の時期毎に内に蔵すべき懸念は全く別のものへと変る。成る程俺は百円払って三時間の間あの男との対話が出来た。だが考えても見ろコンビニでバイトしてる俺でもつまり自ら稼ぐ労を知る俺でも正直百円は安過ぎる。だから百円で買った時間は百円のものであるに限定せられた。なんという」

 ここまでぶつぶつ俯き加減で歩きながら現に呟いて交差点の信号で立ち止まった。半ば思惟を差し挟まずに目前を風の如く回して突っ切る車輪どもから守った訳だが彼は図らずも知り合いにこれ自分のささめごとを耳にされる羽目になった。

 ふと視線を移して見れば懐かしいような有難くもないような彼女であった。みすず先輩は何かの帰り道であったらしい。くすくすと少し少女らしく笑って彼の口より漏れて出てた内容をたしなめた。

 これで後後まで彼の初めての一つとして紺色のマフラーを巻いた年上の女というを表象として記憶して置く所と為った。何をする時であれ満足の陶酔に心跳ね上がる境地といえば想い起すをこれ以外としない。しかもあの日は幸いにも学ランで辺幅を脩めてたし。

 そうして頗る機嫌を好くした近頃の彼である。元々みすず先輩は彼と話が合わないでもない。軽音部では坂上への密かな対抗意識から坂上と前田とが座について併存しちまうたび彼らアイデンティティを競い出してすなわちどちらが軽妙洒脱と礼儀作法とに優れるかをこれ身振手振まで使ってアピールし合う所と為るのである。年齢的にか場の雰囲気の所為でか彼らの競争領域は将にこれ二範疇となりなんとしたに人の賢しらになる要素が垣間見える。しかしそれだけではない。みすず先輩は彼らを裏でかなり馬鹿にしていて彼女の同級のくぬぎ先輩とよく女子二人で話して後輩の丸出しになってる即ち異性の先輩方へのこれ可愛げがあると言えなくもない愛情表現がいたたまれないほど健気だというのである。それでなんにも知らない前田は彼女との交差点での邂逅を覚えず偶然の機会と思う他なかったが実際には予てより親しみの意を向けられていたのである。

 身体の運用に決った遣り方は無い。高校の生徒となれば尚更の事である。ギター一本の前田は彼特有の演奏スタイルを披露するに挙動不審で知られて居たから一般に尋常の者からは異常者扱いを受けて遠ざけられて居た。そんな彼にも不意の道端で突っ込みを入れてくれた彼女には感謝すべきであろう。序でに言うが其時側溝には雨で溜まってたぷたぷと音の立つ水がまだ明るい町並に穏やかな自然の無色透明をささやかに添えていた。雨は止んでいた。

 白椿町に親戚への悪口は多い。坂上の癖だ。我が言う全てを約めて称するのなら田舎の陰湿百科事典になるという。扨て彼の攻撃に空を斬る以上の意味は無い。しかし果して其程度の意味に尽きてしまう言葉附きよりも上等の言葉附きは我我にとって存在しようか?前田はしまいと思う。法をもし成文化し得るとするなら成るべくなんにも言っていない文面にして仕上げることだ。一定の立場を表明しちまえば必ずどっかの立場とは対立がある。それを知ってか知らずか坂上は周りの誰も存ぜずにいる手合即ち己のみの範疇として独り存ずる其相手に対象を絞って焦点化して行く。これ彼の手口として巧みであるだけでなく優しさもある。どうも前田には優しさを看て取るに於て密かに彼をずるい男と断定して来る念がある。

 坂上は定彦という男と実際に会ったことがあるらしい。実に堂堂たる偉躯であって所謂陰キャが最強になったような感じだという。こういう特別である人物を好んで彼は話してくれる。しかし前田の方では彼の物質界に於ける好みというか趣味からして彼がみすず先輩に好意を向けていそうなのは全く明白な事であった。

 時に前田はみすず先輩がやがて人妻になって自身の前に現れる未来を想像する。所謂貞淑そうに軽い色合の服を着て目立たない出で立ちの彼女である。二人して高校を卒業してから久しく会わずに居た後でどこかの往来にいきなりあちらから空間を裂くように笑って突っ掛かって来る。どうも雑踏の中であるかと思われる。だから道の脇へと押し遣って来る。そうしてひどく慎ましやかに聞いて来る。

「純一君?」

 声は飽くまで玲瓏たるものである。これに前田は彼女の高校時代の凛としたさやけさよりも花水木の樹液を呑んで断然動乱せる他方の世界への傍観者となった彼女を感じる。だがやがて彼女が斯くの如く落ち着いてしまうことを推し量って見ても彼のそれには坂上が実践してるような達観が無い。だから本当は既に彼女が彼の世界への独り傍観者として彼を余程まんざらでもなく嬉しそうに後輩の純一君として見詰めていることを留意出来ない。これ彼の怠慢である。

 流石に言うことは毎日伏せているが我が年上のそれも現実に少しの差があればタメ口がきけたかも知らぬ女というに妄りな愛情を持て余す。思い悩むのである。これの持続性は甚だしく長大である。

 まず瀟洒なのが好い。垢抜けている。くぬぎ先輩とよく一緒に居るのだが相手が彼女の同性であるにも関わらず少なからずねたましい気持まで我が脳髄にねばついて来る。其粘着への超越を発揮するように彼に接してくれる彼女である。自らの内内に起伏を激しく頻りにする心を自覚出来る。

 これほど小さい自分にも普通の人並に愛してくれる人が居るのだ。

 初めバンドを組んで懇意の仲間が出来れば幸いだと思って入部したがまず坂上の要らない友情が日常に蒼く点滅する。萌黄色に色付いた華やぐ異性の芳醇に酒無しで酔わされる。学業なんぞは最初から学校の目的ではない。入学してから絶えず情動に揺るがされている。こんな類いの若さはただ一所に集注される彼の官能の火照りである。暮れる日の景色は彼には青青とした黄昏である。赤椿町高校の生徒は半ば誰しもが斯くも浮つく境地である。

 一方若さへの嫉妬という概念がある。年長者が定めて自らを基準にそう内に蔵する思いである。まあ大分古い概念にはなったかも知れない。しかし我我の現実がなかなか虚実相半ばして出来ているに於て本当にあるものまで軽んじてしまえば大変な話だ。若い方からすれば若さへの嫉妬など疎ましいことにこれほどのものはない。将に坂上が予て排撃せんとする対象である。

 やはり親の世代位から彼のネックになって来る。しかし彼曰くわたくし坂上勇気としての撞着を忌んでそういう主義で居るらしい。

 勇気自己に正直敵対視すべき血統がある。まあ自分が生れて来たに其原初の頃に目が開いていた訳ではないので母がこれとも確証は無いし父にしてからが明らかだとは言えないがしかし当然此家庭にそういう設定で育てられて来た。兄妹姉弟はいない。

 昔から「ダチ」になる奴は概してそんな性質であったのだ。それゆえ小中と順繰りに高まで至っても徹頭徹尾甚だ嫌いだと表明出来る。対等の他人は「ダチ」だけである。義理があるので彼らに嘘をつくことは出来ない。じゃ造反有理ということで何が嫌いかということになる。

 そもそも家ってのが最初に生活ひいては生存の基盤である。まず親の機嫌を取って幼少期が過ぎるのは当り前というか寧ろ努力であってこれ後後恥ずかしがらずに我が権利の由来として主張出来る。あの頃あんだけ機嫌取ったんだから進学先の下宿の家賃位出してくれとかそんな具合である。これ親によっては反抗的な態度として断定しちゃうこともある。詭弁じみて来る所為である。

 本来同じ屋根の下ってのは争えない事実である。穏便に済まして置きたい者として家庭の奴がある。本音で嫌いということになると生活自体が苦痛になって来てこんなの止しとけば良かったと思うようにもなりかねない。しかし感情を遣り繰りしとくのは出来るとしても其嫌悪の情を存ぜし事実だけ拭い難いものとすべきである。

 家庭を小説に書いて毒舌だったのはジェーン・オースティンである。彼女の物語に結婚も扱ってあるがまず結婚の条件として人物を取り巻くこれ家庭の状況を細かく写してあるに無視は出来ない。坂上は忽ちこれわたくし個人の有り様からかの大英帝国での文学上の事から例証する。とにかく素材は何でも善い。こういうのは自ら拵え上げるものだ。あれ家庭てのはどうせけなす毎にそこへ属す自分のことまでけなす羽目になる。肉を斬らせて骨を絶つだ。だいたい俺はインドア派だから家によく居るしそうなると同居人を留意せずにはおれない。もう文句であれ機知に富まして置くしきゃない。

 そういうわけで若さへの嫉妬といえばあんまり一歳や二歳の違いで発生して来る概念ではない。そもそも己へとこれが向けられることによって不快なのであって年齢が近い奴ならまずそれがあり得そうにないということを理由として想定不可とする。これ嫌いな奴からされるとすれば想定が可である。というか人を嫌いになるとそいつから如何に負の感情を向けられているかに於て自分が神経質になって来る。だからそういう手合が嫌いなんである。

 軽音部では集まれる部室があった。これ坂上の繋累的思想に対して同級界隈でのこもごもなる言語を取り遣りする。外に積雪あり町並の輪郭を真っ直ぐに捉えることの出来た晴れの日の午前中である。いやはや暖房に炉を囲み開け放った窓から今きさらぎを以て空に降らした様誰でもしげしげと観察するに足る此地域の特色と言える。

 しかも土曜日だった。じゃあさぞかし愉快に子供だけで過ごしたんだろうと想像もつくがまあ当り前だが遊ぶのが仕事みたいに感じられていた彼らには訳も無く必死に享楽の定義を努めて取り組む。それが主眼だった。だから此日は男子しか居なくてどうもむさくるしいのが陰鬱だった。

 前田は坂上に賛成である。北崎は何でも良いと言った。北崎といえばおもに出席日数の件で学校中に名が知れ渡っている。まあ例えば世界文学とか言ってもそれ地球上のどのへんを指して言ってるんですかみたいな話と同様で学校中と言っても要するに二年三年にまで彼の顔が割れて行く程有名なんだとだけ断言出来る。てか彼はちゃんと学校に来てれば今頃は大往生を遂げてる筈だった。独り人生自体出席日数の問題で遅延になって未だ嘗て終極に近付く所以無しで居るのである。そして北崎は何でも良いらしい。

 こういう時にも前田はなんとなくものうい。バイトもやってるし雑に過ぎてく時間があんまり好きになれない。そもそも同級で杉下という話をしているとすごく楽しい女の子が居るが何故か避けられて居てしかも前田個人を常に避けるので今永久人間世界より離脱して逃げてしまってる。たぶんこれも同じ部である所の先輩の誰だかと一緒に居ることだろう。いや実際に一緒に居たのはまあ大分前の事であってこれ訳も無く一週間位学校をサボってこれもそれ常習犯の北崎と共に町並を前者は龍に後者は虎にまたがって天空逍遥していたら安くて品揃えのある野菜が新鮮な建物の橙色であるスーパーマーケットの自動扉から彼女と其男の先輩とが隣り合って歩いて出て来たのを見た!

 が見たのは前田のクラスの友達の姉の旦那の兄貴が嘗て中学の頃不良にボコされて帰って寝てる最中に夢で見たのを当の北崎から北崎特有の限りなく女声に近くそれでいてボーカロイドのように不動の基礎力を持つアコギの弾き語りをした夏の日に演奏から看取して見た訳であって杉下の気紛れは実際の所謎めくに終始していた。

 そんな北崎が率直に何でも良いとコメントしてくれて坂上は感動した。前田はただ鏡の板を反り返らしたような窓の外に視線を移して物思いに耽っていた。前田の思想に博愛主義みたいなものがあったが彼の場合尋常一般のそれとは勝手が違っていた。何だかあらゆる人間を友達みたいに思っていた。あと実の妹とやってしまったことがあった。それはたった二人で親父の死体を山に埋めて来たのだった。こいつの扱いには全く慈愛の象徴たる我が母もこれ妹も困り果てていたので已むなく一番手っ取り早い方法を選んでそれが刺し殺すことだった。訳は簡単に言えば殴り且つ怒鳴る穀潰しだった所為だが将に六親和せずして孝慈ありとは斯くの如しという具合のこれもはや全く母への孝行であった。母は彼と彼女の嘗てした過去を知らずにこれ夫の事については未だ一切の言及を差し控えている。

 成る程遣り方は何でも良い。犯罪にもバレないということがある。逮捕せられずにしまうということがある。人間の方で法を超越して人間が何か勝ち得ようとしている此壮絶な世界。

「あんなの殺しちゃえば良いんだよ!」

 確かにあどけない笑顔で妹は我が手を温もりのある其大切で未発達な手に絡め取ってそう言って俺の知らない表情を一瞬することにより此「女」の思う通りに事が運ばない現実を俺は否定しなくてはならぬのだと措定すれば今まで会って来たどんな恩師も甘美な時間を過ごしてくれた懐かしい年上の女もあの百円の便利屋もいつまでも不機嫌の理由を言わない加藤優も俺にギターと歌を教えた花井累も愛憎半ばするあの小中の同級や中学の三年間魂をぶつけ合ってきた美術部の同志たちもこれ独り妹の豹変して俺をうながして俺を殺せる人間として覚醒させたからたちどころに人生は解決してしまって固より俺は誰とも共には居られなかったんだと下す断案即ち仄暗い部屋に妹と二人秘密の約束を交す白い罪。

 此日坂上以下三人は大したことのない男子高校生だった。外食する金も無いという話になってそのへんの雪を食いながら途中まで一緒にこれ正午過ぎの町並を歩いて帰路に就いた。やはり坂上は人生意気に感ずるが如く別れ道に至っても磊落にこれ莞爾として笑う。

「この世をばどりゃ御暇と線香の煙と共に灰左様なら」

 第一句を彼が云ったに重ねて全句を三人が高らかに暗誦した。

 扨て前田は予て豪快な男たちを好いていた。そして彼らの様になることに自分の意味を或る程度信用していた。白銀に輝く物質界の光景を眺めながら電車に乗って帰る。ああいうタイプの人間には簡単に呑めない意味が無くてはならない。これが彼の思案を含める休日の昼間である。斯くの如き日の過し方の典型である。

 とはいえ自宅のある町まで着いて駅の構内を出る頃には全く胸の内は空虚であった。辺りに一切の積雪を確認出来なかった。車道が入り組んでいて次の歩道に行くのに工夫を要する程にぎわっている。荷物が少なくて良かった。晴れていて良かった。急ぎの用が無くて良かった。だが初めてそれ自動扉を抜けて横に白装束の彼女が居るのに其色で直覚させられた。我が妹の生野緋色である。

 わずかに虚ろな顔持をしていたかと思われる。そこで彼は立ち止まって彼女の方を見た。年齢が一つ下だとは考えられない程大人びている。しかしここへ待ちに来るまでに踊りながら軽やかに地を踏み柵を避けて飾り気のある動作で訪れただろうことを窺い知れた。それは彼女への深く長い推察を彼女の妹という属性から強いられて来たと共に喜喜として自分が受け入れて来たからしての判断であった。目を合すと互いに適当な声をあげて今の事を確認し合った。

 緋色は彼に高校で友達は出来たかと聞いた。だが同じ質問を幾度となく遣られている。二人きりであれば恒例の話題である。以前は確か居ないと答えた。兄純一は幸いにも気取る必要が無い。但し彼自己の方では居る友達を居ないと言うことを威張っているものと解釈する。偶にそう思うのである。未だ嘗て言うことを一貫せしめた習いは無い。此時もまた言うことを素早く断じたのだがなんとなく作為的な感じは隠せなかった。ついさっき向うの町で心安い男たちと居たことは勘案に加味し得ないからである。

 身長差は兄の方がかなり高い。これをどう取るかに歩く現在の歩道よりしては比較すべき行人なども居ない。みな歩いて外へ出向くことを好まないようだ。あざやかな冬の日はあちこちの電柱の間に結ってある線に滴る露と外壁に嵌めてある窓とをいちじるしく反射に強調している。まぶしく壮観である。大分温暖になって来た。ふと純一は緋色の着る服が制服でないことを意外に思った。彼の所見に異性の着る服の傾向としてこれ意外なこととして私服を多く持つことがある。それに驚くには妹の緋色に対しても同様であった。

 同性であれば休みの日であれ制服で過すような気がしている。そう思うのにどこかで根拠を得た筈である。が全くいつのことか分らない。そうして今歩いて向っている先もどこであるか分らない。

 横に視線を移すと緋色は居ない。何か妙だと思って足をそこで止めると後ろからぶつかってくる感触があった。振り返らないでも分った。よく慣れ親しんだ声で急に止まらないでよと彼女は言った。

「でも何をやっても同じなら他人にも自分にも意味は無いぜ」

 そう純一は言った。弁解の積りだった。実際には坂上の受け売りを試して見ようと思ったのである。ここで彼は見透かされることの有無を思い遣った。今相手に思惑を隠そうとする緊張である。

 緋色は何でも良いと言った。そして彼の隣に位置を戻して彼の前を向く顔を覗き込もうとした。彼女は彼女の胸に両手を添えて少なからず頼っていることを示す素振だった。純一にはそちらを見るまでもなかった。二人はただ街路樹も広告も目に入らない真っ直ぐ続く単調な道の上を空虚な心境で進んで行った。

 そのうちに純一の息は乱れて来た。動悸がするのである。緋色からはいたずらっぽく笑われた。純一の方では緋色に原因があるような気がした。仕方なく其疑いを伏せて置いてこう言ってごまかした。

「そういえば友達なんてのはもう中学までで充分だね」

 全く関係の無いことである。今の問題には何の由来も無い。しかし友達の必要が中学までで好いというのなら家族はどうかという話になる。緋色はやはり何でも良いと言ってこれに返した。

 他にも緋色の口癖はある。殺人は姑息だと評して純一の父殺しを下らなく捉えたことがありそれの名残でよく姑息という語を用いる。そもそも此男は頼まれるとか要求されるとかよりも先に行動に出てしまう。そうして出た行動によってこれだけそちらへの配慮を遣っているとの表明にする。あの去年の五月に今とは真逆の空模様であって随分早い月の出た日に例の殺しを実行したは彼のそれの面目躍如たる所であった。彼のすることにいつも姑息という概念が付き纏う。それが将に緋色のそれ口癖の一つにより強調されて来る。

 しかし初めは何でも良いという語を用いるを純一のそれから真似るようにして使い出したのである。このような関係性は全く自然に生れて来ていた。だから時にこれが思わぬ発見を純一にもたらすことがあった。例えば話す事の内容には全く生活に必要な意味が含意してないというようなことである。

 一応歩道側に緋色が居て車道側に純一が居た。他に人の往来などは無い。近道なのが分ったから何度か路地裏に折れて入る所を曲がった。相手と話を合しているとそれだけで道草を食っているような感じになる。時間が早く過ぎて行くからである。

 突然に緋色が叫んだ。

「来た!見た!勝った!」

 純一は直覚した。居間で父を殺して其残骸を前に立ち尽していた自分が最初に聞いた人の声は彼女のそれである。緋色に自分以外の兄は居ない。あの父への勝利に喝采があったは独り彼女がそう嬉しそうに声をあげただけである。此達成に他の言葉は宛てられなかった。純一はやはり歩道側に顔を向けた。彼女の手はまだ其胸にある。

 緋色の存在を架空のものとしても違和感は無い。それは彼女との密室での時間が長く多いからである。そして繰り返し確かめられる風景に鼻孔の中で血の匂いがえぐるように感じられて来ることを想い起す。常識的に考えればこれは感動して置かなくてはならない。

 二人の岐路を厳密に確定することは出来ない。ただ人生最高の瞬間を疾うに二人して過ぎてしまったことは確かである。

 今日の部室に居た連中を純一が或る程度友達として認めるのは彼らに自分と共通の目的を看て取れるからである。それを人間に体験出来ない死の事をどんな按配のものであっても好いと純粋に断定しようとする点であるとしても善い。絶対に現在が過去を再現することは無いと断定しようとする点であるとしても善い。今面前にある人を誰かに重ねても時に意味が通るものと断定しようとする点であるとしても善い。

 斯くして純一は過去の緋色を現在の緋色に見出すのである。同級の同性の仲間に同じ思想の者を得ている。彼らと此手口の遣り様を合致させている。坂上に人生の記憶が二つある。純一にもそれは二つある。北崎に至っては彼の自ら語る所では何度留年しても進級し得る展望が見えないのだそうである。

 純一の息は整って来た。彼は緋色の方をじっと見詰め出した。彼女は彼を見上げながらきょとんとしている。

 そのうちに行く方向を異にして別れた。近所にある本屋へ寄るとの純一が下した断案である。どうせ此時間帯は毎週暇である。彼は確か先週なら誰か知ってる人と居た気がすると思った。緋色に告げると彼女は何故か腰を捻って服の裾をたくし上げた。それに際してそこへ手を伸ばす彼女の仕草を彼は注意深く見ていた。

 妹の媚態には並並の妹ちゃんが遣る甘えを超越する示唆があった。単に何か買って欲しいものがあるとか殺して欲しい相手が居るとか頼みがあるんであれば分るが何の目的も無さそうな遣り様には感じさせるものがある。此時想い起したのは彼女の意外な残虐性である。言うことが割と手厳しいのである。正直これ年長者に甘えを遣って来るように不図看て取れてしまった彼には彼女のこれ何ら思惟を差し挟まずにしたらしい媚態が過剰にも彼の猜忌の念を惹き起した。

 それは含意をした。妹は言外に示す。素振に悩まされることも兄の義務であるように強いて来る。

「お母さんと一緒に寝たでしょ」

 そう言葉を繰り出す彼女に遠慮も婉曲を用いる語も無い。

 無条件に生を享けた世で無条件に規定してある現実が肉親である。これまで通って来た学校には定めて同性と異性とが居た。通う以上は通う所に生きなければならない。生きるとは何か。これに於ては感覚其物が生きることである。しかし異性とは家族になることが出来てしまうではないか。

 続けて妹はたくし上げた裾を音を立てて落した。それは又含意をした。彼女は頭の悪さを悪罵した。

 本来ものを悪く言うに際してはただ悪く言いたいだけの内発的理由以外を伴わない。啖呵の切り方を教える教師は何処にも居ない。居てもそれは家庭に其教師の代替になる者が居るか居ないかである。

 純一と緋色は頭の悪い父親を存じた。何でも悪罵して憚らぬ所がこれ父親の唯一の個性であったのである。

 だから家庭での父親の役割を果せていないと判断出来た。純一にとってこれを殺害した所以の一つである。家庭と学校とは未だ嘗て中学を出ない妹にとっては特に其生涯の中で厳密に規定してある我が居る場の最たる区分である。前者は私的であり後者は公的である。それで彼女は学校を愛した。心安い友達が居るからだそうである。

「お母さんは高一でお兄ちゃんを作ったの。子供同士で子供が出来ちゃったからもう大変だったってね。でも周りの大人の人たちが何とかしてくれたんだって。幸せだよね」

 こんな声が聞えて来る頃には純一は立ち読みをしていた。店の奥まで入って断然関係の無い本を手に取って見たのである。それでも現実の印象に残ってあるものは頭の中のものよりも鮮烈である。

 頭の悪い父親は発言に問題があった。なべて纏めて綜合に確かめて見ると放埓が目立つ。品が無い。人間の性愛の事を面白がっている。身体の表象に極めて近い意味を好んで言葉に言う。子供が思春期に到達したに於てはかなりむごたらしい容喙もしたのである。

 常に精神界でおぞましい男性らしさを強調して何か相手の衝迫にしようとして抜かりのない父親はまず匂いの事に敏感である。

 それは発覚を面白がるのであった。部屋でこそこそ何かをやっているということで理解をする父親である。そもそも事実の事は初めから彼の無視すべき対象であった。若さへの興味関心がある。そこに子供の内面を汚す楽しみがある。そして年頃の息子や娘が如何なる変容を其個人の方で遂げて行くかに知りたいという気持を禁ぜらるべき理由も彼の範疇には無かった。

 緋色の幼児体型には純一にもひどく心の和らぐ感触を常の楽しむ所とするような味わい深さがあった。訳も無く昔からこれ無垢の生涯を表象している四肢の曲折や半身毎の折り畳みに見られるそれ少女らしさに一種認識者たる己の内面に抑制すべきものを触発して惹起するのである。

 それを親父の方で如何に見ているかが気になる。腐っても父は父であるから息子と似たような感じ様であっても怪しむに足らぬことである。これ純一の見解では頭の悪さとは全く思惟を差し挟まずに独り面白いものだけを追い求める習性である。成る程世間普通の事として父が娘に感じてしまうとか父が息子に感じてしまうとかはただの娯楽性のある妄想に思い浮かべられることである。しかしこれ前田家の父とは前田家だけの家庭に属して観察の私腹を肥やす邪智の者である。実を言うと手に職を得ては居るらしかった。しかし其凡愚めいた有り様からはただのこれ社会の機械的部品として無意志に存在していることしか看取せられずにしまったのである。

 だから彼を殺しても純一に逮捕されることはなかった。何故なら然らざれば裁かれて居たに違いないからである。緋色は彼に庇護欲を掻き立てる声でささやく。それも彼の想像に補われる妹の表象よりしてそう聞えて来るのである。曰く純一は才覚によって運命を叩きのめした。今の社会に客観的な正しさなど価値を存していない。そこへ出て前例の無い遣り方で殺しを実行したあなたは正しい。寧ろ褒められて然るべきだ。あなたはわたしを守ってそうした。妹から愛されたい兄はただ分っている遣り方だけ努めて試みて置けば良い。父に毒としての意味以外は無かった。正当防衛だった。家庭という密室では単に斯くの如く決着すべき物語が予てあった。母もこれ以上不幸になることはない。それより元を辿れば嘗て子供同士で子供を作ってしまったのが全くこれ不幸の根源である。

 読書に須らく狂言綺語を警戒すべきである。きさらぎの雪にそう久しく風景の上へと固まっていることはなかった。やがて花曇りの日の日増しに人の憂いを執念厚くして行くような流れのある中に純一の懸念はただ坂上という正面の他者に集注せられて行った。花井累との時間に至って彼が気にしたのはまず表では坂上のことであった。そして裏ではみすず先輩のことであった。

 彼女に関して自分の時間を割く羽目になることばかりであった。それは最近になって一緒にバンドを組んでくれる話になったのもある。それに坂上も加わるから彼女と彼との関係に面倒を生んで来る問題もある。全て努めて意識的に実行して行くべき他者への干渉であるのだと思われた。家の方にどういう母とか妹とかが居て自分が居るのかみたいなことは学校の方では何の意味も無かったからである。

 しかしそれはやはり妹を知らないことに優越する現実ではなかった。半ば生野緋色の侮りに幸運を覚えるのであった。

 近頃彼女は行く高校が決ったから遊んでばかりいる。暇なんだそうである。放埓にも男の影がちらつく。春休みでもバンドの練習もバイトもあるから決して家の事ばかり気にする訳は無いが彼女への懸念は甚だ破格じみて来る。

 それは自分の様式に父と似通う所を見るからである。死んで留意から懸け離れて多く度外視の人物となった彼にもこれまでの我が体験に寄越して来る評価はある。自分が妹を自分の一部の様に思う。先方を当方の他者としないことは成る程しかしあいつと変らない。あいつも父としての位置をそれに利用した。あいつが死ねば何もかも善くなるということはあり得なかった。

 誰かに愛されようとして打って出る行為は誰の許可の下で行われる行為であるのか?

 あいつについて他殺が未だ嘗て証明されること無く現在に至る。どうやらあいつが人から買っていた恨みは家庭でのものに限った話ではなかったらしい。そんな奴に保障される人権は無かったという訳だ。あいつの負けだ。

 近頃電脳界では愚問が流行る。何の故に今は寝なきゃまずいと思う時があるかというのである。純一には再度あの適当な対象を血祭りに上げたに際しての熱狂を想い起す所以を求めて生存に寝覚めの復活が要るとの所見である。成る程寝るに於て纏まった睡眠を取ることはなんとなく身持の好さに食えない所がある。寧ろ寝不足を押して生活し続けるを常とするに野暮でなくて心安い。しかし手っ取り早い結論は単に疲れさえあれば周りの誰が寝ろと言う訳でも無しに勝手に体の方で意識を失してしまう。これを純一の所見に於てひずめて理解してある。過ぎ去る一日の終りには必ず寝台に横たわって想い起すにあの達成の後で耳にした彼女の声を心で聞く。あの時の声色によって幾つものこれ昨日になって行く日にあったことを壮麗に述べて感動する。気付けば朝になっている。

 そのような隠し事を持って居れば我が情事の発端として応用することも出来た。実際には彼にとって甚だ懸隔のある所として最たるものが彼の表象に形のある我が情事なるものである。これは彼が初め徳義上に甚だ善い純粋という美点を持った所為な訳であって彼に怯懦とか薄志弱行の弊を禁じ得ざる性質があったのではなかった。我が事としてそれをいずれ経過しそうであるの念を有すもこれ特にみすず先輩との交流に於てヤバい展開は大体読めてしまう。顔見知りにして接点のある女では彼女が彼にとって最適解にしてそれのあり得そうな大衝迫まで彼の感ずる所と為したが予て快い関係があるので現在以上のものを望むことが出来なかった。

 実は開陳して見たかった。彼女の前で狂った振りをして見たかった。

 然れば彼女の新しい感情を生む局面に至れる。二人きりで居る時間が無い訳でも無いのだ。あらゆる人事世相から超然としてそれでいて自分に近い境遇にある異性はなかなか巡り合えない。此春もそのうちに朝露の如く消えてなくなることをもう気掛かりに思う。しかし斯くも短い筈の時間に限って何か半端な訳からで遅延はあってこれ何もしない自分への憤りになって来た。

 普通ではないこととは将に人の反応を得んとしてそうするのである。時にそれをしたいという衝迫を覚えているらしき人を目撃出来る。これは誰しも過現未に推知を及ばして見れば必ず思い当る筈である。純一には家庭を密室ではないようにしたい気持があった。直近で都合の好いのは全く彼女であった。彼女であれば何か新しい感情をこれに惹き起こされること間違い無しである。

 重要なのは単に状況である。

 去年の夏休みにゆかりのある者らで東京に行った。高校のある町はかなり東京に近い。どっか行こうとなればあれ東京だろうと直ぐに話が決る。これ面子に不足は無かった。まさかあれだけのはしゃぎ具合に全員でなるとは予め悟り得なかった。しかし満足な面子とは概して期待を裏切る程の熱狂を共にし得る者らを言うのである。

 それに至っては誰もが意外な事実をよく表白した。だが彼前田の方では何だかまともに口を切れずにしまった。だからと言って他の奴が彼に強いて話をさせようとするのでもなかった。そこでみすず先輩が彼に少し不満そうな顔をして朗らかに言ったことを覚えている。

「真似して好いよ。したいでしょ?」

 恐らく周囲の乗って来た感じに合せてそう言語を按配したのだろう。それでも二人の距離は前田が考える開陳の構想とこれ現実との懸隔を同じく遠きに位置せしめて表わすの如く動かなかった。

 開陳の我慢による彼の屈託は甚だしいものであった。精神界では彼に分があった。だから彼はあんまり物質界での事にこだわらなかった。第一こだわる理由もなかった。それにどうせ死ぬまでの辛抱じゃあないか?これ位辛抱強く待ってるうちに付き合いも絶えるのかも知らぬことだが彼女の強制力には彼女を極端に意識させる以上の意味は無いことである。いずれいつであるかは存ぜずして不意にこれ言いたいことを言わなくてはならぬ必然の時を迎えるだろう。

 思えば小学も中学も特別に意識させられる異性は何の故にか居たものである。それに其都度対応の仕方を異にして来た。将に妹を留意して生きる様に自己の情緒をよく知って言動の制御へと傾注せんとしてこれ次次にある触発を回数に尽きずとも滅却して行くのである。

 恐らく父殺しという破格が今みすず先輩をして自分にとっての念願の対象と化せしむる勢いなのだろう。どうも危険を伴うこと必定の我が意識せざることを得ぬ異性という類型にあって彼女は我が破格によって我が感傷に感じ入られる人となってしまった。

 固よりそう友達を多く作る柄でもなかった。妹思いであって昔から優しいと評されることの多さを時折想い起す。これに殆ど肉親の言及以外を存ぜないのが意外である。

 其想起に反復せられて内面で父殺し以降の日常を経過して行くという他は全く自己の性質を問題にすることがなかった。人物の類型として愛すべき人を設定出来る。しかしわたくし前田純一を愛する必要を別に感じない。強いて言えばナルシストだと嫌われる傾向にある世代の彼であるから特に学校に見知る者とはただもう恬淡たることを示して置いてそういうことにしている。どうせ評価は後から附いて来る。そして愛したいのを独りみすず先輩だと思いもする。

 且つ妹の事を妹として別で愛しているように思いもする。

 未だ嘗てこれ緋色の殆ど家出かとも思われる位に実家に居なくて帰らない春より転ぜない時分でバイト先の直ぐ近所にある本屋へとバイトの帰りに寄って見てやはり立ち読みをした。

 緋色が居ないのは母によればああいう子によくあることだという。果してそんなものかと思ったが連絡が簡単に取れるし昔からしっかりした彼女で安心はあった。交すに電脳界での語を用いてそうする。どうも面白がっているらしい。こんな何のすべきこともない暇な時期に気が滅入るのでもないのなら占めたものだ。まず家庭の方でも彼女に求めるものがないのだから借金は止めとけよとかそんな程度の諷諫しかしない。それで互いの和平であるという位である。

 独り前田は立ち読みをそろそろ終える所である。此日は財布に金もあったから一冊位買って行く気はあった。偶に金が無くても本屋へ来ることが彼にはある。恐らく本屋の方からすればただの風景になってしまうこれ甲斐のない存在であろう。しかし今日は金があったから甲斐がある訳である。

 顔を上げて建物の入口の方へ目を遣った。偶然である。すると生野緋色と其一家が町並の中を歩いて過ぎる様子に気付いた。こちらの自動扉の面する歩道から車道の大きいのを隔てて向いにある歩道で一家はある。そして直ぐに去る。ここでやはり緋色は彼から移された視線へ反応を見せた。黙ってほほえんで小さく手を振ったのである。

 全面硝子張りでそれ屋外は目の当りに出来た。そもそも緋色を此場所で存ずることに驚きがある。どうやら兄の通う高校に偵察でもしたくて来たかも知れない。そう思うとそれほどまんざらでもなく喜べる。結構なことだ。それにしてもあいつの四月から行く高校を未だ嘗て聞かずに居るのは一種考えによれば要らぬ気遣いである。

 ふと緋色の姓に前田ではなくて生野とあることを想い起した。しかしあんまり彼女に構うのは優しくないことだ。知る限りで優しい男というのはああいう女に対して時に冷ややかですらある。

 あの女のことを緋色と下の名前で呼ぶことは彼の終生を貫くことである。

 ストーカーだ!と思いながら緋色は彼へのそのなまめかしい素振を遣った。近頃彼女は花井の家に泊まって以前までの家庭からは内面に懸隔を持ち出していた。兄へは寛大に許すような意味でそうして振る手を遣った。そしてそれは彼に対して最適な社交でもあった。

 花井が仕事を終えて宵の口にある町を強いて真っ直ぐ帰路へ就かずにそこらをぶらついていたら加藤と緋色とが彼に出くわしたのである。三人は初めにまず見知らぬ辻辻としてこれ赤椿町を訪れた。それが我が居る所となったは斯くなるを経てであると言って好かろう。

 加藤は恰も解いた髪を枕に押し付けて腰をのけ反らして胴体の伸びに弛緩と緊張とを覚えるようにそれ道のきわにある公共用の長椅子の端に座って身をくねらす様子であった。彼から何をしているかを問われて死ぬのを待ってんのと答えた。いつも通りの彼女だと彼は思った。

 緋色は誰か年齢の近そうな同性の華華しい服装である人たちのうち一員となって喫茶店のテーブル席にそれほど目立つこともなく場を領していた。彼に気付かれたのは彼女の居るグループに彼女の居そうな思弁的性質を其外観から看て取れたからである。やがて加藤と二人で店の戸の先に待機中という彼を発見したらしく彼も薄薄彼女が来そうなのを予期に得た。それはしかし二者の状況がいずれも騒がしく会話し続けてなんとなくお互いの姿を認め合っていたのである。両者を隔てる大きく透明な窓が可能にしたことである。

 三人がやがて合流して以後は全く転瞬の間に事が過ぎた。此日は緋色が戸を押した。初め引こうとしたので加藤にそれは引けないよと教えて貰った。戸の仕様に対して緋色は少し違和感があった。

 さっき緋色が遊んでいたのは何の連中だか判然としない。本人の方でもよく分んないとか言っている。これ緋色と大して世代が異にしてあるとも取れない二人でも如何なる手合の有り様かというにあれ電脳界によるものではないかと位しか考えられなかった。

 ただ若さによるそれへの許容の相対性から妙に容喙せんとする親が許容しない例のあり得るのを思えば加藤には厭わしい。別に自分に其経験がある訳ではない。しかし遊ぶというだけでも厳密に規定がある筈はなくって或る家庭では子も親もこれにしどろもどろの体となりそうなものだとの懸念を持った。

 花井のここで念頭に置いたは今家に同居の体の女に於て二人して実家を知らぬということであった。また花井自己の方でも我が実家を説明に上す時が全くあり得ないということであった。

 実家の存在に付き纏うのは或る概念である。それを子にとっての先天的運命であるものとも出来る。単に子の生活費の出る所だとも出来る。今花井の家には家族のようでいて却ってみな真の実家があることを忘れ去ることに意識の傾注を存ぜられて来る状況がある。

 固より現実とは実家があるということであったのだ。固より小中高へ行くような人間にとって周りの同級にも自己と様相を異にしつつ実家があるということを前提として経過しなくてはならぬ小中高がある。加藤と花井とはあれもう消滅して結句こっちにいて良かったってだけの感想である。

 しかし未だ嘗て爆発しない実家があったとしたら一体どうであろうか。まず恐るべき現在である。これを思わずには居られない。

 成る程緋色の遊びに出ていたのは単に電脳界での知己で集まったのかも知れない。しかしあの喫茶店は彼女の未だ嘗て爆発しない実家から一時的離脱を試みてああいう手合になっていたとしたら彼女の念頭に置いてあったは何であろうか。やはり爆発すべき実家であろうか。然れば花井の家に住み着くことにも其実家からの逃避という意味があっても決してこれ矛盾は無い。

 山田の一平が緋色のこれ隠し子たるを知って先日こう評した。

「へえー。そりゃ何だか人間の出生に関して考えさせることであるなあ。累の奴は流される儘に生きてるからあの爆発ですらただラッキーだとはならない。それならそれで現実だってことで理解しちまう。本当はあらゆることに一喜一憂を往き来して漸く上出来な按配がありそうなもんだけどな!今現実に自分の子というものがいつかは作られるもんだとの覚知のある同年位の人間が幾らあるか全く調査すべき仕方も無いが正直言うと子を作るなんてとんでもないようにみんな覚知が行ってるんじゃあないか?ライフありきの俺らであって規定ありきの俺らじゃあない。どこかに規定して来る手合があるだろう。そうして生れるのが子であったり俺らの自己であったりする訳だ。冗談じゃない!規定のある儘に流されていちゃあ駄目なんだよ。なんせ綺麗事ってのは人為のものだ。人為であるから駄目な訳じゃない。人為の最たる所である平和を維持しなくてはならぬことに酔生夢死が絶対にある!何も自己の問題ではない。必ず確執の相手が居なければ我我は不安なんだ。扨て俺に累という知己がある。俺たちは晴れて好い現実を手に入れた。あとは遊ぶだけだがひとつ困ったことがある。よしやライフに王道無しとの警句を自ら発するに心の抵抗を存ぜずともこれ彼と俺との仲だ。初め腐れ縁で通っていたものが段段と惰性による別の腐蝕を存じて来た。俺は逃げる方を取る。あの家にどうも恐ろしいものがある。二人の女は甚だ危うい。こういうケースでの身の処し方なら我が経験から学べる所が無い訳でも無い。そろそろ潮時だ。次は何処へゆこう?」

 最近これ山田一平と花井累は猥談が楽しくなくなって来るという珍事に見舞われていた。二人の友情にとって互いの其遍歴を言語を交換し合って切磋琢磨して来たから甚だ関係に与した。それが何の故にか今や楽しくない。だから散散悩むということまで二人にはあった。

 かの小中高への攻撃と花井家の概況とが突破口であった。まずもう斯くの如き新機軸を不可欠としたに揺れがあった。友情にはゲームをオンラインでプレイするみたいな遣り様もあるがやはり累の家にそういう設備は無かった。一平には実は住所すら不定という事もあって結句高度に電脳界を駆使すべきそれを無理にしていた。

 記憶を参照して見れば甚だインドアの男たちであった。しかし単に当代というのはアウトドアであることに必然性が無くなって来ているのかも知れない。そもそも旅行というのは家とか生活圏とか終始定めて安全確実な範囲から抜け出て法外の危険を伴う。実家や地元などを嫌って遠くへ行くのは分るがわざわざ一泊以上の面倒を自ら買うのは果して幼い知的好奇心を我慢し切れない以外の理由で如何にしてあるのか?あるいは本音を言うと其死地へと自身をして入らしむるに快い所があるのだろうか?どっちにしても俺たちの範疇じゃねえ!そもそもプライベート関連の趣味ってのもこれ基本的に親からのないしは家庭内くらいの環境から人の遺伝を承けてそのようになっていくもんじゃねえのか?

 これに以下の持説を持ったは坂上の勇気である。

「そういえば俺の母ってのは俺の母の姉からの趣味の遺伝に甚だしい所があった。あれはこれ以上敷衍すべくもないことなんだがファッションから交友関係の身の振り方まで姉への対抗意識によって全て規定してあるみたいなんだ。曰く姉は家出をして長く帰らずにいた程破天荒を決め込む所などあったらしい。しかし俺を育てるに当ってこれ父もそうだが俺に対して己が俺位の年齢だった頃をひどく詳しく言う。曰く母は姉からいじめられていたそうだ!」

 

    第三章 俺が考えたギャグパクるんですよそいつ

 

 実は一切の思惟を差し挟まずに人と交流する事が出来る。

 軽音部一年の坂上君はあんまりそういう真理に肯定的ではない。親戚の集まりに参加させられる度の彼の実感であるが明らかに腹黒い印象を残して行く者ばかりである。だいたいこれ父母と自己とをのみ範疇とする家庭とは場も違って両親に平生と異なる言葉附きが見られたりする。俄然此二人よりも目上である親類縁者の登場をここに観察出来る。そこに策謀がある。坂上家ではあんまり子供が居ない。これ今十六歳にして愛称として未だゆうくんと皆から呼ばれざることを得ない。父方の家に行っても母方の家に行っても大概同じことである。長期休暇の折など陰湿な連中に混ざって食い且つ飲むことを決して恨みなしとはしない。

 いつからか極めて猜忌の念を烈しく内に蔵している。どうも生れていきなり決ってる関係の血の繋がった奴らは何だか考え方のねじくれた野卑な感じだ。ひねこびた感覚で結束している。毎日会う父母をもう厭うゆえに超えるべき課題として認定している。人によって態度を変えるような人間だ。こりゃ一体どんだけの純情可憐な隣人たちを騙して利用して来やがったか!

 実家は一軒家である。因みに祖父母は父方も母方もこれ同様に一軒家である。殆ど生きてる。そして最近平均寿命が長くなってる所為でなかなか死にそうにない。これを色んな人が色んな意味で捉えていることだろう。ゆうくんは優しくて勉強も出来る。どちらかといえば高卒で終らずには済みそうなので親戚一同皆安心しているようだ。別に親父のことをくさしている訳ではない。とにかく此子が沢山の人とのコミュニケーションを大事にして成るべく条件の整った嫁をそこで探して来てくれると大いに助かる。

 すべて看取出来た。坂上君は考え方が凄い。現実よりも現実らしい答えを一人で導き出してしまう。多分連中の方でもそこまで己らの本音を自覚出来てないだろう。だいたいこういう現実は言語化して詳らかにすればするほど人間って醜いなあという感想のものになって来る。それにしてもどうも彼には留年か浪人でもしたんじゃないかと思わせる深みのある顔つきがある。

 初め一年三組には前田君と坂上君との異様な追い掛けっこが知られた。前田君にはまともな所作やギャグが出来たし坂上君の好みど真ん中だった。だいたい坂上君には相手に執着する所があった。或る環境に来て最初にするのが品定めみたいな観察であって誰が一番俺にふさわしいかで標的を決める。それから諦めずに突撃し続ける。とりあえず同性の奴から狙うのが按配良いという見解もあった。

 もう君付けは止めよう。最初の週位までの様子見といった感じから大して日も経たずに殆ど呼び捨てになった。坂上の積極的容喙は前田の鬱陶しさを催さしめた。前田がギターを弾くという。そんなら俺はドラムだという。俺といえばドラムだと思って居るらしい。部活は前田が予て決めてあったに準じた訳だ。斯くして二人の主人公を中心としたドタバタ喜劇が開幕した。

 坂上は生きてて取り組むことの全てが親戚とか実家の連中とかへの復讐となることだろうとの予言をすること頻りである。誰も聞いていない。言ってる方は万人の関心を得るものと独り合点しているのだ。案外軽音部の一年は数が集まらなかった。だから前田はこれをキープして行く必要が出た。

 簡単に言えば坂上の要点として挙がるにひどい空想的な頭があった。頭が勝手に未来とか過去とかを作ってしまう。彼の特殊なのはこれに尽きる。他は彼が思うよりも全然俗なセンスである。

 まばたきの間に季節を転じて春休みになった。時間とか早く終って欲しい位な気持の生徒も多い。長い時間を大学受験への不安によって過す場合などそれである。そもそもこれへの不安は何の故に倍増して来るものであろうか。やはり当代の弊で電脳界に誣いて謬説を遣って来る手合を存じてであろうか。どうであれ肝腎な岐路になるから緊張はある。これに於ては時間は長いのではなく多いのである。何回も何回も脳髄に事項を刻み込んで行かなくてはならない。そして坂上は頭が良い割に頑張り過ぎる所があった。それを顕著に示す例として落ちたら留年という沈痛な試験を受ける羽目になった。数学だったらしい。そもそも危なげのある男でなければ俺じゃ無えと思い込んでいた。さもなければこれは現実ではないとすら考えていた。

 普通あり得ないことである。学力が足りて此高校に来たのであって普通にして居ればあり得ない事態に彼は直面したから。しかも頼りがいのありそうな幅が横にある体躯でなんとヒゲまで生やした見てくれには彼も自ら表明する所の老け込んだ感じがあった。だから彼には堂堂としていて欲しいとの同級たちの思いを無視して彼の此数学で単位を取り損ねたという事実への悲しみと後悔とは片腹痛い所があった。前田にも冷めた関係の異性と接するような誰も見たくない弱弱しさで絡むようになった。だが分らぬ話でもない。

 そもそも理性の光輝を感じさせる振舞を往往にして取り遣りへと応用したからである。なかなか出来ることではない。とにかく人人にとって新天地とも取れるこれ赤椿町高校の新一年生として三組の名物と言えばあれだよねという話題の提供をしたから有難かった。まず高校なんてのは受験で行くに一応選択肢から決める訳だし自由度のある場である。それだけ渾沌の空間となり易いのだ。ヤバい思惑で来てる奴が一人でも居たら十代の貴重な時間を破壊される。

 まあ結局人の居る場は単に雰囲気だけで決る。もしかしたら場の雰囲気を乱しまくることに生き甲斐を感じる同級がクラスに居て本当に破壊されてしまわないとも限らない。坂上からは如何にかこつけて見てもせいぜい我が強いんやろなあ程度である。破壊して人から蔑視されて陰口叩かれても全然平気だとか寧ろ喜んで小躍りしちゃうんだとかあんまり看て取れない。これ殆どあらゆる者に同じ感想を抱かしむるの点に於て彼の節度には普遍的な妥当性があった。

 だから案外正直に心からショッキングだと感じ入らんばかりの面持の彼には何か単純ならざる事情まで思い遣られて複雑な内面のある沈痛さをそこへ示しているのが様様の臆測を呼んだ。

 そして忘れ去られた。

 彼はあんまり面白い男では無かった。帰り道はいつも一人だし同じ中学の奴はなぜかゼロだし自分でも吹聴しがちだが趣味は電脳界に実家などの悪口を書き込むことだった。何も高校での彼が全てではない。由来物質界の事象を軽んじて所詮死ぬことと生きることとを我が事として認めなければならぬ愚劣なるものと断じていた。つまり自分の頭の中にある精神界が何より抜きん出て優れているらしい。そういう表明もあったから彼の孤立に理不尽の意味など無かった。まあ彼に限った話でもあるまい。人なら誰しも何らかの仕方で孤立はして居よう。理由にも千差万別であって面白くないだけにこれ際立っての訳ともならぬことである。それにしても人の面白さとは何であろうか。あんまり面白過ぎても場合によっては駄目だ。

 彼は復活した。部活に来たのである。例の試験のため勉強してろって話になってまあ長らく来なかった訳だ。とにかく前田は彼の相手にほとほとうんざりした。起伏が激し過ぎる。こいつの方では何か訳が分ってるんだろうが単に普通じゃないってだけでアウトだ。

 此手合は危険だ!

 好評の噂がある。坂上に記憶が二つあるというのである。これを興味深いと見てみすず先輩は彼と顔を合す度に質問する。坂上はちゃんと答えることを考えていて努めて冷静である。来年度も在学の彼女は楽器が何でも出来て所謂マニアだった。坂上の品評によれば頭が良いから常に毅然としている。バンドで演奏する気が無いのもおもにその所為だろうと彼は考える。彼女もまた危うきに近寄らざるを以て自身の位置をそもそも人の関知し難い所と為している。ゆえに男の後輩などが彼女と言葉を交すにふと気付く高貴に洗練されてる物腰よりして異性としての意味を感じ取ると彼女の意味はまさに隠す上手さからのものと知られた。

 その坂上の噂を前田が消したがっている。それは密かに彼の内に蔵せられて漸次彼の大衝迫へと膨らんで行った。有り体に言えば怒りである。どうも自分の事が坂上の事になっている気がした。

 元元中一という大昔の頃或る同級の男に友情の伝授よりしてギターを習得した記憶がある。しかしそれを人に言う機会が無いままに来たから実話で且つ俺の話なのかどっかで聞いた誰だかの話なのかさえも今では判断出来ない。余りにも過去なので睡眠時の夢を当時に見て現実と錯覚したままに来たかも知れない。独り重要視して来て世界の誰も共感し得ない思い出は彼だけの事でもあるまい。

 じゃ坂上にあったはいかばかりの宿世の因縁か。これが強烈であった。なんと年不惑に至っても無職であったという。本の読み過ぎというか我流の教養を応用して我が地元の駅前という繁盛のある街路の辺のとある定位置に決った時刻から陣取りいつもそこにあるものだけ見回していれば最高だった。実家に住んでた。まあ父母との三人家族だったを今生と同じくしたんだがあんまり口が達者でなくて一人息子を神の子みたく持て余す仕様まで一致して全然楽に騙せたらしい。彼にとって両親は金のなる木だった。じゃそれの一方でその性質を嫌うのは何なんだとの彼なりの苦悩もまだあったりする。

 奇しくも前田と坂上にこれ厳然一点を類似の事としたは争えない。思弁的を標榜しすらする坂上であるが其実霊感の働く所もあったかも知れない。あるいは前田が彼を意識し出してから前田にとって知的好奇心めいたのをくすぐる問題としてこれがあったのかも知れない。季節も巡らず新学期とはならぬうちから例の便利屋にこれを聞いて見るまではなかなか長く多い時間を内に蔵さなくてはならなかった。

 案外妄想が手伝って人生の構成要素になっていることもある。土手周りのあの場で前田が会った彼は前田が話しかけるよりも前から前田の頭の中に生きていた。そしてどうにも呼び方をこれと断定出来ないのが彼の印象として残存にある。彼を其名で呼んで居たのが余りにも遠い昔であるからである。彼として原初である所の記憶に非常な大事なのを見覚えた筈である。それが今から初めて彼の言葉に触れるに際して足掛かりとなる用意としてある。

 固より坂上に窃視を好んで已まぬ性質があった。これで季節も一回りして坂上の影響で大分人の感性の潜在的な感じ方を自分のものとしただろう。潜在的とは新たに顕在のものとなり得るの意味である。これ実際に自分が感じるに於ては彼坂上をも物質界の実在人物として応用出来る。彼は加藤優のことを泥棒だと思うだろう。何故なら彼女には彼の平生からの憤りに該当すべきそれを認められるからである。花井累は加藤優の事を語らないだろう。さればとて隠し切れる訳が無いのだ。坂上の根拠には長く多い時間を材料とした考え方がある。俺よりもこれ考える葦をひしぐようにして圧倒の量である。そういう坂上の性質への推定が固まって来た段で前田は将に看板の男へと言わんとする言葉を現前の彼まで述べ出した。

 累が顔をこちらへ向けたに目を合して前田は或る光景を想い起した。我が居る境涯の自分の寝る毎夜横たわる寝台の下のきわに優が膝を突いて口を切るのである。部屋の戸は閉まっている。マンボウ君?と彼女が聞くようにして云ったに改名しましたと答えて置く。

 マンボウというのはネットミームになってしまったらしい。だから純一にした。自ら改めることが出来た。

 彼女よりも年下になってしまったらしい。此女を前にしては大抵の男が彼女よりも年下になりたがるだろう。あるいは彼女よりも年下で且つ彼女と同性であることを望みそうなものだ。坂上勇気が考えそうなことである。

 明かりをなくして暗く静かな室内に独り眠ることであれば慣れている。しかし坂上なら又違う意味に此事を取るであろう。それは考え方の差異ではない。欲求の有無である。

 同じ所に暮らせば考え方が似通って来る。そうして言うまでも無く共通の敵を持つようになる。或る目的を一致させるようになる。前者は倒され後者は果されなければならない。遂には別れの時に至る。未だ嘗て前田にこれを実行したことは無い。

 妄想というものは恥ずかしさを捨象せられてしまえば簡単にこれを思い浮かべることが出来る。坂上は実によく笑う。その表情には将に捨象せんとする意味がある。そうしてその妄想を写して今ある現前の全てにしたのかと信じ込ませる力が彼にはある。

 前田は彼のそれを疎ましく思うことがあった。本名を伏せて便利屋の体の男には全く疎ましからず思った。だが斯くも自分の部屋に実際にあるものを超越して二人は画然として異にする次元の享楽の中に生きているのである。彼らは全くその点同類であると言える。前田の方では彼らの居る次元から突っぱねられていることへの自覚がある。其上で強いて彼らの同類になろうという気も起らない。

 それは甚だしく難関であるからである。位置を得ようにも其位置は不可視であるからである。電脳界の侵蝕に敢えて物質界を晒し上げようと試みる手合があってそれに反対する手合もある。手合同士で力の平衡を保っていて其有り様を精神界にある自己から観察出来る。何の干渉も出来ない。今世界を約めて言えばそうなる。

 一度坂上が激怒したことがある。何の所為だか分らなかった。部活の時だったかと思う。彼はこちらを見ていなかった。今目の前に居る人間へと怒りをぶつけたのではない。予て内に蔵する怒りをぶちまけたのである。こいつともそう浅くない交わりになったもんだとの合点は行った。何故今なのかは全く分らなかった。

 泥棒と同程度に悪とされるのは真似と無知である。みすず先輩の他にもくぬぎ先輩や藤野先輩や三浦先輩などに同級の北崎や杉下が居る。まあ他にも結構居る。坂上はこれに人の真似と人への無知とを以て誰もが自分に傾くようにした。成る程他人を利用して悪びれない男である。しかも時に傍若無人を極めると来た。

「でもこいつを嫌う程の労力を惜しむから放置してる訳だ」

 そう累は言った。これに同意見で居ることが出来る。

 累と其客人は全く同じ感覚を一つ持った。年齢である。

「とにかく誰も見てないような匿名の奴がやってるサイトのコメント欄でレスバしてるみたいなのはヤバくてもう旧世代には一生舞い戻って来られませんね」

 そう前田は言った。累もこれを認めた。

 しかし此二人は互いに同年であるかの如き念を得ても同級であることはない。ここに懸隔がある。それは彼らが物質界と精神界と電脳界とをこれ一所に現前した場に立った斯くなるを以てもそうである。また彼らは三界を一所に現前に見ることは出来ない。それらは散在する。

 そういう訳でこれ前田の頭の中にあった彼町の便利屋と其人格の元ネタとの意味はやがて急速的に薄らいで行って遂にはただの男の顔の形象となった。

 其顔には甘い懐かしさがある。実は前田には我が内面に男性が覚醒せずにいた時期への晴れ晴れとしない心持がある。これ今生の妹に於てもそのように精神界で自らの女性としての表象になって来る諸相を全然誰か人並逸して馬鹿な奴の内に蔵するものではないかと緋色は悪罵までこれ黒船来航位までは楽しんでいた。しかし近代化の進み具合が多分実際よりも早いであろう按配に彼女の関知の方で深甚な理解度になった。予め察知し得ざる事態になった。これを前田は実質彼女以上ではないかとのちに彼自己の方で推定する程に当時の彼女を心配し尽した。それは前田が嘗て男性とも女性とも頓と見当のつかぬこれ彼の精神界に存した私的領域より想起に上せる所謂頼りになる男の顔を演じて励まそうと試みたからである。

 由来前田家には甚だしく非理性的な父があった。母との幼馴染で結婚まで長く多い閲歴を持った。此夫婦の其閲歴には全く息子純一よりしては単に共依存ではないかとしか取れない示唆も少なからず呈した。だが楽観視気味な妹緋色にそれへの鋸型の懸念を殆ど同程度に硬質な金属具を用いて平らげる所と為すに頭の中を浄化せられてしまうばかりであった。いつも気安いこれ妹には朝夕の飯に際して卓を囲むのを毎度口にはせぬことであるが彼のあらゆる思弁的のものを非存在並に平らげてしまう圧倒があった。だから母も父もこれ息子と娘との中学時代に突入して以来加速度的に其意味を増して結句交す言葉にはならぬ内に蔵する無言の秘め事と成った愛らしい素振の掛け合いを家庭にて現前に見ることは出来た。が全く見ただけであって気付くことは皆無であって断然存ぜない両親であった。

 純一と緋色とは極めて潜在的な感性に占められるところ大であった。嘗てしでかした隠し事の最たるものとすべき父殺しは将に緋色の何の前触れも感ぜしめず思わしめず独り出し抜けの内発的に殺意を静かに猛り狂って移す視線から彼女の幼い兄の目覚めない目を射んとしたに彼女の其潜在化しては顕在化して居よう繊細な感性が看取出来た。だが飽くまで可愛くふわふわと兄の日常に姿態を映し留めて兄が一定の油断を彼の性質上見せてしまわざるを得ぬに常に注意を払いそれの度毎素朴な刺激を以て破格に所有し切る実技は兄にとって気付くこと能わずまた如何にしても妹のそれのたゆむ隙間へと覚えの及ばないことが実際にこれ家庭の三人にとっては全く幸福へと導引すべき直接の因であった。

 殺害した五月雨の日は何の印象も残さなかった。高校一年の純一と中学三年の緋色とは母が家に居ない間を狙った。簡単に其行為へと意識を移行出来た。

 しかし犯行に計画性は無かった。稍や電車での下校に遅くなる所のある純一は帰って食卓のある日常的風景の床板に立つ妹と父とを黄色い照明の下に認めた。予て妹の殺意を肯んじてここへ至った。殺意というものを初めて妹のあの震える体とすがるような目から伝染して自分に伏在する所と為した。未だ春も去らぬこれ月数を片手で数えられる位の以前の頃にそれ恐ろしくも美しい妹の痙攣の已み得ない姿態を自分の狭い部屋に暗く映し出されて彼は彼女を最も力のある他人であると決める断案を下した。嘗て春を過ぎ去る所と為して我が家の門前の樋の口のうるさくなる現在へと経過したは彼女を我が身の傍に引き留めて置く遅延であった。だから初めてこれ妹と父とがたった二人きりで家の居間に居る様を見たに際してやっと彼は決心した。父を殺すのに予て余念無く想定がしてあった。それから我が緋色の強いて肯定しない視線が我が目をまた射るのだとも其殺した後を期待してそれ期待の念がやはり裏切られるだろうこれ妹の気紛れを心から愛する裏切りへの期待の絶対に果されるこれ至上の悦楽があるのだとも彼は予め分ってあった。

 学ランの懐に刃物を忍ばせていたのである。これ自体は全く彼の同級に珍しい事ではない。そして全国的な巷でも流行のものだそうである。刺せばどうせ死ぬという思いが日常の閉塞感を打破してくれる。あらゆるストレッサーに於て殺すという解決策に勝る仕方は無しである。実は坂上から結構前に此刃物の携帯という方法を教わっていた。あの男に影響を受けるのは癪であると共に一種自分を曲げることへの快感を伴った。ただ右と左に座面を伸ばしてあるソファに父は不貞寝していた。帰って来た彼の立って居るのを妹だけが目前に認めて独りこれだけ近いのに黙って手を振った。そして純一は父に気付かれないようにする合図だと勝手にそれを解釈した。

 殺す時に人体を物として感触に覚えることは他人の顔を形象として記憶に知って置くことと変りは無かった。やがて薄らいで行くものと自ら決め込んでしまえば簡単に実行することが出来た。全く無防備に横臥している男でも此男を妹並には愛することが出来ないから何の不義理への頓着も無かった。可哀想な生野緋色は作家性に富んでいた。兄の行為を自分の為のものと確信すればするほどこれ兄の無我夢中に父をめった刺しにして相手の全身がずたずたになり臓器を全てまさぐる手によって引きずり出すまで躊躇しない強暴な体の運用へ独り精一杯の優しさを以ていとおしげに見守る目をそこへ遣った。移される視線に兄も気付いた。兄は笑わずに真剣な顔持の儘で赤黒い血を其裸体に浴びている。兄は学ランを脱いでいた。

 少なからず狂人になった振りをして兄は妹の前で息を荒くすることをこらえ切れないかのようにして次第に乱れて行った。家庭は三人だけの場になった。晴れて働かない男はバラバラになった。此惨状にまで至ったはまず勢い余った所為であった。倒す相手に突っ込むには気概がかなり必要だった訳である。

 これ件の如きは将に緋色の口から町の便利屋の自宅にて彼女の初めての来訪に際していきなり語られて彼累をして驚かしめた。優の方では単にこれ隠し子の隠し子たる所以であるとの述懐であった。

 家庭とは大抵密室に繰り広げられる現象に状態として家庭とそう呼ぶのである。純一に心残りであったは背後からの攻撃であった。単になんとなく個人の方でずるさを感じたのである。しかし緋色が何でも良いと言ったので気にするのを止した。百聞は一見に如かずというが目前で現前のこれ妹に例の笑顔でそう言われて見ると快くて感動出来る。直ぐに気持を転向してめでたしめでたしと思った。

 じゃ死体をどうしたのかと累は尋ねた。すると優の方から明らかにされた。曰くわたしが帰って来たら既にこれ楽器を入れるような箱に仕舞ってあった。小さく切り分けてあったので難儀しない。ハードケースを実際の手持のギターの本数よりも多く純一が持っていて僥倖であったというのである。

 それより緋色は兄の汚れた体を其後風呂場へ一緒に入って洗って上げたとの次第を喜喜として語った。累の方では今彼女らの披瀝に言うことどもを全て内心否定していた。しかし異性の発揮して来る作家性というものは測り知れないものがあるゆえに惹起せられて感じるこれ欲求を抑え切れなかった。だからよく聞いて置いた。

 先日見知ったに累は前田の顔を形象として一旦覚えた。だが家に居るうちは記憶になくなる。そうであることを措いても彼前田は全く彼女らの話に出た彼と別の人物であった。

 電脳界に通達があって前田は我らが赤椿町の誇る烈日館というライブハウスで盛大にショーの前座を務めるという。最初緋色はこれを異様の体に受け取った。フェイクニュースじみて思い遣られたのである。

「累先輩」と緋色の気懸かりなのを兼ねた話が出たに口は切られた。

「お兄ちゃんが写真に撮った人たちとバンドだそうです。見て下さいこれ」と言って端末の液晶を累の目前に押し付ける。「三人でしかもベースは女の子ですよ。驚天動地ですね!あーあ。未就学児の時分はお母さんと一緒に寝てたのに」と言って溜息をつく。

 ベッドでごろごろしている優は「それ位ならマザコン扱いにはならないんじゃない?」と珍しく議論に建設的な事を言った。

 直ぐに緋色が言った。「なんか身の程知らずに思えます。兄の運命は何も手に入れずに目先の快楽だけを追い求めて死んで行くことであると信じていたから」そうして予て座す椅子に肩を竦めた。

 肝腎の累はさっき我が視認に得た写真の絵面をよく心に留めて置いたから頭で考察して見ていた。

 三人の高校生が居た。仲良しグループみたいな感じで部室か何か学校にある空間での撮影と取れる。恐らくふと思い立った彼女紅一点の発案により促されるまま場にみな身を固めてパシャリしたんではないかとの想到である。はなやいでいてうらやましい。

「感動」と累は言った。緋色と優は彼の方を見た。彼は泣いていた。

 だいたい花井家で決議を出すには水掛け論以外の様式は無いのだがやはりこれ緋色の兄が記念すべき日だというので観客として行って見よう皆で。ということになった。且つもう折角だし久し振りに兄妹で顔を合したら再会がてらわたしは帰っちゃいますと緋色が宣したのでそんなら丁度好いということになった。緋色の情報が早かったので其当日までにはかなり間もあったのだが花井家にある春の苑というを駆け巡るふてぶてしい時間はなかなか長くは感じられない難物なんである。ひゅっと矢の飛ぶ倏忽の間であった。

 約束の日は来た。緋色は断然荷物を纏めてある。つまり最初着用のものを着て出るのである。それを見て累と優には何だか懐かしい気持が舞い上がった。緋色の持物など実は携帯とそれニットの袖無しに深緑のこれ不釣合な程大人びてる外套と位しきゃ無かったが彼女の装飾には全く不足を存ぜない。短めにしてある髪も彼女の多く気随である性質を気儘にひるがえして示す所作の掩護であった。

 声をあげて家の戸が開いてこれ下宿の外に附けてある金属製の階段より下る出発の途にあって幸いであったは晴れの空であった。始まるという時間帯が大分夕刻をも過ぎての頃合であり此日の日中にしても累は働きに定位置へついて試みていたがやがて例の緋色の兄貴という人物に会うことは頭の中をずっと占めた。新しく人と会うに結構芋蔓式なのが分って興趣の掻き立てられる事象だったのである。思えば何の端緒に近頃の同棲とか隠し子の登場とかを存じただろうか。隠し子の登場といえば全く事件性に富むとのみ言える。しかし某人物の登場というに俺だって看板張ってる定位置のある事業は将に誰かの面前へと登場せんとする営みである。もう別に重く見ようという気概自体が我が未来へは全く無用と化して来た感じである。早晩緋色は帰る。優もまた孰れは帰るであろう。そんな考えも仕事から家へ戻って二人に合流して見るとつと直ぐに消えた。

 目的地に家からの懸隔は無かった。てか近所だった。まず閑静な住宅街にあって辺りには大学生の住む建物もよく存じたが何の故にか我が前田らの出る催しをする烈日館に予て直覚しなかった。徘徊すべき一帯でもなかったのだ。簡単に行けた割に驚きを禁じ得ない入口回りの様相であった。雑踏を形成していた。さすがに若者ばかりであるが明らかにスターの到来を待ち望む興奮を看て取れた。独り緋色が場に乗じていつになく勢いづいていた。累と優には唖然とする面持があった。尤も後で二人して一緒の家に帰ってから確認し合ったのだがああいう盛り上がりのある雰囲気ってのは何だか既視感を覚えるというのである。これから何か珍しく機会を持つ位でなければまたああいった感じの所へ出向くことは無いだろうとの感想である。

「ギュスターヴ先輩!?」

 そう叫ばれて累は振り返った。かなりびっくりしてしまい驚嘆の念から目を見開いて声の主へと集注する意識を向けて見ると普通に知り合いであった。今では大分昔のキャラみたいになってるが前田がわたくし累の事を記憶していて絡みを入れてくれたのである。

 なんだ御前かアハハハハハと翻然安心した態になった彼は前田へと色色質問した。なんで御前こんなうるさいトコに居るんだよ。ちょっと俺より若いからってイキってるんじゃねえのか。可哀想な奴だよ春休みで折角時間もあるのに何して遊べば良いか分んないから地域の小規模な催しにまで場違いなのは分ってても幼い野次馬精神だけはワイプアウトし切れなかったと見える。これ位自重しといたらどうなんだ。え?!何だその黒装束は。令和のリ○チー・ブラックモアでも気取っちゃってんのかい!ギャハハハハハハ!

「お兄ちゃん!」と女の好い声がしてまた驚かされた。

 びっくりして振り向くと緋色が現れていた。さっきまで優も含めて散開していたのである。となると前田は彼女緋色の実の兄であると見える。累は考えた。じゃあこいつがバンドを?しかし寧ろこいつは若いのにバンドを組む友達なんて居なくてくすぶってるタイプだと思ってたんだがなあ!断案を下さない。否定しようにも信憑性があり過ぎる。此男は可愛い妹を持ちそして青春の代名詞たるバンドを組む友達まで持っていた。しかしこれを現実として肯定してしまうとどうも今まで認めていた諸諸の認識が崩壊して来るのだが。

 優に連絡すると曰くちょっと近所の喫茶店で甘いものを飲んどくことにしたという。まだ開場までにも時間があるのだ。ステージのあるフロア自体が道路に面する分厚いドアから間に受付を挟んで直接入れる構造になっている。人いきれがして炊飯器の中みたいになっている雑踏はなかなか動きを見せない。これを初心者が目の当りにしてこりゃ一度入ったら退場出来ないパターンじゃねえか?と思うのはあんまり曲解でもないことである。そもそも此集客率が既にびっくりなのだが緋色の兄は前座だというからあるいは今宵の主役というあの連中が案外影響力のある存在なのかも知れない。考えてみれば赤椿町は電車でも乗り換え二本位で東京まで行ける程の位置にある。そういう何か巨大な演者を呼び寄せて観客を多く動員する背景として交通面からしてもあり得ない話ではなかった訳か。

 それから後はまるで線香花火のように事が運んだ。初体験のあらゆる不安や恐怖などをワイプアウトする熱狂によって累は我を忘れた。そして帰路に就く頃には自分もロックスターになることを決心していた。既に深夜であった。しかしバンドを組むには一体どうすれば良いのだろう?歌いたい内容なら既に断定してある。華麗なる我が恋愛の遍歴を恰も美少女の心臓を刺突して貫くように焦燥を駆り立てる歌声で歌い上げて世界の全てを湧かすのだ。誰もが戦慄するぞ。そう思いながら戸を押してただいまーと言った。家には既に寝間着姿の優が居た。忽ち彼女へと其計画をものがたって見た。

「先輩?」と優は聞いた。「緋色ちゃんは?」

 これに累はただ知らんとだけ答えた。

 爾来累と優は断然毎日衝突し出した。共に暮らすより前の関係に殆ど戻った。やがて優は居なくなった。家を出て一体どうする積りなのだろうか。どうする気も無いだろうと累は考えた。ワイファイの繋がらない環境即ち家の外へと行ってしまえば何も出来ない。あの女は現代というものを知らぬのだ。

 それにしても季節の停滞している状態が已まない。同棲を終極へと至らしめて独りこれ淋しい部屋に住まう彼は春を思って見た。吐気をもよおす程呑気な季節である。まるでふざけている。駘蕩たる心持とはなんと愚図愚図したものだろうか。現代に生れたからには速さが大事だ。かの有名なボードレールの「酔へ!」という詩も要するに加速せよ!という意味だ。前から騒がしく疾走感ある音楽が好きだった。近頃彼はヘッドホンを買った。これで優れたナンバーを再生して踊り狂うのである。

 確かに優が居ないのでもう自力で金を手に入れるしかない。しかし最近彼は世紀の大発見をした。言うまでもなく殴り合いこそが最も人間の労働の中で尊く高い給料の出るものなのだと信じて疑わずに居たのであるが全く翻然として考えを改めた。前田が坂上と彼らの先輩とかいう女の子と組んでいたバンドは激しかった。しかしそれは殴り合いに噛む概念を一切想い起さしめずに人人をして熱狂せしめたのである。あれが至高のものである。音楽には調和が存在する。累はそれを知った。

 嘗て小中で同性との喧嘩が人生の最たる目的であるものと覚知していた。高では単に受験の事以外考えなかったから大に入って漸く小中の事を思い返すようになってきた。そして今俺は新しい思想を獲得しつつある。累の官能は歓喜と祝福におぼれた。

 そして時が経つのも忘れて彼は激しくなり続けた。或る高みに達した。別に誰もこれへの共感をしなくたっていい。これこそ人間の労働の中で至高のものである。あるいは社会というものより否定せられてしまうかも知れない。社会は俺を笑え。しかし貴様らは泣くことを知らぬ鉄製の機構である。今殴り合いよりも達成感のある次元へと至るのである。俺は自ら現在のこれ高みへと到達したのだというのである。

 また春の宵を迎えた。彼の部屋には硝子戸があって物干竿の掛かるベランダに続いている。そこを拳で操作して一人の男が奇声を上げながら発生して来た。頭にはヘッドホンを着けている。管を伸ばしてズボンのポッケまで連結してある。なんという簡単な恰好であろうか。誰でも再現可能の非常にダサいファッションである。しかし本人の顔を見るが好い。ノリノリになっている。

 慣れない動作に息を切らしながらあらゆる屋根を飛び移ってこれ何処にも理性の所在を見受けられないこと間違い無しの男が赤椿町の日常的風景をおびやかしている。その動作を人が地上から看て取るに今現前にあるものを別に夢の世界のものであってもよいと思っていそうな感じがある。他方ヘッドホンから端末へと繋ぐ管を保たんが為にいちいちぎこちない様は恰も奇行をして其実大人からの反応を待っている子供のようである。さっき彼は窓の部分を開放して出たに際して或る罪を得ていることの覚知位なら済んだ。

 見下す町には誰も居ない。ここを形作る意識は将に今生きている自分の過去から材料を取って来てこれという認知にしてある所の現に在る町を下に見るのである。そのうちに俺は赤椿町高校のあの軽音部の部室へと到着すべきである。楽しくなって来た。

 前田にギターを教えて置いて良かった。あいつに今の世界を遣ったのは将に材料としてのそれを与えようとした俺なのだと累は考えた。今からあいつの居場所へと歩を進める。但しあいつの仕方を俺も出来る。だから出し抜けに行こう。民家群の屋根の上を靴下だけ履いた足で横着につたってあすこを目指そう。貰えるもの位貰って置かなければわざわざ生きても外界に接触が無さ過ぎていけない。

 そう思う累は甚だ遅い。人から行けと言われないで斯くも人の知らぬ道を通るから二重に鈍化を蒙る所以となる。第一物質界では感情次第で人間の能力を強化し得ることなどあり得ない。累の記憶に人前でギターの演奏をする経験を積んでない。あの頃から七年は経ってある。当時の前田に教えてあるのは或るバンドの名前だ。内心走りながらたどたどしく歩いて目的地の校舎へ見る目を集注させて町の最も位置の上である足場を占めて彼はゆっくりである。

 感触に少し冷える位である。固より自制を利かして身の程を過ぎないように振舞うことが出来る。思い出すに一平の事があった。あいつは長過ぎる。長過ぎるは飽きる。飽きるは有難い。それなら感謝でもしとけばいい。それ以上思い出さなくてはならぬものなどあってもどうも古過ぎる。顔の形象を覚えていない誰だかにあいつと俺とを親友同士だと評されてある。これを言われて俺は人との関係を作るのに失敗したと思った。其評をしてきた奴が間に介してあるような時点で俺らしくないのだ。累の思惑に工夫がある。そうやって過去の稚拙を持ち出して来て置けば現在の稚拙を正当化することを可能とするからである。

 なべて内界の思念を手段として見る。累と一平との間に居る其男は累と一平との関係だけを知っていた。彼ら二人にとっては全くの他人であった。これも確か小中高のどこかで会った奴だ。然れば彼らを評することも出来た訳だ。

 評していったい何を彼らに求めたのだろう。累に見立てが無いことも無い。要するに僻みだ。うらやましいと思ったんでそう評して来た訳だ。しかし累にとって其余計な一言を覚えて置いてある意味は明らかである。如何なる関係にある他者であれ自己との間に斯くの如き番人の一人居ることを存ずる。こいつの判断は極めて厳正である。信用出来る。実にこいつこそが小中高という場を物足りないものにしている。こいつの所為で小中高ってのは何をしていても結局遊びに過ぎないような気にさせられる。

 そのうちに累はガラスの破片が血管に混じったりしてないだろうなと甚だ恐ろしくなった。不動産屋との折衝も嫌だがわざわざ病院に行くのも同等に嫌だ。しかし音楽で昂揚するということで稼いだだけの賃金を獲得出来る。問題はどこに請求すればいいのかをこれからネットで調べなくちゃあいかんということだけだ。

 どうも同性の友について考えてしまったから俄かに冷静と化して来た。つくづく思うのだがあんまりホモソのノリに適応出来ない。小中で魂のぶつかり合いをやっても殆ど拳だったからだいたい圧倒してしまった。それにしても本当に分らないのは何故あれほど拳によって構って来る者があったかである。大方あちらも己らが何故これほど好戦的だったんだと不思議に思っている位ではあるまいか。

 初めは戯れのようである。次第にマジになって来る。どうも少年漫画の読み過ぎでああいう照れ隠しみたいな感じにならざるを得ない遣り様なんではないか。我が国に徴兵制は無い。そのぶん流行ってるサブカルの影響は彼らに歴然としていた。しかも其サブカルを想い起すと我我の親世代位のそれに色色問題があるらしいのである。

 元来不良文化なんぞは漫画である。肉弾のバトルというにアニメである。親もこれを知る。子もこれを知らされる。学校で殴り合いになる。馬鹿じゃねえかと思う。

 無事累はジャンプのコンビネーションで下界に下り立った。斯くも少年じみた遊びとも取れる行為をしたのは久し振りである。

 正直今から何をすれば良いのか分らなかった。例の勤務上の定時も過ぎているのである。

 ふと自分の足元を視て見た。靴を履いていない。これは馬鹿だ。何が馬鹿って靴下の儘で路上に居るのがたまらなく馬鹿だ。ゲンナリして来た。とりあえず腕を組むことにした。仁王立ちである。

 一帯は静まり返っている。世界がある。これを現前のものとして瞭然に官能で捉えることが出来る。累は覚醒して来た。扨て馬鹿であるからには馬鹿として突き進んで行くしかない。此通り言葉遣いも汚い。そういえば汚い方が得である。そして今の姿勢も結構気に入っている。地面が乾いていて空気も温いのでここは居心地が好い。

 さしずめ罰を知らぬ男とでもいった類だろうか。実を言うと家の窓から外に出はしたが割った訳ではない。小学生の頃同級の男にふざけて友達に壁ドンして教室のドアに嵌まってるガラスを割ってしまった奴が居る。それが今俺の体内に其破片を循環させる所と為っていたら嫌だとは考えた。ちなみにその男は当時別のクラスだったし普通に性格も合わなかったので大して話す事も無かった。

 確か小四位だったかなあという感じである。あと其話は大分学校で有名になっていたから全然知らない奴だったその男について一種レッテルを張ってそいつを知って置く様になった端緒がそれであった。あれに関して本当にどうでもいい記憶なので早く忘れて別の何か意義ある記憶を代入したいものだと心から思う。

 残念ながらこれ記憶だけが頭の中に循環して度度想い起されて来るものになっている。持て余していたはガラスの破片でなくてこれ古く下らない記憶であった。累は考えるのを已めた。何だか真面目にバイトでも始めるかという心持になったのである。

 しかしもう今日は一旦帰るしかない。鍵を締めた儘で窓から出たのでまた窓から入らなくてはならない。自分でやったことだから自らケリをつけようと思えば歩く速度も上がった。てくてくと歩いて行くと道端に咲く菫の花が見えた。近くの街灯に照らされている。

 ひとしきり頭がおかしくなっていたようだ。それも生れてからずっとそんな按配であった。昔前田に教えたバンドは何だったかを思い返して見る。実はかなり前田の事を馬鹿にしていてこれ自分でもよく知らぬような海外の前世紀のバンドを教えたんだが前田は何故か感動していた。だいたいこういうことをするという話自体がありきたりだしこれも正直早く永久人間世界から誰しも忘却の彼方へと追い遣ってしまう類の話になって欲しい。あの前田の様な顔をしたバンドキッズは一体何者なんだろうか?まさか例の爆発から前世を棄ててよみがえってきた訳でもあるまい。

 実は此前便利屋の客人に坂上が来て色色話したんだけど殆ど実家の悪口しか印象に残らなかった。曰く父方の祖母が前から仏教系の宗徒で輪廻転生とか信じちゃっていて微妙に会話が達意せぬのが沈痛だそうだ。しかも煮ても焼いても食えない馬鹿で自他共に認める学の無い老婆なんだが如何せん孫に対してはイキっていいと思い込んでるし実際息子に対してもそうだったらしいんだけどよく講釈垂れて来てこれがまた笑えるんだよな。

 だいたい自分に都合の良い教義しか信じないからまず仏教関連のカルトに嵌まってる人間はなべて馬鹿なんだよな。心頭滅却して火にでも当ってろよって感じだ。坂上の祖母のそいつが一体何処の宗徒だか知らねえが多分馬鹿だから坂上が嫌うんだろう。

 しかもこれの場合宗徒ってのが二世三世と続かなかった時点で俗臭紛紛たる失敗例じゃねえか。案外成功例みたく喧伝するのが流行って斯くも面白味に欠けるケースはあんまり人に知られないものと見える。大方自意識は微小なのにイキりたい心はあるから若干奇行に出て地味に宗教をかじっちゃう類がこれだろう。

 累にとって言語に尊敬も謙譲も無い取り遣りが我が意味の大分を占める。それには相手と対等の位置に立つことだ。馬鹿には馬鹿にならないと相手が出来ない。だからといって自分程の馬鹿もそんなに此世には居ないらしい。

 近頃累の書く小説がある。パソコンに打って居るらしい。とりあえず電脳界には上げてあるが誰が見ているのだか分らない。彼の精神界の方に謎めくものを彼自ら感ずる。どうも普通には開陳し得ないものがあるので小説にして見るのだという。

 まず人というのは他人の頭の中を覗き見ることが出来ない。これに不審がある。しかし彼は幸いにも町の便利屋など経験して現実に面白味を看て取った。何だか小中高より以前の事をどうにも写し得ないから最近の事から書く。

 そして大学に入ってからなど物語めく事は皆無であった感じまである。それゆえ便利屋の客人の事位しかネタにする気にはなれない。

 其彼のネタの一人に四月から高三だという谷山君が居る。谷山君を笑わすには骨が折れた。来た時間帯は未だ正午にもならない日曜日だったが曰くもう高三になるのに毎日が暇で沈痛なのだという。

「そんなこと言って御前ネットでエロばっか見てんだろ!」

 これでも笑わすことは出来なかった。まず表情筋の問題でもなく笑いに於ける主義の問題でもなかった。彼谷山君は笑うことを軽視するどころか愛着を持って人間の笑顔と向き合って行きたいとの所見表明までした。しかしあらゆる卒アルの撮影時などであれ彼は頑なに笑わなかった。それを彼はカッケェと言って自ら評していた。

 御前の高校に軽音部ってあるかと累は聞いた。これで形勢が全く変った。曰く同級の藤野と三浦にハブられてまだ一年の頃に退部する羽目になったんだという。へえー御前でもそんなショッキングな事態を我が事とした過去があったんだなあ。ここに於て累の方でも顔がひきつってきた。考えて見ればああいうバンドとかやって目立ちたい連中というのは単なるクズも結構居る。楽器とか構え出すと独特な雰囲気を醸成し始めるので付いていけない奴は甚だ措いていかれるのである。

 累と谷山君との其日は例のライブに行ってから幾らか経った後の日であった。これ二人は大体「俺たちはロックが好きなんだ!」という念から直情径行にギターとかを初めて手に取る感覚を分かち合って最終的に握手して別れた。累は学んだ。おどけるだけが笑いになるのではない。好きなことを共有して仲間になることでも人を笑顔にすることは出来る。

 窓から家を出る体験をしてから明くる日の朝に至るまでに自分が昨日の夜おかしな人間になっていたことを完全に忘れた。頑張って忘れたい忘れたいと思って居た所為もあろう。そのぶんそれより前の谷山君との事なら記憶に残存してある。筋肉痛で寝覚めは甚だ悪かったが谷山君を思い出してそれの挽回となった。

 なんという歓びであろうか。独り寝台より身を起してそれでも世界に仲間を得てある。カーテンをちょいとどけて空を見上げればやはり晴れている。前からそうだと思ってた!

 こういう時の彼に顕著なのは感動其物に人工的っぽい所がある点である。どうしても自分で感動してることに対してこれは何か別の余分なものを捨象して得てる表象じゃないのかと不安になるのである。

 確かに藤野とか三浦とかに関して一旦措くことが此感動を可能にしている。どうも悪役だという感じになっている。累の心持の方で暗転して来る念になる。しかもこうして変ってくる我が表象には今まで嫌だったことの復活まで伴う。そんなまるで深淵に臨む様な境涯から彼はあれを出しちゃう~っ。

 と其前にスマホを見て置いた。連絡先の一覧に優の登録がしてある。しかし緋色の方は名前が無い。先刻眠りのうちに生野緋色と名前のつく相手とひどく親しみのある取り遣りをこれ電脳界に於てする夢を見た。してみると緋色に再会したければまた彼女の兄が現れるライブ会場にでも足を運ぶ他は無いらしい。

 それはいいとして彼女の姓だ。成る程しかし初見の前田に残る印象の甚大に過ぎることよ。累は覚醒した。断然以前の前田を生野という姓で認識に修正をほどこした。考えて見れば前田に教えたのはバンドの名前だけだ。且つ当時の前田とは大して深い付き合いも無かった。いや今となっては無かったということにして置いていい。そうして前田と生野とは画然別にして無関係の人間だった。

 そう理解してから忽ち部屋にひとつの椅子へと腰を据えて明窓浄机を備える場と共に在る彼である。パソコンを打つのである。とりあえず丁度最後の睡眠に好い夢があったから書いて置くことにした。

 切りが好い段で直ぐそれを終えた。

 遂に此記録を応用しなくてはならぬ機会は全く累にとって死に至るまで皆無のものである。日数を経る毎に彩度を失って行く類の文章で其記録はあった。仕舞には彼自身無駄に容量を食うと思って全部のデータを消してしまった。

 もはや彼は或る恋着を知らない。感動によって得る対象の記憶をそれほど心に留めて置こうとも思わない。所詮独り得るのである。じきに此春もゆき過ぎて終る。終るという事実にうたかたを知る。うたかたはしかし斯くも長大になっている。そんなばかでかいものを自分一人だけが知っていてもあれ値千金の熱狂には至らない。

 代りに便利屋で見知った奴なら大分其顔を覚えている。自己の意見では顔毎に其人格をも覚えて置くのが今の所ライフワークになるものと見ている。太陽と月が幾度と無く入れ替わって行くのを身近に感じることがよくある。あらゆる人は太陽と月の下にある。その所為で自ら知る顔のいずれも同じ地上の人としてしか我が範疇に括れない。そのうちに大学三年の講義が始まった。学費は誰の如何なる按配によるものか判然としない。日頃の行いが好いので勝手に徳義上の益から出る収入を振り込んである口座から適宜落ちているだけだろう。

 累は考え過ぎた。彼の本質は泣き笑いである。人の感情に触れることに飢えている。小説を書いても殆ど心の写しに尽きる。彼が何かに感動して凄い凄いと言っていてもそれは彼だけが得てる所有に存ずるものとしてのそれでしかない。しかしそれだけで自分が遍く天を覆う気魄を持つものと信じてしまう。こういう状態になろうとしていつもしている考えは実際のところ彼の身に過ぎたるこれ大それた考えな訳である。

 では考えて得られるものがあるかというにどんな考えもこれ得るものに於て得た訳を相対化して幾らでも其所以をこじつけることが出来る。固より生きて衣食の足らぬことは無い。さればとて則ち自ら何かを知ろうにも自らする行為の理由自体に説明が出来ない。彼の言動に由来の無さが目立って其平生はまさに堂堂たるものである。

 憾むらくは彼に地元が無いことである。彼の住む場所にもう地元以来の知己の来ることは無い。加藤優は確か何かのよしみで先輩と呼ぶ所の間柄である。此女が度度彼の頭を擡げる。

「先輩は悪くない」

 と言って一回だけ明らかに或る弁護をした。それに際しては彼女もこれ彼に結託をして置かなくてはならなかったらしい。

 累の方ではあれをこんな意味に取る。つまり二人して現代社会の定義をしようとする会話に洒落込んで居たというのである。

 判然とするに社会とはなべて人ではない。社会とは時に憎しみの対象になるから人によって形成されるものであってはならない。此場合の人とは名前で呼ぶ所の人である。どこぞの教員にいつだかの学校で授業を受けて気に入らない奴だったからといってそいつを其持つ名前の通りに受け取るのではない。教員としてのそいつを敵とするだけである。そうして考えれば大体の気に入らぬ者というは単に社会上の意味での我が敵であるに過ぎない。累の言う意見にこれ社会が話題であれば全く優の方で釈然とするものと其彼女の上機嫌になる素振が見られる。

 断然二人の思想で向きを違えるのはなべて社会に関係の無い話題である。それの原因で主たる衝突を生んでいるのがある。

「先輩に現代社会で適わない所なんか無いんだから」

 累にとって最も気に入ってる彼女の台詞はこれである。長らく我が内に蔵して不朽である。どういう人生になるか死ぬまで分らないがこれひとつだけを以て自分のそれを要約出来る。これを想い起すと俄かに自分の気合が出る。しかし自分以外には訳の分らぬ言葉であろう。確か何かの所要で電話をしたに際してのものである。

 異性を見覚えるとは全く累の範疇を越えている。未だ嘗て其女が一体自分の何だったか判然とせぬことは枚挙に遑が無い。予てするかしないかも決めずにいる結婚というのをするとすれば定めてそれ嫁とすべき異性を存ぜようとの想いはある。優も緋色も存じて其他にも名前を知る女は沢山居る。しかしそれ誰にしてもこれという類型に嵌めて理解して置くことが出来ない。単に友達として置こうにも実際の其彼女らへの認識は甚だ激越になって見知ってある。

 実は優と電話をしたことはたった一度しかない。

「これからは先輩の天下だよ!」

 こんな最後の台詞があってそれを切った記憶がある。当時何かしら節目の時期であったと見える。例えば大学進学に際してであったなどとすれば脈絡のあることである。固より小中高など牢獄のようなものと二人して同意見を決め込んでいた。

 それ以来彼女とは電話をしない。口頭で言わずとも文面で通るからである。何の故にか離れていてこれで話したい都合があったらしい。正確な其年月日時を累は予て把握などしない。うたかたの一瞬をこれで共にしたのだが彼女のよく聞くと幾分取り繕ってある声が甚だ印象に残っている。常に無く淑女ぶっていた。

 ああいう時間だけはどれだけあっても苦にならないんだがと累は考える。小中高で真面目な生徒を演じて置いたから退屈な時間も面白いと言って甘受して来た過去がある。それにしても小中高にて真面目であるとは悲しいかな大して結果する所を善くしない。得をする人間なら甚だ人倫に背いている。それか彼の地元に限っての状況であるかも知れないが。しかしそういう地元由来と見えることどもを一切差し措いて世界を覚知出来る。そんな感覚にある時にはまるで地元など爆発して消えてなくなったみたいな扱いに出来る。成る程そうなれば全く俺の天下ってのもあり得る訳だと累は考える。

 しかしどうしても都合が好過ぎる。こんな爆発なんて俺のでなければ誰の妄想だろう。あの優という女も俺の妄想ではないのか。あの女への感動は感動を心から出来て俺の記憶にした訳ではない。あとあと一人で居る時に俺が退屈しないようによく集注してあれを覚えて置いただけだ。累の独断はただ我が功利主義を信用している。

 同時に彼の念頭にあるを退屈は淋しさであるとする規定であるとしても好い。相手の女へのおびただしい悔いにより其全てへと試みる解釈を惜しみなく折り開こうとする熱意であるとしても好い。我が身可愛さの自己憐憫から彼に哀しく思い遣られて来る対象の引き離されてある二人を実際以上のものとするこれ誇大妄想であるとしても好い。

 

    第四章 ここで一番有名な奴はどいつかを言え!

 

 高校一年の坂上勇気は夏休みも半ばを過ぎた。

 みすず先輩や前田などを伴って出た遊びの東京行きも三日以上隔たる昔と化した。家の自室で仰向けになっていることが出来る。それにしても此頃の学習意欲の無さは甚だしい。とりあえず直近で歓びが勝れば意気に感ずべき人生上上である。特に数学の課題が何も進んで居ないが周りの人間には話題にならぬ程ごまかしてある。

 どうせ秋が来る。冬が来る。全てそれなりに楽しみがある。自然に訪れるものを前にして必要以上に勢いづいていては得られるものも得られなくなるだろう。今は忘れたいものを忘れて置く。あるいは極めて平凡であるように時間を経過して行く。どこにどんな裂け目があるか分らぬ日常だ。やがて盆休みも終って軽音部の面子と顔を合す。最近話して甲斐のある男に北崎というのが居る。あれは所謂愉快な話題以外の何物ももたらさない無害にして世界に有為の人物である。だいたい本人の方でそう標榜して居る。電脳界でも立ち回りは機知に富む剽軽者だ。あいつの場合人生の岐路というものを人間世界に生れて来たその段の感覚に既に総括して踏破し尽してしまったのだろう。

 前田の奴は何だか気に掛けて遣らないと心配だ。あいつの控えめな所には肝腎な時に不意の大損を蒙る羽目になりそうな懸念がある。他の一年で云えば杉下は会う毎にどうも避けられている気がしないでもない。坂上には学校が成るべく居心地の好いのでなければ悲しいことである。高校の三年間とは約言すれば何であろうか?今若者というに余りに希望で充ち満ちた感のある表象を誰しも思い描きそうなものである。坂上の方では黙ってそれ希望という語を用いて脳裏に若者の像を拵えて見る。扨てこんな明確に其像を作り得る時はなべて我が自室に独り居るような清閑の時である。坂上にとって現年齢にして自室を一応持つのは甚だ我が考えの有り様を限定すべきものに思われる。どうも現実の若者の心には強いて弾力を有すとは言えない屈託が看取出来る。わだかまりを凝らした艱難がある。

 白椿町の想像には坂上自己の実家や親戚連中にまつわるネタが大分であった。我が母や父に繋がる多くの人物をこれ勘案に数えて殆ど無限に登場して来る按配である。それと今通う高校のある町が謎めく未知の場を幾つも存ずる世界となっているのを掛けたのである。

 目の前の事だけやっているので目の前の事を十全にすることが出来る。部屋に他の人を見ない時というは何とも孤独である。其孤独でさえ十全であるだけの現在である。あるいは三人居る家庭を現前しない場で実家がある今は幸いの場である。どうも白椿町には猜忌の念の表に感じられて来る所を穏やかにしない様子なのが見える。

 どうも両親の記憶は曖昧である。何組もある気がする。それは断然二重人格を決め込む様な二人なので今の実家に存ずる両親にしてもこれ一組にして我が両親という単純な話では行かない訳である。

 そもそも部屋が幾つもある一軒家だとは雖も同居人たることに揺るぎは無い。今まで長らくこれ現実を此家庭として来た。しかし高校へ通う。教室の同級とも冗談を飛ばす。軽音部の連中とも冗談を飛ばす。そのうちに何処の自分だって同じ俺だとは言えなくなって来る。何も今年の四月から始まった話じゃない。小中高をこれ総じてそんな自意識の不確かさの中で生きて来たのである。

 生き方というものは定まらざるものの最たる概念である。色色の人と言葉を交すことが出来て結果得られるのは全く人の生き方など不定形であるということだけである。それは自己の生き方が今不定形なのである。両親の夫婦は最低で二組ある。それぞれ別の坂上勇気を演じて置かなくてはならない。分り易いのは酒による変質である。これ酒なるは全く文化の表徴であるらしい。

 母の姉はアル中だった時期があるという。確証は無い。母が度度そう語るのである。これ姉の操行に影響があった。母は我が三十代に絶好調の生き方をし得た感慨ありという。言われて見れば確かに息子の方でも其時分の母を見覚えて居る。いつだったか互いの子を連れてこれ母のママ友という者らと飲酒運転の車に乗せられたこともあった位だ。どこか世界の中心から離れた片隅といった位置を地元のそのあたりとして置くことが出来る。これ犯罪はバレずにしまったのである。息子の方では何だか名の勇気たる自己を持て余す乱痴気騒ぎへと多く参加せしめられて幼い時分を経過したものである。

 勇気の実家はだいたい父の実家がある位置に近い。殆ど嫁入りの結婚だったらしい。そもそも住まう所を決めるには何かしら父方の祖父母の方と折衝があったこと必定であるが我が両親をよく思い返して見るにやはり親戚の会合では半ば豹変を演じている。ここにあるは二人の第二の人格ではない。第三の人格である。

 家庭の父に遠慮は無い。する必要が無いからである。或る夜には卓を囲んで息子も居るにこれ妻の性質をシスコンとまで言った。姉と妹との姉妹二人であるをこう示す例は全く勇気の範疇に未だ嘗て未知であった。将に新たなる概念を知らしめんとした父である。

 勇気はあらゆる家庭の食卓とそれに付随して来る言語の応酬とを己の当時の年齢に留意無く想い起して振り返る。どれも当方の都合を問題にしていない。先方の機嫌に則って口でベラベラ言っている。

 恐らくこれ父と母とは自分が子供の頃にされたことをやり返しているだけではないのか。しかしそうなると矛盾がある。母は母の姉が六歳も年上である為に幼時よりしていじめられがちであったことを許せないと言って勇気の前で頻りに述懐したものだからである。

 そして母曰く母の実家は体罰が大分横行したらしい。母の姉の家出は言うまでもなく其親への反発であったのだが或る種反面教師にしていた母はこれを真似ずにしまった。寧ろ親の望まぬ大学に進学すべく入学金の為親に土下座までしたらしい。そういう話を自分の子にする自体どうかと勇気は思うが残念ながらこういう意思表示をした上でやってくるのがこれ勇気の母の手口であった。というのも結構体罰はあるし怒鳴るし暴君ふうの仕様を多く蒙ったからである。それで父はどうかというとこれが大して干渉をして来ない。いつも不気味に薄笑いを浮かべている程度である。勇気にはこれが稼げている仕事が一体何なのだろうと訝るまである。因みに母は短大を出ており父は工業高校卒の即就職で勤続年数を今に至るまで重ねる。

 問題は母が母の姉に依存しがちだということであってこれには不思議な関係性が成り立っていた。そして勇気は斯くの如き内輪ノリが甚だ嫌いである。どうも此母は自分の姉と居るに別人格を発揮してしまう。尻尾を振っているのが瞭然としている。どうも其昔にこれ母が属した家庭にて強権的な父とか母とかをこれ前にしたから結託すべき姉妹だったのであろう。しかし今に至るまであれだけ猫撫で声で会話し合う姉妹とは何なのだろうか。因みに勇気から見て伯母に当るのであってそれ従兄妹の二人もおる。結構会う。

 父方の実家は母方の実家とは甚だ違う。前者は単に質素であってみな黙然としている。そのぶん陰湿である。後者には異様な違和感が立ち籠めている。それは母がよく話した割には丸くなっている祖父母をのみ存ずるからである。勇気の方では一人っ子の男子としての属性に決る体裁があるだけである。

 ものうい心情の底を窮めてうたたねから目覚めたのは解放された暁の頃であった。窓の外は未だ明けない。先刻液晶に見たのとは時間が違っている。寝落ちしたのだ。頭の働きはただ屈託だけを溜め込むようには出来て居ない。定刻に合せて準備が要る。切り替えが大事だ。学校に行かなくてはならない。しかし盆休みの期間を過ぎ去って今これから行くのは軽音部である。前田のギターに調子を揃えなくてはならない。

 そして帰って来ようという頃には春であった。若いから時間が早く経過してしまうのではない。遅く感じる余地が無かったからである。

 しかし実家は爆発していた。電脳界の報せに見たのである。余りにも唐突な爆発と其位置の消滅であったから少なからず大衆の意識を牽きつけたらしい。部活の方で規定してある定刻を経て坂上は赤椿町の昼の土手周りをぶらぶらしていた。他に自分と同じ小学や中学などの者を存ぜない町で此処はある。視界のきわには水が波打つ方と平生を過ごす町並に見える全てを隔ててある山の方とがある。

 不意に現前へ目を遣った先は町の便利屋を標榜する者の果てしなくデカい看板であった。板のふちがささくれ立っていた。直ぐに性分の似た男性の姿を認めた。坂上には話しかけようという思いはそこへ起さずにしまった。相手から口を切ったからである。

「それは死ぬまでの辛抱だ!」そう言って花井は彼を驚かした。

 別に何も有用の意を寄越した訳ではない。坂上は言い返した。

「家が爆発したんですよ!神はわたくしの死を望んでおります!」

 百円位簡単に出せたから対話の時間が始まった。花井は学ランの男を珍しいと言った。坂上は大したことないとこれもまた応じた。

 話は脇道に逸れる。そもそも辺幅を脩めるとは場に見合う装いにして置くことである。どうも俺の実家では金を子に遣る仕方が甚だ優柔不断であった。それを上手く制度化することが出来ない親なのである。小遣いを遣るのは成る程母である。しかし父とほぼ同質の存在たる母が金の遣り様では担当しているのへは何ら必然性など無い。つまり恣意的である。母は言う。バイトをしていないので交際費に困るだろうから遣るというのである。しかしこれ俺が金の要らぬ遊びばかりしていることを母は知らぬ所為である。俺はドラマーだが学校の備品をほしいままに使える。自らする工夫も功を奏して貧乏な奴しきゃ仲間にはせずに居る。予て御年玉ならば貯めて放たずに来たのでよし要るとなれば大事なのに際して漸く出す。しかしそんなのは夏休みに一回先輩なんぞも交えて東京に行った位の事だ。

 花井の持説は意外性に溢れている。今家に女の子が沢山居てみんな俺のクローゼットにあったやつを着ているというのである。坂上は愕然とした。つまり花井は性別による差が無い服しきゃ手に入れないで来た訳になる。しかし坂上より惹起せられて質問となったは単に何人位居るんだ女の子はという程度の語を用いた。答えはまたぶっ飛んでいた。某アイドルグループ並には居るというのである。

 然れば数十人は彼の家にうら若き乙女を同居の体としている訳である。さすがに嘘だろうが場が場であるので深く詮索しようという気も無しでしまった。断然金の話をしたかったのもある。親のくれる小遣いには明らかに親の機嫌を取った分の給料みたき意味があるとの主張を坂上は呈した。花井の感想は驚くべきものだった。

「そう思うよな。昔聞いた話だと御年玉を全て回収しちまう親ってのも此世には居るという。そいつ小中で俺の同級だったんだけどね。しかし御前の問題意識はどうやら別だ。まずそんなこと気にしたって御前に金があったりなかったりする其程度を如何にしようというのでも無いんだからね。俺には分る。金ってのは実は現代の神なんだよ。現代とは歴史を経て最先端にある時代だからまず神の定義にも最も新しい定義が要る。それで行くと金ってのを遣り繰りしてるうちに俺らは金こそが神なのだと信認して来る。しかし神は神聖だから日常の中で言及に上すことが無い。今だって御前が俺から金で買った時間を過ごしていてもそれで実際に此時間の構成要素の最たるものである所の其金に対しては一切言及することが出来ない。御前が家庭で取って来た機嫌の分だけ金を得ているのは明らかな訳だ。第一食う飯から着る服に寝る台に遊ぶ為の金に何から何まで金は其家庭に於ける子という属性の力でぶんどって来たものだろう。君これは感ぜざるを得ない筈だぜ。成る程御前の親と御前とでは斯くして動かし合っている金の方向性をのみ覚知出来る。御前の親は金を出すことで金を出して来るという意味まで御前の立場から見てのそいつの意味に付け加えた。然れば御前の取って来たそいつの機嫌までこれの意味に含まれることが確かになって来る。等価交換の原理をここに応用して考えるとそうなる訳だ」

 坂上のこれへの衝撃は金でさえそんな簡単に人為で回し方の決るものなのかという思いからの衝撃である。

 花井の展開は坂上からの触発に由来してもいた。実は坂上の方でもこういう事へのこういう認識を同じようにして持っていた。それを花井が看取したから花井がパクって見ただけな訳である。

 坂上には自ら自明としていた内容を珍しく他の奴の口から聞いて感動まであった。前から自分が嘗て無職の男であったかのようにもう一つの記憶の方で存じている。当時も親とか親戚とかの機嫌を取ることに長けていたものだ。しかも家に不労所得のある都合から彼は甚だ有利にそれを実行し得た訳である。どうも前世も今生も取り遣りすべき親は甘ったるい。不労所得のあったは嘗てのそれでは父方の実家が屋敷という構えまであって地主だかであったのである。今想い起して見ても何だ俺の本質はあんなものだったかとの落胆を感ぜざることを得ない。

 今生の親にしても何か隠して居そうに思われる。強いて当方の労働者たらなくてはならぬ所以を捨象して生育している傾向を看て取れる。そうなると俺の生きる意味も甚だはかない。正直今生でも別に就きたい職業など無いのだ。ニートという選択肢は予てより無しにしてある。よもや実家の機嫌だけ取って食って行く未来など己の悟性の方で何としてでも避け得る判断を下さずにはあるまいが。

 花井はまた長い言葉を述べ出した。

「俺だったら誰か希望になる人間を思い遣る。こいつに何としてでも俺を見くびらせない様に生きようという決意が出来る。だいたい小中高を突破するまで行ってしまったんだ。何だか世界の全貌は定かでない。小中高頑張れば楽しみ切れる訳でも無いって世間普通の事になりそうなもんだ。御前の実家が爆発して好かったと思うよ俺は。実家嫌いなんだろ?俺は最近小中高の手合とは縁が切れつつあるのを自覚する。俺の地元も既に地図から消えてるしね。何も固より地図に目立つような名前は無かったんだが。しかし俺にとって小中高を突破したことは大切な記憶だ。何故なら殴り合いすら中学まではあった位だ。甲斐のあることは忘れない。そして見くびられたくない相手を得られるのは単に思春期に限る。これ思春期の小中高ってのは全く社会から自己を放置されてる俺らだ。それだけ突破しちまえば見知った奴のキャラなんてのは勝手にこっちで決めて好い」

 これを聞いて坂上には前田の話が想い起されて来た。前田は何の故にギターをするかというに中一の時分だかで印象に残った話があるという。

 此二人の日は何とも朧気になって後日の述懐に述べられる。それというのも花井と坂上とが全く本当の事を言わなかったからである。第一に四月へ突入するよりも事前から花井がバイトを開始した。開始して其業種を接客業とのみ人に開陳したことがあるがなかなか明瞭に言わないでいたから誰も何の仕事だか知らない。しかし思いの他彼はバ先の先輩や店長などに親切に世話して貰って感動しちまって社会最高!一番好きな社会です。という心持になってしまった。だから前まで金金金金と金を頻りに槍玉に挙げていたものを悉く撤回の体となった。どうしても金について色色言っていると別に金にまつわる専門的勉強をしてある訳でも無いので単にガキがなんか言ってらあという感じになる。それをもう後悔して来て黒歴史扱いにし出したから過去のそういう持説を悉く抹消するようになった。而して後日の彼曰くあれは嘘だ!ということで嘗て坂上と交した言葉はだいたい俺の恥部に触れるなという彼自己の素振から出る圧力によって全然人の言及し得る所ではなくなっちゃったあ。

 しかし問題として坂上に帰る家は無かった。なんとなく二人とも其件にはあんまり触れないでしまったのだが何故なら坂上に自ら恃む所として自己を独立せる獅子と見ていたからである。そういう奴と言葉を交す時われわれはなかなか彼獅子の現に在る弱味というについて強いて言及し難くなるものである。

 坂上の居場所はやはり探さなくてはならなかった。まず北崎という頼りがいのありそうな奴に電話して見た。花井と別れて近所にある定食屋で飯を喰ってから彼北崎に電話をかけて見ようと決心したのである。飯は百円だったしそのへんの空き地で適当な座に腰を下ろしてから大してテンパる心持も無しにどう思う?と聞いた。

「そりゃ御前生きるしきゃ無えよ。俺だってバイトの魅力に取り憑かれて学校を休み過ぎた為にもう百年近く此様だ。いいか御前決った遣り様は無い。兎に角生きて置く気が無いことには何にもなることが無い」

 北崎の声色には心なしか暖かさがあった。行き先を失った友に好いアドバイスを言わんが為の気遣いを感じ取ることが坂上には出来た。しかしこういう話題に於てどうしても北崎の如き直情径行の男には言うことがただもう一体に抽象化されて来ていて具体的な部分が北崎自己の留年アドベンチャーを言う所だけになっていた。確かにバイトに明け暮れて留年を繰り返す男はヤバい。彼は来年度つまり四月からはなんと坂上たちの後輩であるところの高一にまた位置を固定して置いてしまうのである。

 実質此物質界に於て甚だしく先輩であるところの北崎には予て尊敬の念を示している。こういう関係にあってはさすがの坂上も日頃鞠躬如としてあざっす!あざっす!と言っている。昔から肝腎な所で現実主義者の顔つきになる坂上のよくやる忖度である。

 結局此時の電話でもそういう感じで最大限の敬語を用いて話して以下の言葉を繰り出してから会話を締め括った。

「ザキにサポート貰えてウレシイーーー」

 ザキとは北崎の渾名である。

 これで電話を切った位から坂上は冷汗がして来た。まだ学ランを着ている。いざとなれば今着ているこれを質屋かなんかに売り払わなくてはならないのだろうか。そして斯くの如く我がする電話にも一応料金が懸かっているのである。

 待てよ。こうして電話を続けて他の奴にも相談していたら俺の脳の方で一体電話する事態は金なんて必要経費だ位に認識しちゃうんではないだろうか。しかし実際には今財布のこれ一万も無いけれどもこれが全財産だ。実家は爆発しちまったからなあ!

 ウワアーと叫びながら彼は町中を走り回った。

 やがてこれ晴れ空の下に明るい町を思い遣るようになった。時間が経って夜になればわたくし坂上には単にそのへんで寝る以外の発想が無い。ここまで来るともう恋愛ストーリーの相手に今生の別れと共に最後の台詞を吐く位は出来る。いやこいつにゃ無理か!自ら獅子と称してプライドを高くしている様な奴だもんなあ!

 或る交差点まで来た。既に顔色憔悴して形容枯槁せる彼は我がある周りに嘘みたいに照っている陽を仰ぎ視て見た。量り知られる限りの森閑と静まり返った一帯である。このへんをそんなに通らない。今居る場には例外的に居る。それにしてもこれ斯くなる地にまで姑息な発想でさまよって出たは此期に及んで一体誰の為にごまかしているのだろうか。体裁はなべて人前で立たす。自分を知る者の居ない筈の所へ身を投げて我が居る其処にはただ我が驕りだけがあろう。

 どうも姿勢が前屈みになっている。肩の位置が高い。目が据わっている。信号が何回も変る。どっちに行こうというのでもない。今は何でも出来る。それだけ何でも構わなくなってしまった。しかし不図横を向くと見慣れない女が居た。見慣れて置かなくてはならぬ女であった。紺のマフラーのみすず先輩は「やあ」と言った。

 彼女も別にこれといって用事が今からあるのでもなかった。だから会話が始まった。全く此手合としては珍しいことである。

 以前にも此場で純一君と会ったことがあるという。つい最近の事だそうだ。今回と違って向いの歩道で接触したらしい。そう教わって坂上の方では甚だ立腹の心奥である。しかしおくびにも出さない。

 あの男も結構やる。いや偶然か。しかし今先輩が語るそれは過去のそれを慈しむように甚だ大事そうに思い出みたいな感じであった。意外に思われる。固より妙に奇警な所のある人だと此先輩には予て品評を持った。予て持った品評に増して他人同士の不和を触発する技術がある。自分を巡って妬み合う関係と化せしむるのである。

 そのうちに色色未知だったことが判明して来た。我が白椿町の定彦という人物の中学の同じ部活の同級という男が彼女と知り合いであるというのである。そうして花井の親友に山田という男が居て山田は定彦の中学の部活の後輩だという。吹奏楽部である。坂上の方では誰が何の楽器を担当したものだか記憶するには至らなかった。しかし当時其部活に籍を置いた連中は誰が何の楽器だか未だ嘗て忘れ得ない記憶としているのだそうである。

 然れば坂上にとって我が白椿町の表象は甚だ完全性を欠くものと知られて来る。現実の町は赤く春の花を咲かす。虚構で心に浮かぶ白いそれは坂上にとって狂言綺語めいて来る。実のところ坂上とこれ先輩とに共通の知人としての定彦が現れたから甚だ話に関係して来る。しかし先輩は定彦と会ったことが無い。そもそも定彦とは何者か。山田は彼の後輩だそうだ。

 しかし山田についてわれわれは何も知らないということになった。今われわれで知るのは定彦の其中学の部活の同級にしてみすず先輩が知り合いだという彼である。これ彼のコネで近近出られそうなライブがあるのだと彼女は言う。坂上は目を見張った。

 そいつは一体何者なんだ?

 分らぬが彼女が純一君とバンド組もうとでも言いたげな素振になり出した。遅延も直ぐに飽きる。うけあってあいつを俺が誘って見せようと坂上は言った。別に難しくもない。あいつは簡単な奴だ。

 話に出て甚だ合縁奇縁である。定彦は坂上にとって電脳界でのコンタクトを可能とする男であった。年齢に五歳年上という懸隔を存ずる位である。先刻ゆく道を先輩と異にして次会いに行こうと思ったは定彦である。成る程定彦に聞けば簡単だ。俺に今実家が無くて問題なのを同じく実家の無い定彦に聞く。

しかし定彦に最後に会った際の記憶があるのは何も不思議に思われないのに最初に会った際の記憶まで存じているのは甚だ違和感がある。定彦も北崎と同じだ。予てよりこれ老いることのない者らであった。永遠に其位置に固定されてある。社会の方から把握されない顔だから勝手に自前の空中楼閣を逍遥している。しかし人ではあるから覚知位される。ああいう様な人間が最も遊戯的だ。

椿町高校の厳粛なる正門の前に独り待機の体で坂上が立つ。遣る目を視界に入る限りの辻毎へ走らす。通行の体である者どもによる折衝を一々存ぜない。ふと移す視線を止める。両肩を交互に回して気安くなって来る自身を感じた。考えて見れば何の行動もせらるる余儀なくそうすべき所と為るのみである。ただの待ち時間を自ら蒙るにもそれに価する好人物と会う。これでもう祝うべき僥倖の時をここに認めていい。

先に田中が来た。しかし坂上には一体誰だか分らない。自分の方が未だ年下の域を出ないものと見える。これは学ランによって瞭然としていた。二人は簡単に打ち解けた。坂上は田中をふざけた奴だと思った。田中は坂上を将来ろくでもねえ大人になる野郎だと思った。そうして一致する所として二人はお互いを気の置けない同性であると見なしたのである。

これ傾蓋故きが如き念によって初めの言葉の段では未だ落日の兆しを見ないであった一帯も彼らの頭上に実際よりも早く宵の口に入る所の夕焼けを生み為した。

ゆえに此後の経過はまるで死に急ぐに自殺点を偏執して決め込んだ儘にしてある忙しくて忙しくて回る目のぐるぐるぐるぐる液晶のカーソルが手癖で至る所をクリックしようとする迷いの妄りさを成して謎めく輻輳の大都会が眼前で在る如く全ての過去の事象をこれ紛うことなき真実と首肯すべき現認の大わらわと其確かな世界の中での既得権益謳歌して明晰に楽しんだ。

やがて定彦が現れてよく見慣れてある坂上の日常的風景としての此門前を染める見慣れない西の光によって其登場が自然なものになる瞬間を坂上は覚知し得ることが出来た。新しい人物をこうして新しい背景と共に見覚えることが出来た。まず此定彦に対しては坂上が彼を呼ぶに恵庭さんと言って田中が彼を呼ぶに好い愛称を用いていたのだが坂上は何の文字列にしてあった愛称か忘れてしまった。

俺も混ぜてくれよという乗りで定彦が来るので山田の方では簡単に説明をした。しかし人の常識によれば甚だ簡単の程度を越してそれはあった。田中の一平は坂上に聞いた話をこう約めて言ったのである。

「まるで杜牧の詩ですよ!南朝四百八十寺に非ずしてえらく其家の内情を盛ってある言い様を承けたみたいだ。彼が煙雨に眩まされたのは単に直ぐバレる嘘を掴まされたんです。言ってる本人の洒落っ気を看て取れば何かまずいことを上手く隠された訳かと推知を及ぼすに足ることでしょう。人の素振とは斯くも意味の有る連綿であって深まる心理とは斯くも活発に翻然とし通しでありますのです」

 定彦の外套は赤白のチェックである。初め山田の口吻に少し懐かしさを見たらしく高い背丈を斜めにしたり太い腕を組んで眉間を固めたりしていたが山田が話を区切るとそれに応じた。「うん」と年長者にふさわしい落ち着いた顔で言ったのである。

 しかし後輩はたったのそれだけの其先輩の挙措だけで自分の至らなさを恥じ入る動作をし出した。先輩は今後輩をして「御前が知ってる印象は良いから今回の用件を言えよ」という意味に到達せしめたのである。而して必要な話が始まる。山田は口を切った。

「残念ですがあんまり足りちゃあいませんね!」

 山田の服装には判然としない柄とうなじに垂れるフードとがある。髪は一人だけ裏で縛る程長い。所作もここに於て最も激しい男であったが我が言う台詞もいちいちマイペースに決め込む文脈であった。

 彼の言う足りないとは坂上の徳であった。それは現世での徳には非ずして三世を一体に見ての徳である。山田はこうも言った。

「彼あ来世じゃあ全く!コウライウグイス位がいいとこでしょう」

 坂上の来世は畜生道であろうというのである。

 これ二人が謎めくことどもを言語に交して坂上の頭は錯綜して来た。しかし処理すべき大量の情報を注入されつつある脳とは寧ろ喜喜として現前のそれを恰も口でバクバク喰うみたいに認識して行くものである。そのうちに坂上は彼らのノリに反する喙を容れた。

「春を告げる鳥なんて!こりゃ上等ォ!御鉢が回って来たァ!」

 じゃ早く御前菫の花を摘んで来いと定彦が言った。途端に山田は困惑し出した。とりあえず何色ですかと聞いた。濃紫だと稍や面倒そうに定彦は返した。

「てか此町って菫の花は一輪しきゃ咲いて無えだよ。いやまあー何ていうか君らにはどうでもいいことかもしんないけどね。恋愛とかしたことある?ゼット世代にゃ無理か!ふつう人間てのは恋愛とかすると身近にある花の名前や形などに対してひどく敏感になることを知るもんだけどね。悪いけど俺あゼット世代は人間じゃあないと思ってる。巷のストーリーでもよくあるだろう?中二病っていうのかな。冷徹に非人情飾ってるキャラクターは現実から一線を画してる気が自分にして来るからなあ!」

 リミットは日付が変る時である。坂上は大して歩かなくてもそれを見つけることが出来た。指定も無いのでとりあえず根っこから引っこ抜いて置いた。小中高で習ったかも知らぬ所の植物にまつわる授業の内容を薄らぼんやりと想い起しながら作業した。

 場に戻って来るとあの二人は何やら既に遠い昔と化した話を思い出として語らっているらしい。様子より看て取れるのは彼らが中学と其部活とを同じくしたが次なる高校を別としたので以降電脳界でのそれを除けばあんまり接点の無かった来歴である。

 そして三人は今居る町の春に終りが訪れることを確認し合った。花井が四月を迎える。それより前に同居の体である所の女二人から未来永劫隔絶の体となることを彼は蒙る。彼の地元も存在を復活することである。彼の実家も其地元の範疇であるから当然復活することである。それは嘗て爆発してある位置を彼の地元ではなく坂上の実家とするからである。

 予て長長しい春であった。しかしそれは神の不手際であった。但しここの三人は全くこれ神によるものであるとはしない。山田曰く俺の此受付は日雇いだという。定彦曰くこいつが今の仕事に至るまで俺の後輩になるとは前まで思い掛けなかったと山田を目して言う。そのように説明を承けて坂上の方では彼らの事務的に過ぎることが無く極めて親切である所の応対を心底よりして快く思った。

 料金は無しである。

 山田という男と恵庭さんとはさっき坂上から聞いて知ってる安い定食屋に寄るという。辞令を取り遣って解散したので騒ぎながら去って行く心安い二人の背を見送りながら坂上はただ小さな菫の花をこれ自ら持つ手の上に留めていた。彼らが何かの遮りに隔てられて見えなくなってから不意に坂上は我に返った。考えて見ればあれよあれよという間にここまでの経過の程を肯んじてしまった。結局ネットだけの端緒よりして顔を合すに至った彼らである。現実に起きる事象の如何に電脳界を以て斯くなりしかを問えば将に電脳界の恩恵により運営せらるる社会をなんて人工的なんだろうと我が持つ感想になりなんとするばかりである。

 媒介者曰く其春の綺麗な証を手に収めた儘日付が変るのを待てとのことである。

 坂上には田中と初対面の挨拶をした時点から絶えず陶然と此世に酔っ払う心持である。珍しいことであるが新しく出会う人物との取り遣りする語に互いを馬鹿にする要素を一切用いずに済んだ。会話に形式を知る所として初めて交す言葉といえば大抵が相手の第一印象をくさして置くという位で口を切るのである。

 総てが在る場を指して現実と言う。黒く稍や小柄な制服の男を存ずる夜道に街灯が光を差し入れる。そろそろ日は西に落ちてしまった。よろりよろりと千鳥足に急ぐ。目に附いた先が行く方向だ。

 何故だかあんまり徳を積んでいないと来た。坂上は考える。そりゃ先天的に得てる様式が駄目だった。使える様式があれしか無かった。あるモン使うのが利巧なんじゃ無い。固よりあるモンしきゃ使え無えんだ。昔あの仏教徒という祖母に陰口叩かれたことがある。親戚の会合での俺の発言にうぐいすという語があった。確か未だ俺は十歳にも満たなかった。何だか曖昧で年齢が分らぬが記憶の通りにあいつは居た筈だ。俺にとってのうぐいすじゃあ無い。あいつは裏で俺の事をうぐいすと呼んで馬鹿にしていた。かなり年長者の部類であったあいつは他の者の同調を得る。うぐいすうぐいすと田舎連中が言う。あの場は父方で子供が俺しきゃ居ねえんだ。少ない属性の者の肩身は狭い。そうして俺はあの場の血縁者の血を引いてると来た。現世よ俺は記憶してある現実に忠実で居よう。いや今から還る所は前世にして来世である。坂上勇気は又欄干に倚る。うぐいすと言えばああいう祖母のニワカ右翼てのは古典に言う風物も何もおしなべて中国のを日本のだと思い違いに決め込んで居る。杜牧の江南の春にうたう鶯と来れば注釈によれば大陸の高麗鶯だ。

 街路の川には匂いがしない。その頃彼には鼻が全く詰っていたものだ。あの地元に居ると気分は最悪だった。時間に一向経過が見られない日常的風景をのみ我が目で見守る。あれは大儀である。無限の遅延に辟易を禁じ得ない。その癖馬鹿にして来る昔の同級をよく集団のセットで蒙る羽目になる。これが長く多い時間である。

 そんな来世にして前世のこれ今後の行状は憧れようにもこれより至る総てに倦む現在である。あちらに転換して我が居る其場は太陽と月が回数三千に上るまで入れ替わっても日中に見覚える事象を同じくするだけで何度も反復しよう。成る程これで此激烈に続く心情の乱れも終極となろう。祖母よ先方の含意も意味を当方で汲めた。あんたが言うのは孫の徳の無い余りに来世できっと孫が畜生道に堕ちることだろうとの本来衝迫に価すべき罵言であったのだ。

 前世も現世も来世も総てが我が現実にある。即ち此祖母のそれにより規定してある。俺は彼女の機嫌を取るのに失敗した。しかしこれ位のことで俺はくじけない。徳なら俺の方で別に積んである。あんたの家てのは俺の実家が爆発すると共に一緒に弾け飛んだよ。御前は死ぬ。あるいは既に死んだ。ざまあみろ!

 何故なら彼の実家は父方の実家の真ん前に建って居たからである。それはそもそも父方の実家に元元広い前庭があってそこに其実家である所の一軒家が出来たからである。

 扨て電脳界の情報があれ実際に爆発するよりも早く其爆発情報を伝えていた可能性がある。定彦と山田の口振からするとこれから記念すべき爆発の発生を起すのであるが彼らに聞く前は予て既に爆発したものと認識していた。独り夜道に暗がりと同化して黒ずくめの男である所の坂上が往く。手にはささやかな土産を用意してある。

 今日で最後だと思えば何の辻辻であれ気儘に進める。それにしてもどうして悉くおめでたいのだろう。こういう事態じゃ人は祝うものだ。坂上は断案を下す。こりゃ祝った方が好いな。祝って置こう。独り其顔の口角が自然に上がって来るのを感じることが出来た。

 唯一無二のものをこれ現実としよう。虚構を生み成すなんて神にだって出来やしない。そうして現実じゃあ違った人間であることも出来ない。坂上の見出す活路を自ら往く様子は誰の視認にも得られずにしまった。今から往くトコはまさに虚構の世界だ。悪いが俺の属性はただの坂上勇気だ。うぐいすになんて死んでもならないただの現実があの婆あには何故か寧ろ虚構だそうだ。そんなら確かに俺のこれからは虚構であるのだ。日付が変るまで時間は幾らある。そんなの数えてる場合じゃあないよ。兎に角祝って暇潰しにしよう。こういう時間は理屈を捏ねるに尽きる。現実の人間にそれ以上の手段は無い。他にしたいなら来世を想って首縊りをでも試みて居ろ。

 坂上勇気は全くボツにした白椿町の表象をそれほど惜しいとも思っていない。それと同等に我が実家の爆発を取るに足らぬものと推断している。人間が如何に詭弁を言っても俺の実家なんてあれ一つであるとの直観がある。あれさえ壊れたら勝てる。そのあとの事は誰だか知らぬが助け合いの理念の下運営せらるる社会の支援を受けて生き長らえることが出来る。誰に感謝すれば好いのだか分らぬが社会に感謝すれば好いらしい。ひいては国でも好い。これほど有難い事は無い。俺は実家なんぞには感謝しないでも好い。だから実家だけ壊して貰ってそれからは何か社会の為勤める仕事を探そう。先刻定彦と山田との三人で話してやっと固まった。これで自分の人生に漸く正面から挑める。我が大海へと漕ぎ出せる。

 人は大抵よく眠ることを善しとするものだ。朝目覚めるのでも夜勤などのある時刻に目覚めるのでも好い。なべて新しく覚醒するから意識を改めて次の認識のうちに世界を規定している。そんならそれ以上望まないでも十分だ。坂上は断案を下す。自分に不治の病が無い分ひとまずこれ期待し得る未来に祝福して置く他は無い。

 そのうちに彼はまた赤椿町高校の門前へと戻って来た。少々時間を持て余して逍遥していただけであった。身のこなしも軽くひょいと垣の隙間を潜り抜けて校舎正面にある昇降口へと駆け寄った。其硝子張りの入口から先にまず下駄箱を脇に設置してある沓脱ぎがある。それから更に細めの廊下を隔てて向いに見える方もまた硝子張りの戸が幾つも並んで立っている。しかし其奥に広がっている景色が甚だ異様である。あれは嘗て見慣れた街路である。日が照って明らかに白昼であるからそれによる光が手前のこちらまで視界を与えて極めてまぶしい。彼はまず最初の入口に手を掛けた。鍵は開いていて軋みもしないですっと鮮やかに引くことが出来た。

 あの廊下を隔てた向いにも屋内外へと出入が可能である所の戸の並ぶのを設けてあるのは単に移動上都合が良いからである。当然此処の生徒であるから坂上は場の雰囲気にも慣れている。夜の学校と雖も其内部に居た時間は甚だ短いのであった。彼は建物に入ったから一旦靴を脱いで片手に持って運んだが忽ち次の硝子張りに面する沓脱ぎへそれを置くと素早く履いた。稍や気が急いていた。

 戸を引いて街路へと出た。春風駘蕩たる新世界である。よもやずっと昔から知っているなどとは肯んぜない。此地元はただ実家のあの位置だけが要らなかった。それの排除に成功したのである。人は頻りに往来して同行者と話す内容を面白くしようとするのに余念が無い。中には前途洋洋の若い男女が二人だけなのを見られるかも知れない。少し歩いた。成る程と彼は考える。今まで運命にちょっかいを出し過ぎた。意外にも運命の方だって馬鹿にされるのを嫌がる性質があったらしい。

 それから新世界では太陽と月が三千回入れ替わった。道のきわに柳が何本か甚だ大きく振るように枝垂れ散らしている。そこらの高層である建物はなべて外壁をうららかな陽の当るのに反り返るような反射を光らしている。これで既に緑と紅との色を映じて坂上の目前に幾ら眺めて居ても飽きない絶景をもたらしている。

 ここへ来るまでに通った硝子張りの所はこちらではただの何かの店頭になっている。其前を加藤優が歩いて行ったこともある。今回は坂上にとってそれほど視線を移さなくてはならぬ事象を此欄干に倚る自己よりして存ずることが無かった。空気をも揺らすような水面のさざめきをこれ川に其音よりして覚知し得たが自身がまず現前のこれ最たるものと言える空気に僭越ながら接吻し得ることをそれ断然尊んで重んじた。自分の認識にこれが自分のものでなくてはならぬという強迫観念が表れて来ない。実に自然に遠望をしている。

 幾らか経った。坂上は或る事を忘れていた。それはみすず先輩の件である。彼女と約束をした筈のバンドの件である。どうも此新世界には前田が見当らない。確かあの男は此世界では路上でギターを弾いていたとかいう話である。部活の或る時間に其話になったことがある。其時は同級も先輩方の仲の好いのも居て場の和んだのによって彼の印象に残ったのである。

 どうも人間の身体というのは自らを顧みる様には作られていない。此処へ来てから坂上は常に着ている我が服を確認することが無かった。いずれの袖や裾などにしても長短を警戒すべき余地が無い。体勢を崩さずに居るからいちいち襟を正そうという気にもならずにしまう。これはしかし固より人間自体が自らの身体を顧みなくてはならぬ規定を存じていない所為である。

 彼はいつでも過去の全てに気付くことが出来る。人から見られるものとしての自覚さえあれば芋蔓式の想起によって現在の自分が本来属性として持つこれ社会での我が位置を思い出すにまで到達し得るからである。それには甚だ遅延があっていつまで経っても彼は身なりへの自覚を無しとしていた。彼にとって此場に夜が来る毎の知覚が単に全て不可視を意味する所為であった。彼は自然の光以外を光として認めない人間になっていた。ゆえに風呂という概念を悉く忘却の彼方へと追い遣っていた。人間はまず風呂に入らなければ体を清潔に保つことが出来ない。しかしこれ今の坂上には自らを万物の範疇としてそれ常に流転して変化すべきものであるとの断案が絶対に下せない。彼自己の方で俺は不老を決め込もうとこれ別の断案を下してしまったからである。

 斯くの如きに至っては彼の過去は抹消してある。人は現在というものを絶えず過去として行くうちに生きている。我我は過去無しでは生きられない。他ならぬ現在が我が瞬間毎に過去となって行くからである。此点誰にも其過去を持つ其自己である事から逃れる事は出来ない。其処にだけ現実を存ずるからである。

 現実と虚構との違いはまさに此問題に於て瞭然として明らかになって来る。虚構には人の現実に於けるような過去が存在しない。そうして世界一般は時の経過を存ずる毎に過去ではなくて虚構と化して行く。其所為で我我は生活の間に合す様に取る睡眠の其都度次回の目覚めによって我が世界へと覚醒して来なければならぬという現実にいつもおびやかされているのである。

 しかし既に坂上は新世界へと下り立った。そこでは自然の光が無ければ何も無いという認識になる。もう夜は要らない。

 これで月明かりなどは彼にとって光ではなかったのかどうか。元来彼にとって我が太陽こそが実質的に地球の生命を生かしているという見解があった。杞憂だが昔初めてこれ宇宙の星全てにも寿命があることを知ったに際して幼少期の彼は生きることに絶望さえした。人間がいつ死ぬか分らぬだけではない。寿命という概念がある以上地球ひいてはあの遠い太陽にしてもいつ終りとなるものか甚だ心配である。しかし現に色色実家とか爆発してるじゃないか!何とも細かい手違いによって大損を蒙る危険すらある。やはりこれ彼の居る街路も含めて市内一帯を爆発したのではイキスギであったのである。

 わざわざ生きてる以上全然死にたくない。出来ることなら永遠に生きようとする心持すらあり得る。これは単に今まで生きてた所為でもう断然途絶が嫌になるからである。中途半端は醜である。

 一度学校の廊下を横切るのを中継して行って新世界に面する出口へと進んだに際して坂上は大事な菫の花をそのへんへ落して来てしまった。恐らく脱いだ靴を手に持とうと留意した所為でそっちを疎かにしたのだろう。兎に角あの説明係の二人はそれを日付が変るまで持って居ろと指示した。彼は其指示に従うことが出来なかった。

 世に寓話なるものを聞く。内容が警句めいて来る。ああいった類は或る思想の内容を伝達するに手っ取り早いストーリーを用いるのである。非常に考えさせられる!と感じ入ることも時時である。しかし人が今我が目前に差し迫るものでもない仮の事態を想定してそこに意味を見出すことは単なる暇潰しも同然のことである。かの有名な小中高という場に於て避難訓練をするとかああいうのは如何にも大事な筈であるが一方で話の面白さだけを売りにする寓話なんぞを此世で見掛けたなら是非其徹頭徹尾愚劣な姑息ストーリーの存在に糞でも喰らえと思って置くべきことである。

 で坂上の場合これ人の言うことを聞かないという重大ミスをやらかして分り易くバッドエンドのオチな訳だがなんせ彼自己の方では過去が完全に抹消してあるので寧ろへっちゃらになっていた。

 まさにこれ人間万事塞翁が馬である。恐らく新世界にて彼の自己実現をしている状態は単に元元人間だったのが置物という類の物体になっちゃっただけかも知れないがそれが却って彼を超然とさせている。別にもう人間というのはこれで良いのではないかと思わせる様子である。電脳界では最近愚問が流行る。人間とは果して斯くの如き仕様でも幸福であるか否かというのである。

 当の本人はと言えば何やらおくゆかしいように其辺を見続けてる。これを恍惚というものに比してもよい。全然それ別のものであるが彼は眺める対象に恰も没入するのごとき硬直具合である。其横顔には真剣であることに魅力のある趣があったかも知れない。彼に問うて見るとよい。何がそんなに面白いんだと。

 だいたい社会と関係の無い位置にある所為でそういう質問をされそうな奴になっている。てかされようにもされることの不可能性を思い遣ることが出来る。もはや彼は社会を嫌っては居らぬ位である。しかし世間普通の事として社会というのは人のこれ社会を好むと好まざるとに関わらずただもう厳然として実際にあるだけのものである。そうして様様な形を取って其存在は強調されて来る。今物質界には例えば広告であふれかえる巷がある。働く人の動きがあちこちに見える。雨は偶に降り過ぎる。向日葵がすきで狂ひて死にし画家。

 あと留年百年生の北崎の件だが彼は坂上とは又勝手が違ったらしい。もう両親とかも他界してるし本当にバイトしまくって推しか何かに多額の出費を惜しまないそうである。何の仕事だかは彼がそれを言う度に違う。毎回出任せを言ってるようだ。

 推しといえば加藤優は斯くの如き類の男に電脳界を以て金をつぎこますことが出来た。互いに習慣化して無限ループにするので終りが無い。

 高校一年の坂上勇気は其欄干に倚って我が遣る肘から先までの感触をよくそこに覚えて置いたまま我が自室の寝台よりして跳ね起きた。今は八月の終り位だということで掛けるものの無い人の身の横たわるのとそれより低い床のフローリングとを一直線に照らす水色の朝焼けが開かないカーテンの隙間から目に飛び込んで来て刺激的であった。彼は暁の頃に一度目覚めてから二度寝したのだ。二度寝自体大して貴重な体験でもない。眠りというものが結構人にとって断続的なものでもあり得る所為である。

 飛んだ夢があったものだ。殆ど夢ではない。実際にそこへ遣っていた体のどの動作も自身にとって本音である所の意味から出してあった。何もかも直観によって行為していた。だから或る啓示を彼に与えた。

 そうして此日の部活では意中の者らへと働きかけるに躊躇を抜きにして口を切っただろう。あの三人で音楽をするとしたらさぞ面白くなる条件に適うと思っていたのだ。坂上自己の方で予め其思惑もあって半ば自ら恥ずかしくもあったに此部活への入部を嘗て決めた。

 夢にあった事象は時間が経過して忘れ去られた。頭には代替として此日にすべき内容を取り込んで行く。要らないものを最も直ぐに払拭してしまう脳である。飽くまで進める歩は彼の随意である。家から出発するよりも先刻に当るあの居間の食卓にどうも屈託の依然としてある手合を存じた。扨てこれも記憶せずに置こう。殆ど真夏の街路は夏服で行進する。果して何曜日だか判然としない。

 考えて見れば手つかずの課題もある。しかしこれに関して親が余りにかまびすしい。こっちがやろうと思っている時にあっちからやれと言って来るのが気に入らない。恐らく俺が家に居過ぎるので何かしら言う言葉を言って置かないと気まずい心持になるのだろう。然ればといってそれ俺の家に俺が居るだけだ。

 最近苛立ちがあるのは母が父にうながして俺を説教するよう仕向けることである。此家系では定石の事らしい。普段女親がギャースカ言って来て子にもう手に負えない感じのある段で女親の勧めによって漸く男親の容喙となる。しかしあの父は人に諭す点で全く不慣れであった。別に本当の危険を知らないからああいう日和見が出来る。其点父母のいずれにも合致している。当人の方でも今の事態が一体何の意味であるのか分っていないのだ。成る程俺は家庭に於て異物である。ひいては誰が見ても俺は世界の異物である。

 彼の電車には新しく清清しい始まりがあった。未だあちらに着く時刻とはならぬが襟を正して置く。シャツに汚れが無くて好い。

 それにしても高校生というのは定まらざる人だ。まず慣れてある車内に外の空模様のよく映える窓枠がある。それほどの混雑でもない。独り腰掛けて座を占めた。交通が回転する。誘ってやがて出来る三人の場所が人としての坂上勇気をこうと定めるように思われる。どうしても俺の居場所ってのは自ら作らなくっちゃいけない。

 幾らか地元の町から離れてあの町はある。そういう所に行き場所を設定して小中高の高は多少これ小中よりもマシになったらしい。俺は通う毎に最初の町から距離を取れる。しかしあれ偏差値だかがなかなか有る高校だそうで俺の成績は大分振るわない。どうせ此男の将来に噛む数字なんて世界の何処を探したって皆無である。習性として彼の親には彼の属する場での立ち位置を余程神経質に捉えて考える所があったのである。もう俺の勝手だとの断案は下した。

 元来人ってのは神経質になり得る。でも別にならなくてもいい。

 何故なら単にくつがえってばかりの内面であればまた忘れてしまう程度の事であるからである。坂上勇気は地元の一帯を住みよいと思わないのが決定してある。既にこれの貫徹が決った。

 あの地元に育った奴は知る限りだと全て妙な奴になる。そして妙な奴は恥ずかしい。自分でも自分を妙だと思うのでそもそも生きてるうちで恥ずかしくなる回数が増す。これが癖になってはならない。ああいう地元は爆発した方がいい。てか実際に爆発しないでもあそこに居ないあいだは嘗て爆発したもんだとして認識を片付けとくのが君子のする気の持ち様であろう。

 そう思いながら彼は或る考えを内に蔵して来た。先ずこれ部員の誰だかに初めて会って劈頭第一の冗談を要する。そんなら我が居る此場は何椿町だとの質問をでもして見よう。今日の面白エピソードは決った。成る程それは確かに答え様が無い。

 ソシュールに記号の恣意性というのがある。其記号が何を意味するのかは全く無根拠な規定に拠る。そんな理論をも此世に応用出来る。いやはやなかなか自由で助かる。質問を人にするのならば何の答えも出来ないので行こう。然ればさぞかし盛り上がることだろう。しかしバニラアイスとそれにかけるストロベリーのサンデーとのいずれが赤であっていずれが白であったかなんぞというような愚問には誰も相手にする余地が無い。それこそ人を喰った問いと言うべきものであろう。

 扨て夢落ちをやってしまった話になった。まあでもなんだかんだで我我は夢の中でも現実に居る。代りに我我は虚構に居ようとしても居ることが出来ない。そういうわけで我我の今居る世界はそう簡単には忽ち爆発して消滅するようなことにはならない。こんな類の運の好さには歓喜も伴う。祝福も伴う。これを自由という。

 我思考す。故に我在り!

 愉快な登場人物たちによる物語も終った。色色ツッコミをすべきかも知れないが全てに反応することは出来ない。もう此話は終ったのだ。なんでこれで終りなのかは考えなくていい。それよりなんでこんな話が始ったのかが問題だ。

 そもそも話というものは終ってしまえば何の意味も無くなるものである。そんなものがなんで始るのかは結構問題であるが別に取り立てて言う程の問題でもない。あの社会というのもいきなり存在しているという感じである。人をナメてる。ふざけた社会だ。

 時時若者に向って社会ナメんなよ!みたいなことを主張する人間が居るがああいうのは一体何なんだろうか。そういう言語の必要なシチュエーションが発生することはかなりむなしい。

 もう断言して置くか。たぶんこれ「言霊」によるものなんやろなって感じだ。みんなで作ってる社会というイメージがあるので自然それ社会ってのが感動的になってる。

 しかし今の社会ってのはネットが噛む。これにより自明の理なのは下ネタが人口に膾炙して来るということである。そんな危ないものを採用している社会は明らかに変である。

 当り前過ぎて逆に名言みたいになって来たがこれは変な対象を変と言ってるだけであってやはりただの正論である。おい!

 だいたい社会というのは正論を好む傾向にある。それなのにこんな当り前のことを気にしない社会はやはり変である。どんどん電脳界が幅を利かして来たが大したもんだ。もはや人がやってる生存競争はただの乱痴気騒ぎにしか見えない。成る程人ってのは元来乱痴気騒ぎばかりしていたかも知れない。なんせ本邦に於てはかの有名な義務教育によって小中で子供に爆発を体験させてる位だ。

 それは頭の中が爆発するという意味である。たぶん教員の方でもそういう爆発の仕方を心得てる所為で教え子の頭の中まで爆発させちゃってる。てな訳で真面目に小中へ行くのはヤバい。そして高へ行くのもこれ他の生徒みんな小中を体験してるからそりゃ変な奴ばっかに決ってる。

 とりあえず地元の公立はやめとけ!